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第1話

 納得いかない。  純一(じゅんいち)は膝を抱えて恨めしそうに海を見やる。そこには友人カップルの(みなと)(はじめ)が、楽しそうに海で遊んでいた。  高校最後の夏休み。純一たちは想い出作りとして、海に来ていた。湊たっての希望で、彼のツテでプライベートビーチを利用させてもらうことになり、純一もそれはそれは楽しみにしていた。なぜならこういうイベント事はワクワクするし大好きだからだ。だから絶対海で泳ぎたかった。なのに。  純一はパラソルの日陰の下、隣で静かに本を読む(つかさ)を睨む。彼は純一の視線に気付いているはずなのに、しれっとスルーするのだ。  司は無造作風にセットした黒髪を梳いた。しかし切れ長の目はずっと本を見ていて、一向にこちらを見る気配がない。当然司も水着姿だが、日に焼けるからと長袖のラッシュガードを着ている。前のチャックが開いているので、白い肌にうっすらと筋肉の凹凸が見え、慌てて視線を湊たちに移した。  やっぱり納得いかない。  湊と肇は海を自由に泳いでいて、二人とも時々上半身が見える。湊はさすが鍛えていて、男が惚れ惚れするような身体つきだ。一時期女性向け雑誌に、アイドルのグラビアが載って話題になったけれど、それと比べても遜色ない顔と身体の湊は、通りがかりの女性の視線を集めている。入って来られないから見られているだけだけれど、ここがプライベートビーチで本当に良かった、と純一は胸を撫で下ろした。  そしてそんな湊の彼氏の肇は、コスプレイヤーとしてそこそこ人気のある人で、中性的な容姿にやはりいい身体つきをしていた。コスプレするから気を使っているようだけれど、女性キャラのコスプレもするだけあって、腰が細くて肌も綺麗だ。 (って、観察してる場合じゃない。どうして俺だけ……)  純一は再び司を睨む。  純一はこの司のせいで、海水浴はおろか、水着に着替えることすらできなかったのだ。 (いやどうせ俺なんて、たいした身体してないし、見せたい訳じゃないけどさ)  けれど、海には入りたかった。  純一は膝を抱えたまま顎をそこに乗せる。湊と肇の笑い声が聞こえて、ますます恨めしくなる。 「……どうした?」  司が読んでいた本を閉じて声を掛けてきた。この、分かっているくせにこういうことを言うのもムカつく。 「どうした? じゃないよ。俺、海に入りたかったのに……」 「入ればいい」  そう言って、司はまた本を開いて読み出した。何となく、彼の語尾に「入れるものならな」と聞こえた気がして、純一は声を荒らげる。 「できるならそうしてるよ! けど司が……!」  そこまで言って、純一は言葉を止める。ダメだ、人目をはばからず言っていいことじゃない。いや、司は気にしないかもしれないけれど、俺が恥ずかしくて死ぬ、と頭を抱えた。 「……何を怒っているんだ?」 「怒るだろっ。あんな……あんなに……っ!」  人前で着替えるのもはばかられるほど、噛み跡を付けるなんて、とはとてもじゃないけど言えなかった。鬱血したそれは、際どい所なら水着だけで隠せたものの、背中や肩、胸などにも付いているから厄介だ。 「いつも付けるなって言ってんじゃんっ」  何で俺だけ楽しめないのさ、とついには涙目になってしまい、純一は乱暴に目を擦る。 「悪かった」 「悪いで済んだらケーサツいらねぇっ!」 「そうか。……じゃあ」  司はそう言うと、本を閉じてブルーシートの上に置く。すると、おもむろにラッシュガードを脱いだ。見慣れた彼の身体だと分かっていても、水着姿は新鮮で、純一は変にドギマギしてしまう。  そして司は両腕を広げて、来い、と言うのだ。 「へ?」 「俺にも噛み跡を付ければ、お互い様だろう?」 「そういう問題じゃない!」 「え、何? 司また純一に噛み跡付けたの?」  純一が思わず立ち上がって叫んだところで、タイミング悪く湊たちが戻ってきた。肇も、純一が着替えたがらない時点でそうだとは思ってたけどな、と冷静だ。  いたたまれなくなった純一は、今にも砂浜に穴を掘って埋まりそうだ。ここがプライベートビーチで良かったと言うべきか。 「うう……」  純一の様子に湊は苦笑すると、分からなくもないけどね、やりすぎだよ、と司を注意する。 「湊ぉ……分かってくれるのか」  純一は涙目で湊を見た。しかしニッコリと笑った彼は、純一が思っていたこととは全然違うことを言う。 「純一は可愛いし、水着姿を誰にも見せたくないってのは分かるよ? でも、純一を悲しませることはしちゃダメだよ」 「……は?」  純一はてっきり、噛み跡を付けられた自分の味方をしてくれるのだと思っていた。けれどそれに肇もうなずき、司は図星なのか無言でそっぽを向いている。 「ちょっと待て、その前に噛むなって言ってくれよ……っ!」 「諦めろ純一。それは司の愛情表現だから」  分かってるだろ、と肇。  いや毎回そうなるから知ってはいるけどだからやめて欲しいと散々言ってるのに、と純一の頭の中は文句でいっぱいだ。しかし出てくるのは言葉にならない音だけで、その代わりのようにまた涙が出てくる。 「司なんて……嫌いだあああ!!」  純一は泣きながら砂浜をダッシュする。珍しく慌てたような司の声がしたけれど、無視した。  その後、司にはめちゃくちゃ甘やかされながら慰められ、やっぱり噛み跡を新たに付けられたことは、言うまでもない。

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