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「そのうちここも再開発されちゃうかな?」
「だろうな。駅前の一等地だし、今は街中が総入れ替えって感じだもんな」
あちこちで古い建物が壊され建築中のビルがあり、工事の音が響いている。大連は急速に発展中の街なのだ。
新しい物と古い物が入り混じって、最新の家電から手回しのレトロな機械まで雑多に詰め込まれているおもちゃ箱のような状態だ。時々、孝弘はそれを不思議に思う。
外を歩いているうちに冷えたので、昼食は海鮮の店に入った。海がすぐ側だから鮮度に問題はないが刺身を食べる習慣はないので、海鮮の店と言えば茹でた海老や海鮮鍋だ。
けっこう体が冷えていたから温かい鍋はおいしかった。
「やっぱ冷えるね」
「でもビール飲んじゃうんだよなあ」
大連黒獅ビールを頼む。
中国はどこに行っても地ビールがあるから孝弘にはなかなか楽しい。
「鍋食べるから平気じゃない?」
「うん。それに昼のビールは最高」
「だよね。あ、おいしい」
二人で一瓶だけにして、海鮮鍋を食べたらお腹の中からほこほこと温まった。
「辣椒《ラージャオ》入れ過ぎたかも」
「喉痛い?」
「少し。でもうまいからつい入れ過ぎるんだよな」
テーブルに置いてあった唐辛子の調味料がやたらおいしかったので、ラベルを覚えておく。後でスーパーで買って帰ろう。
「次、どこ行く?」
「せっかくだから、ロシア街行ってみようかな」
「写真撮るにはいいかもな、ここから近いし」
「なんだかんだ言って、用事ないから行ったことないんだよね」
「俺もそうだよ」
ロシア街までは腹ごなしに歩くことにした。
ロシア街と言っても旧日本人街と同様で、現在ロシア人が住んでいるわけではなくロシア統治時代に造成された街だ。大連駅から10分も歩くと日本統治時代には日本橋と呼ばれていた勝利橋に着く。
「確かにちょっと東京の日本橋に似てるね」
橋を渡りながら祐樹が言う。
横から見ると二重橋の装飾の感じが似ていた。
そこからもうロシア統治時代の建築群が見えた。
「ロシア統治っていつだっけ、1900年代だよね?」
「うーん、俺もはっきり覚えてないな。確か1900年直前にロシアが租借したと思う」
1800年代の最後あたりにロシアが租借地となった覚えがある。その後、日露戦争を経て日本統治が始まったのは1905年のことだ。
「てことは、100年くらい前の建築物ってことだよね」
「だな。そう考えると歴史的な街なんだって感じがするよな」
「うん。開発区内に住んでると全然実感ないけどね」
「確かに。開発区内から出ないで生活してると中国感ってほとんどないしな」
最新のビル群の中で仕事をして生活区のマンションに帰るという生活なので、こうして街に出て来なければ大連にいることを実感することはない。
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