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第5話

「逆玉おめっとさん!」 「決まったわけじゃないよ、お嬢様が勝手に言ってるだけだし……旦那さまは反対なさってる」 「押し切られたって評判だぜ」 「だれに聞いたの?」 「噂を小耳に挟んだんだよ。断りゃ首吊りか駆け落ちかってほどぞっこんなんだろ?よっ、色男!」 「やめてってば、人に聞かれたらどうするの」 出会いから数年経ち、春虎は眉目秀麗な若者に成長した。 鬼風との仲はさらにうちとけ、砕けた物言いで冗談を交わしている。 「お前が帳簿の桁違いに気付いたおかげで家が傾かずにすんだって皆大喜びだ」 「お茶を出す時たまたま目に入って……今の僕があるのは鬼風のおかげ」 「謙遜はよせよせ、イヤミだ」 「本当だよ、感謝してるんだ。失せものさがしの名人、掃除の達人、ええとそれから……そうだ、こないだ劉が捻挫したとき運んでくれた」 むきになって言い募る春虎に鬼風は不機嫌な声を出す。 「野たれ死にすりゃよかったんだあんなヤツ。女の着替え覗こうとして木から転落なんて間抜けもいいとこだ、お前の頼みじゃなきゃ助けるもんか」 「仲間をほっとけない」 「足捻って動けねえうちに仕返ししてやりゃよかったのに」 「最近はよくしてくれる」 「お嬢様と婚約したからだ」 「勘繰りすぎだって」 「……春虎、お前って窮鳥が懐に飛び込んだら巣作りして雛が孵えるまであっため続けるヤツだろ」 ため息まじりの比喩は的を射ている。 畢竟、春虎は正しくそのような人物だった。即ち、優しすぎる。 「雛か。可愛いだろうなあ」 「親が毛虫くわえてきたらどうするよ?」 「それはちょっとやだな……」 「~あーもー煮え切らねえなあ、こんなぼけぼけのどこに惚れたんだか!」 「僕のほうが知りたい」 ためしに頬をつねってみる。ちゃんと痛い。 簪を届けたのをきっかけに、春虎はお嬢様と急速に親しくなった。 お嬢様は裕福な商家の一人娘。 母に似て器量がよく、父に溺愛され、わがまま放題に育てられた。 望んで手に入らぬものはなく、望まぬものでも与えられる環境で育った娘がどういう性格になるかはおしてしかるべし。 商家の一人娘と一介の使用人が仲良くしている。 常なら無礼者と切り捨てられたろうが春虎は働き者で、帳簿の不備を指摘した手柄のほかにも、仕入れた反物を積んだ荷車が崖から落ちたと危急の報を受けるや、どういう術を使ったものかそれらを無傷で回収するなど各方面で功績を上げ、自らも入り婿である当主はこの働きを評価し、彼を跡取りに迎える英断を下した。 崖から落ちた荷車をすくい上げたのは鬼風の仕業。 鬼風の助力がなければ、今の春虎はありえない。 「もっと嬉しがれよ、美人な嫁さんと次期当主の地位が約束されたんだぜ?」 「無理だよ、恐れ多くって……それにその、なんというか……」 隣の虚空をちらり一瞥、すぐに視線をそらす。 「お嬢様は凄く美人だけど……」 「乳とケツがでかいほうが好み?」 「全然ちがうってば!」 みなしごの自分がお嬢様と夫婦になっていいのだろうか。 いや、それ以前に。 「わかった、尻に敷かれんのがやなんだろ?図星か?入り婿ってなあ肩身が狭いからな、逆玉乗ったところで食卓の隅で冷や飯食いなんて目もあてられねえ」 数年前に自分を抱きとめた厚い胸板と逞しい腕を反芻、胸が不思議と高鳴る。 