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第1話

 ネット上で創作怪談を呟くのが趣味の友人が居る。俺も怖い話は好きだからフォローしていたのだが、どうも最近様子がおかしい。  二週間前に『鏡の中からノックしてくる自分』の話をしてから、更新が無いのだ。アカウントを作ってから連日更新し続けていたのに。ネタが浮かばないだけなら良いが、妙な胸騒ぎを覚えて友人のマンションを訪ねた。  困ったときに頼る肉親がいないくせに、頼れるような知り合いを作ろうともしないのがあいつの悪い癖だ。理由も無く飯を抜きがちだから、脱水症状やら空腹やらで倒れているかもしれない。前にも一度、水を飲み忘れた、と言って倒れていたことがある。  無いよりマシかと買い込んだインスタント食品の袋を片手に、マンションの扉を叩いた。チャイムが壊れているのだ。いい加減直せ、と言っているが、へらへら笑うばかりで放置されている。 「鴨居ー、いるかー?」  しばらく叩くも、返事は無い。諦めずに叩き続ける。炎天下の中歩いてきた俺は既に汗だくで、正直ここまで来たら鴨居が無事だろうと冷房に当たってから帰りたかった。  茹だる頭で後悔をし始めた頃、ふとドアノブに手を掛けた。本当に、ただ何となく引いただけの扉がすんなりと開くのを見ながら、少なくとも異臭はしないな、と頭の片隅で安堵する。  妙に薄暗い室内を覗き込む。見える範囲には鴨居の姿は無いが、冷房が効いているから居るのは間違いなかった。  靴を脱ぎ捨てながら溜息を吐く。全く、無用心にも程がある。靴を揃えろ、とかどうでもいいことには拘るくせに、こういう所が雑なんだよな。小言を言われるのも気分が悪いので、転がった靴を揃える。ついでに鍵をかけておこう、と手を伸ばした俺は、そこで揺れるチェーンに気づいて首を傾げた。  あれ、俺いつ鍵閉めたんだっけ。  ご丁寧にチェーンまで掛かっている扉を見ながら考えるも記憶が無い。暑さで朦朧としていたから意識せずに掛けていたのかもしれない。まあいいか。リビングのテーブルにスーパーの袋を置く。シャワーの音もしなかったし、トイレの電気は消えていた。残るは寝室だろう。  余計なお節介を、と文句を垂れる姿が目に浮かぶ。心配させるお前が悪い、と脳内の鴨居に返事をして、俺はスライド式の扉を開けた。  やはりというか、寝室にも電気はついていなかった。寝ながらゲームがしたい、と持ち込まれたハード類とモニター、ベッドの上から下ろされる事の方が少ないノートパソコンと、脱ぎ散らかした洋服に囲まれて眠っているのがいつものスタイルだ。だが、今日の鴨居は少し様子が違った。 「……鴨居?」  ベッドの端に腰掛け、俯いている男。どう考えたって部屋の主である鴨居だろうに思わず確かめるように声を掛けてしまったのは、居住まいがあまりに普段のあいつとかけ離れていたからだ。  両膝の上に握り拳を置き、俯いたまま微動だにしない。何故か此処に来て、俺は玄関の鍵のことを思い出していた。冷房で冷やされた頭が、少しはまともな記憶を引っ張り出してきたのだ。俺の手は一度も鍵に触れていなかった。  さほど広くもない部屋だ。ここからでもチェーンを確かめることは出来る。ふと気になって玄関先に目をやった俺は、そこで引き戸を握り締めたまま硬直する羽目になった。  玄関に男が立っている。  だらりと両手を垂らした男は、ベッドに腰掛けていた時と同じように俯き続けていた。相も変わらず微動だにしない。  此処で、再びベッドの方を確認する度胸は俺には無かった。目を離した隙に移動したのだ、次も目を離せばどうなるか分からない以上、凝視するしかない。  訳が分からない。一つ確かなことは、あれは鴨居ではないということだ。恐らく、鴨居でないどころか、人間ですらないだろう。  対処法など思い浮かばない。ただ凝視するしかなく、口を引き結び細く息をする。そうこうしている内に、どうやら不味いことになり始めた。  男が顔を上げ始めたのだ。ゆっくりと、動き始めた男から、今度は目が離せなくなる。心臓が煩い。嫌悪感が胃から這い出してくるような感覚。喉の奥を重く苦い空気が突き上げてくるような、強烈な吐き気に、目に涙が滲む。どう考えたって不味い。あれを見てはいけない。だというのに、俺の身体は俺の言うことを聞きやしなかった。ああもうコレ駄目だ。恐怖を諦めが上回りかけたその時、ポケットの携帯が喧しく鳴り始めた。 