「そう言えば、もうすぐ雪だな。ま、日本みたいにどかどか積もらないけど」 「積もらないんだ？」 「北京でもほとんど積もらないよね。降るのも年に数回だけだし」 　雪は積もらず、からからに空気が乾いてただひたすら寒いだけという日が続く。極端に湿度が低くて喉を傷めやすいので、加湿器は必需品だ。 　そして一度雪が降ると、大通り以外では溶けずに残った雪が踏み固められてアイスバーン状態になるのでとても危険なのだ。 「でも部屋は暖かいでしょ。北方は全館暖房入るからいいけど、半端に耐えられる寒さの地方のほうが暖気《ﾇﾜﾝﾁｨ》(暖房)なくて寒いんだよね」 　暖気とは集中ボイラー室で沸かしたお湯を全館に張り巡らせたパイプに通して建物全体を暖めるタイプの暖房をいう。集合住宅はほとんどこのタイプの暖房なので、入口を入ってしまえば廊下もトイレも建物全部丸ごと暖かい。だから建物内では意外と快適で、薄着で過ごせる。 「ところで、ぞぞむはどこに行ってるの？」 　櫻花公司の代表、佐々木啓太《ｻｻｷｹｲﾀ》、通称、佐々木《ｿﾞｿﾞﾑ》はバイタリティあふれる男で、中国各地を飛び回っては新規商品を見つけてくる。 　気に入れば工房、工場まで訪ねて行って、買付け交渉をしたり生産契約を結ぶこともある。そういう地道な交渉の果てに現在がある。 「先週からまた雲南《ｳﾝﾅﾝ》に仕入れに行ってる。松本《ｿﾝﾍﾞﾝ》が赴任して2ヶ月経つから、そのフォローもあるんだろ。あと刺繍工場の視察と職人探し」 「相変わらず忙しいね。ぞぞむには長いこと会ってないな」 「ぞぞむも会いたがってた。でも寒いのが苦手だから、当分こっちに来ないんじゃないかな。今回も声かけたけど、任せるって言われたもん」 　レオンは羊肉を鍋に放りこむと、ぐいぐいとビールを飲んだ。 「松本《ｿﾝﾍﾞﾝ》もけっこう苦労してるみたいだったよ。店をやるとどうしても在庫が必要になるから、生産体制を整えるのに時間がかかるみたいだな」 　孝弘の言葉にレオンは顔を上げ、それから「ああ」とうなずいた。 「そうか。二人で国慶節《ｸﾞｵﾁﾝｼﾞｴ》に雲南《ﾕﾝﾅﾝ》に行って来たんだもんね。祐樹さん、どうだった？」 　雲南省には少数民族が数多く住んでいるということくらいしか知らなかった祐樹は、実際に行ってみて、ようやく中国は多民族国家という実感を持った。 「びっくりしたけどすごく面白かったよ」 　雲南省全体が開放地区になってまだ間がないし、孝弘が連れて行ったのはいわゆる辺境の村だが、都会しか行ったことのない祐樹には、新鮮で驚きの連続だった。 「松本《ｿﾝﾍﾞﾝ》にも会えたし、久しぶりに行くと雲南やっぱいいな」 「松本、元気にしてた？」 「してたしてた。あちこちの家に呼ばれて、太って困るって言ってた」 　松本美沙《ｿﾝﾍﾞﾝﾒｲｼｬｰ》は孝弘と同時期に留学していて、今年から櫻花貿易公司《ｲﾝﾎｧﾏｵｲｰｺﾝｽ》に入社した。2ヶ月間の研修という名目のもと、ぞぞむと一緒に中国各地の櫻花公司の工房めぐりをしていたのだ。 「そういえば、松本の研修は工房と市場めぐりだったよね？　どうだったって？」 「かなりおもしろかったみたいだ。二人で市場行っては値切り倒して来たって。買い物しまくったって言ってた」 「わかるー、あの二人、絶対気が合うよねー」 　松本はその研修を終えたのち、７月から立ち上げた大理《ﾀﾞｰﾘｰ》支社に赴任した。支社といっても北京と同じように、事務所として借りた部屋にまだ松本が一人で住んでいるだけでほかにスタッフはいない。 　主な仕事は生産品質管理と経理処理で、要するに各工房を訪ねて回って技術指導と新商品の品質チェックと完成品の回収だ。 　郵便事情がたいへん怪しい国なので荷物が行方不明になることもしばしばあり、直接工房まで出向いて商品を引き取って回っているのだ。そしてついでのようにみやげ物屋も開いている。 　都会じゃなく田舎に住んでみたいと希望した松本には、その仕事が合っていたようで楽しげに村めぐりをしていた。職人たちとも仲良くなって、娘のようにかわいがられていた。 　祐樹は松本と初対面だったが、ふっくらした体つきの笑顔がかわいい女性だった。