「―とまあ、女をめろめろに惚れさす秘訣は閨房の手管だ。これさえ踏まえときゃ夫婦安泰、尻に敷かれる前に上に乗って」 「劉が木から落ちたの、お嬢様に扇子を投げ付けられたからなんだ」 べらべらしゃべっていた鬼風が口を閉ざす。 春虎は膝を抱き、ぼそぼそ呟く。 「お嬢様の着替えを覗いて怒りを買ったんだ。さいわい面は割れなかったけど」 「ぜひとも下穿きの色を聞きてえな」 「赤」 「えっ?」 水面で鯉が跳躍、水音が響く。 「劉が言ってた」 「あ、そうか、赤、赤ね……情熱的だなあ」 「……いいなずけが辱められて怒らないなんてへんじゃないか」 お嬢様は美しい人だ。 けれど 「他のヤツらが言うんだ、女の裸を妄想するのは男の業だ、好いた女の裸に勃たない男はいない……僕、そういうの一度もなくて……夢に見るのは」 あの日の抱擁 黒い羽が舞い散る中、ほんの一瞬垣間見た鬼風のすがた。 変だ、おかしい、何を言ってる、洪水のように言葉があふれだしとまらない。 声だけしか知らないのに、顔も知らない相手に、どうしようもなく胸が高鳴って。 鬼風。 クイフェイ。 春虎が授けた名。 命名は契り。絆を強くするための。 手首に捻りを加え投擲すれば、水を切って石が飛ぶ。 水面に生じ消えていく同心円状の波紋に視線を投じ、決心。 「……鬼風」 「なんだよ」 「いつになったら姿を見せてくれるの。待ちくたびれた」 「恥ずかしがりやなんだよ俺様は」 「嘘だ。絶対。恥ずかしがりやは様なんてつけない」 「色々準備ってもんがあんだよ、百年封印されてたんだから完全回復には百年かかるって理屈でわかんだろ」 「百年たったら死んじゃってるよ僕。一生ずっと死ぬまで会えないの?」 「会ってんだろこうして、なにが不満だ」 「会ってない、しゃべってるだけ。鬼風は隣にいるけどいないじゃないか、鬼風には僕が見えるけど僕には鬼風が見えない、いい加減不公平だよ」 「知るか。だよだよ鬱陶しい喋り方やめろ、ガキか」 「鬼風の前だけだこんなしゃべりかた、お前といると知らないあいだに昔にもどっちゃうんだからしかたないじゃないか!」 春虎が珍しく激すれば、どこまでも軽薄な調子でそれを受け流す。 「お前は人で俺は鬼、公平たれとか今さら屁理屈持ち出すのがおかしいんだ。子供返りはやめて大人になれ春虎、俺が尽くしたおかげでお前は商家の若旦那、成り上がりまっしぐら大出世バンザイじゃねえか」 「下心で助けたんじゃない」 「白状しちまえ、馬鹿にする連中を見返したくて俺の力を借りたんだろ。人間ってなあ欲深で傲慢な生き物だからな、百年たってもちっとも変わんねえ」 「ちが……うよ」 ただ寂しくて、 友達が欲しくて。 「願いを叶えてやるって言われて、身の丈にあわねえ夢を見たんだろ?」 それは真実だ。 札をはがせば願いを叶えてやるぞと唆され、春虎は決断した。 なんでも願いを叶えてくれる、友達になれと乞えば一緒にいてくれる、だけどそれは主従としてじゃない、恩返しを強要したことなんか一回も…… ないと言えるか本当に? 鬼風のおかげで春虎は孤独から救われたが、鬼風はどうなのだ? 本当はずっとずっと自由に飛び回りたかったのを、報恩の義理に縛られていたんじゃないか? 「屋敷を手に入れたらお役ご免だな」 「え」 「だってそうだろ?屋敷で一番偉くなるのが望みならもう積んでるじゃねえか」 春虎には見えないが、きっと今、鬼風は伸びをしている。 ここから去る準備とばかりに。 