「うわっ!? な、なんッ、だ、誰だよ!」  何故かキレ気味で手に取る。手が動く、と気づいた時には通話口からは鴨居の声が響いていた。 『野竹、あいつに鏡見せろ』  あいつ、というのはたった今俺の方へ一歩踏み出した男のことだろうか。 「はあ!? 急に何言って、ていうかあいつは一体――――」 『いいから早く』  いつになく真剣な声音だったので、俺は迷うことなく鴨居の言葉に従った。俺のスマホカバーには何故か鏡が付いている。手帳型のそれの内側についている鏡を、気づいたら此方に近づいていた男に向ける。まるで糸で吊られた人形のような動きで俺との距離を縮めていた男だったが、俺が鏡を掲げた瞬間、弾かれたように後退し、その場に蹲って悶え苦しみ始めた。  耳を塞ぎたくなるような声が響き渡る。反射的に両耳を手で覆い、目を瞑っていた俺が気づいた時には、目の前で蹲っていた男は跡形も無く消え失せていた。  男が消えてほっとしたものの、困ったことに男だけでなく鴨居も消えているようだった。戻ってくる気配も無く、連絡を寄越した鴨居にかけ直そうと確認した着信履歴は文字化けしていてさっぱり読めなかった。通常の番号には掛けても繋がらない。  鴨居は一体どこに消えてしまったのだろう。捜索願を出して貰おうにも、あいつには身寄りが無い。探偵を雇うことも考えかけた俺だが、自宅に戻り洗面台の前に立った瞬間、そんな考えは消え失せていた。  俺の背後に鴨居が立っていた。振り返る。姿は無い。再度鏡を見ると、鏡の中から、見慣れたあほ面がひらひらと手を振っていた。  鴨居の話をまとめるとこうだ。  鴨居は創作怪談と称し、実体験の投稿をしていた。そんなある日、とある呪術関連の書物を読んでから『鏡の中で勝手に動く自分』を見るようになってしまったらしい。  最初は些細な乖離だったのだが、鏡の中の自分はいつしか全く別の行動を取るようになり、気づいた時には鏡の中の自分と、現実の自分が入れ替わっていたのだという。突拍子もない話だが、目の前に鴨居が居る以上、信じるほか無い。  どうやら上手いことすれば電話で意思を伝えることは出来るらしい。何故俺についてきたかと言えば、俺のスマホカバーの鏡に取り憑いてしまったからなんだとか。説明されたが、結局の所はよく分からなかった。  まあ、戻ってきたならそれでいい。お前の心配をする奴なんて俺ぐらいしか居ないのだから、俺の側に居るのが一番良いだろう。  そんな訳で、俺は今、鏡の中の鴨居と共に暮らしている。鴨居が鏡の中に居る、ということ以外、俺らの関係は依然とさほど変わらない。 『……あ、待った。そこちょっと書き直すわ』 「またかぁ? 『居る』も『居た』もそんな変わんねえじゃん」 『140字だと結構意味あんだよ、バカ』 「んなこと言うと書いてやらねえぞ」 『あーはいはい、ありがとう野竹、いつも感謝してるよ』 「雑かよ」  変わったことと言えば、俺が鴨居の怪談を代筆するようになったことくらいだ。通話は出来ても文字を打つのは辛いらしい鴨居に変わって、俺が創作怪談アカウントを運用している。  幽霊――と言って良いのかは分からないが――になっても鴨居は鴨居だった。その辺の鏡の中で顎に手を当てうんうんと唸っている鴨居を横目に見ながら、先程から微調整を重ねている呟きを眺める。  先日出向いた心霊スポットの話だった。鴨居の怪談は実話な訳だが、俺が鏡を持ち歩かなければ動きようが無いので、俺は毎夜のように心霊スポットを歩き回る羽目になっている。怖い話が好きとはいえ流石にいい迷惑だったが、鴨居があんまりにも嬉しそうにしているので、まあいいか、と思ってしまう。人を頼ることに消極的な鴨居が頼ってくれるというのは、俺にとっても嬉しい状況だった。 「そういやお前、なんで実話だって言わないんだ? その方が怖いんじゃないのか」 『ん? ああ、実話ってつけるとあんまりにも数が多くて嘘つき呼ばわりされるから止めた』 「…………そうか」  確かに、怪談でなくても、あんまりにも特異な体験談は語りすぎると盛ってる感が出るもんな。  奇妙な納得を抱えつつ、鴨居の指示に従って文を直す。これを読む内の何人が、この文を真実だと信じてくれているのだろう。信じたとしても、まさか幽霊が書いているとは思わないだろうな。数十人のフォロワーを眺めながら、俺は直し終えた文を投稿した。

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