嫌な予感が胸を塞ぐ。 口の中が渇く。 「………僕がお嬢様と夫婦になったら………」 「諸国漫遊下穿き巡りにでもでかけっかなあ、枷がとれて身軽になる事だし」 枷。 「………出してなんかやるんじゃなかった」 枷だったのか、自分は。 思惑はどうあれ今まで自分を助け尽くしてくれたのは事実で、それでも感謝の念はたやすく怒りに裏返り、耐え切れず駆け出す。 心の片隅で追って来るのを期待したが、鬼風は来ない。 「急いでどこ行く春虎、またお嬢様の呼び出しか?堂々サボる口実できていいな」 庭の北西の果樹園でぐいと肩を掴まれ立ち止まる。 楊だ。 「はなせよ!」 肩を掴む手を乱暴に振りほどく。 楊は一瞬目を剥くも、ぶたれた手を引っ込め、これまでの態度が嘘のようにしおたれる。 「……悪ィ、つい。嫌味だったな」 「?」 春虎が屋敷に来てからこっち、のろまだぐずだとさんざん虐げてきたいじめっ子の筆頭が口ごもる。 「その……今さら虫がいいかもしんねえけど、謝りたいんだ」 「……何?」 「いやがらせ。根に持ってんだろ?」 上目遣いに問われ、言葉に詰まる。 「無理ねえよ、うん、お前は悪くない、悪ィのは俺たちだ。むかしは一番ちびだって理由で、最近じゃお嬢様との相愛ぶりやっかんでさんざんいじめてきたもんな。けどな、ホント反省してんだ。正式に旦那になったらおいそれ会えなくなるだろ?だから、さ、今のうちに謝っとこうとおもって」 ああ、そうか。 次期当主に取り入ろうとしてるのか。 自然にそう思ってしまう自分が哀しかった。 鬼神の言う通りだ。人間はなんて欲深で傲慢な生き物なんだ。 「他のヤツらもおなじ気持ちだ、謝りたいって言ってる」 「……いいよ、気にしてない」 「気にしてないはずねえだろ、俺たちがお前にしてきたこと考えりゃさ。……俺たちみんなガキだったんだ、自分より弱えヤツがいるって安心してた。お前ひとりに掃除をおしつけたり花瓶を割った罪なすりつけたり……だけど春虎、お前ときたらどんな手品を使いやがったのか、それぜんぶあざやかに切り抜けてきた。俺たちとは格が違う、やっかむだけ馬鹿だってやっとわかった」 「昔の話じゃないか」 正直、割り切れぬ思いはある。 仲間はずれにされた寂しさ、のけものにされた口惜しさは忘れられない。 ひとりぼっちが寂しくて枕を濡らした夜もあった。 あれから数年たった今、意地悪ばかりする朋輩よりも、顔さえ知らぬ鬼風を余程近しく感じている。 春虎が落ち込めば軽口叩き、べそかけば道化て茶化し、弱音を零せば激励し いま、春虎が親友と呼べるのは彼だけだ。 彼をおいて他にいない。 果樹園に風は吹かない。 鬼風は追って来ない。 心ここにあらずの春虎に取り縋り、卑屈に懇願する楊。 「頼む、けじめをつけさせてくれ。次期当主に働いたご無礼の数々、思い出すだけで顔から火が出る!俺たちにやり直すきっかけをくれ春虎、心を入れ替えて真面目に働くから、もう金輪際悪さしねえから」 春虎の腕をぐいと引っ張る。 「来てくれ、みんな待ってんだ」 「どこ行くんだ?」 「察しが悪ぃな、土下座する場所くらい選ばせてくれ」 適当にはぐらかし、春虎の腕をぐいぐい引っ張って裏の藪を突き進む。 道順に既視感が畳みかける。 懐かしい廃廟が藪の中に立ち現れる。 「楊、ここは」 「知ってるよ、鬼神が封印されてんだろ?迷信だ、お前はぴんしゃんして帰って来たじゃねえか」 巨大な扉を開け放ち、大股でのりこむ。 奥へ奥へさらに奥へ、楊に腕を掴まれ歩くうちに疑念と不安が膨らむ。 「板が腐ってて危険だ、出よう。話は外でもできるじゃないか」 突き飛ばされ、床に転げる。 楊の形相が豹変する。 「……畜生、詐欺だぜ」 背中に冷や汗をかく。 無造作に投げ飛ばされたのは祈祷壇が鎮座まします最奥の間、床には無数の足跡が入り乱れている。 柱の影から歩み出たのは全員顔見知り。 楊を筆頭にした朋輩たちが、憎しみと妬みにぎらぎらする目で春虎を取り巻く。 「臆病弱虫みそっかす、一番の下っ端の分際でこけにしやがって」 「お嬢様のいいなづけ?自分だけ美味しい思いしようたってそうはいかねえ」 「どんな手使ってとりいったんだよ、え」 「あの簪だってホントはお前が隠したんじゃねえか」 「カラスの仕業に見せかけてさあ」 「お嬢様に近付くために仕組んだんだろ」 暗澹と渦巻く妬み嫉み、口から吐き出される呪詛、罵倒。 「上手くいきすぎなんだよなにもかも」 「できすぎてる」 「崖の下におっこった反物を回収するなんざ人間さまにゃ不可能だ」 「噂は本当か?」 「鬼神が憑いてるって噂はよ」 謝罪は嘘だ。 逃げろと本能が急きたてる、多勢に無勢で蹴り倒される、鳩尾に蹴りをくらって無様に転がる。 楊が春虎を張り倒す。 「鬼に魂売ったんだろ?」 鬼風。 「お嬢様の処女を散らす前にうしろの蕾をほぐしてやらあ」 不浄な廟にどす黒い狂気がはびこる。 「………っ、やめろ、さわるな!!」 服を毟り取られ身悶える。 「キレイなもんじゃねえか」 「今だから言うけどお前の寝顔でマスかくのが俺らの夜の愉しみだったんだぜ」 俺も俺もと唱和する声、なんだお前もかと爆ぜる笑い……怖い気持ち悪い助けて。 固く目を瞑るも感触までは消せず、露な素肌を無数の手と唇が凌辱。乳首を抓られて鋭い痛みが走る。 「っあ、ぁうく」 「こりこりして気持ちいいだろ」 「こんな事してただですむと……」 「旦那様にチクるか?寝小便たれがお偉くなったもんだなあ」 楊が馬鹿にしきって笑い、下穿きを取り払って晒した下肢をこじ開けて、隆々たる昂ぶりを抉りこむ。 「!そこはっ、―ひっ、やぁ」 「精は通ったのか?初夜で失敗しねえようヤり方仕込んでやる」 「閨房で粗相して離縁されたんじゃかっこ悪すぎらあな」 「跡取りなら子作り覚えねえとな。上の口にも下の口にもたっぷり子種を注いでやるよ」 「僕がなにをしたっていうんだ、お前らの気に触るようなことなにもしてない、逆恨みじゃないか!」 視界を闇が閉ざす。 「!っ」 目隠しをされた。 頭の後ろでキツく布を縛る、視覚を奪われた恐怖で最後の理性が霧散する。 「生っ白いなあ」 体を引き裂く衝撃。 抱え込まれ折りたたまれた膝。脈打ち昂る肉が後孔を穿ち、強引な挿入と抽送に裂けて血がぬめる。 「あっ、あっ、ああっ」 「あーあ、お婿にいけねえ体になっちまったなあ」 「は、すっげえ締まりがいい……」 生木を裂くように両足を高々吊り上げ蕾を散らす、腰を叩き付けるごと仰け反る喉から絶叫が迸る、入れ代わり立ち代わり男たちが上の口に下の口に顔と体中に跨って白濁した欲望を注ぐ。 足捻って動けねえうちに仕返ししてやりゃよかったのに。 今ならきっと、躊躇なくそうする。 固く扉が閉ざされた廟には風も吹かず、陵辱に心砕けた春虎を絶望の闇が飲み込んだ。

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