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第2話

 伸也の住むマンションに着いた透は、中に入るなり綺麗に掃除されていた部屋を見て声を上げた。 「わぁ、さすがだね!」  間取りは2LDK。将来のことを考えて、と一人暮らしにしては少し広めの部屋を借りていた伸也は、透に褒められてにこりと微笑む。 「透が来るからと思って、頑張ったよ」 「え? そんなのいいのに! これからオレもやるんだしさ。この床なんて、鏡みたいじゃん」  リビングへと続く廊下を歩きながら、透ははしゃいだ。本当に、どこもかしこもピカピカで、汚したら申し訳なく思ってしまいそうだ。 「あ、リビング行く前に。この左側が透の部屋だよ」  そう言って伸也はドアを開けてくれた。伸也の部屋よりは狭いらしいけれど、間借りさせてくれるだけ御の字だ。透は荷物をそこに置いて、再びリビングに向かう。 「でも良いの? ベッドも布団も無いけど……」 「いいのいいの。しんちゃん、オレがどこでも寝られるって知ってるだろ?」  そう、いち早く家を出たかったので、大きな荷物の運搬はまだなのだ。布団はともかくベッドは車で運ぶのが必須なので、伸也に手伝ってもらおうと思っている。  リビングに入ると、南側からの陽光で部屋はとても明るかった。しっかり整理整頓されて生活感は最低限だけれど、伸也の部屋らしいな、と透は思う。 「やっぱ落ち着く。しんちゃんの部屋」  窓から外を覗くと、小高い丘の緑に囲まれて、透が通う大学が見えた。最上階の八階でそこそこの田舎なので見晴らしは最高だ。 「しんちゃん」  透は伸也を振り返って両腕を広げる。 「アレやってよ」  そう言うと、伸也は仕方がないな、と苦笑しながら透に近付いた。そしてその長い腕で、透をふんわりと包む。  透ははあ、と息を吐くと、伸也の胸に額を寄せた。  伸也の落ち着いた鼓動が聞こえて、透は自分の神経が落ち着いていくのが分かる。  昔から、伸也に抱きしめられると不思議なほど落ち着くのだ。それはこの歳になっても変わらず、定期的にこうやって抱きしめてもらい、透は心を落ち着けている。 (やっぱりこれも、幼なじみの域を超えてる……んだろうな)  それでも、これがなければ透は透のままでいられなかっただろうし、これからこれをいつでもやってもらえると思うと、嬉しい。  透は先程伸也に抱きついた時のように、大きく息を吸って、伸也の服に付いた柔軟剤と、彼の匂いを嗅ぐ。 (うん。やっぱり落ち着く……)  いい匂いと、温かな体温をひとしきり堪能すると、透はまた顔だけ上げて伸也を見る。 「……ん。ありがと、しんちゃん」  伸也もまた、目を細めて透の頭をポンポンと撫でた。少しくすぐったくて温かい気持ちになり、透も笑う。 「……今日はこれからどうする?」  伸也は透の髪を()くように、頭を撫でてくれる。透は甘えるように腕に力を込めると、クスクスと伸也は笑った。 「どうしたの?」 「いや……久々だから」  なかなか離れないことを言っているのだろう。けれど伸也からは動かず、透の気が済むまで待ってくれている。 「久々って……一ヶ月前もこうやってなかなか離れなかったよ?」 「あれは……一ヶ月会えないって分かってたから……」  本当は、ずっとこうしていたいけれど、さすがにそれは色々とまずいのは、透だって分かる。けれど離れ(がた)いのは確かだし、時間もあることだしと、ここぞとばかりに甘えてみた。 「こら透。せめて座ろう?」 「……ん」  誰にも──親にさえ与えてもらえなかった安心感。それを埋めるように、透は伸也を求めているのは自分でも自覚している。そして伸也も、その事情は分かっているから拒まずにいてくれる。  甘えているなぁ、とソファーに座り直して再び抱きしめてもらい、透は小さくため息をついた。 (いつか、しんちゃんに良い人が現れたら……オレはすぐにここを出るから)  だからそれまではめいっぱい甘えさせて、と透は祈るように心の中で呟く。 「……何かあったの?」  伸也は優しい手つきでまた透の髪を梳き、尋ねてきた。さすが伸也だ、透がなかなか離れないことで、何か嫌なことがあったのだと、見抜いていたらしい。  透は顔を伸也の胸に預けながら、ボソリと呟く。 「『どうせすぐに戻って来るんだろ』って……」  誰に言われたのかは言わない。言いたくない。 「ああ……」  伸也は透を抱きしめる腕に力を込めた。温かい、しっかりした感触は、透の不安定な心をしっかりと掴んでいてくれる。 「大丈夫。現に説得に成功して、ここにいるじゃない。未来は誰にも分からないよ」 「……うん。ありがとう」  透はもう、それ以上のことは言わなかった。思い出すのも嫌なので、また意識を変えるためにお願いをする。 「しんちゃん、ちゅーして」  ボソボソと呟くと、伸也はクスクス笑いながら、しょうがないなぁ、と透の両頬を手で包んだ。やはり安心する感触にほう、と息を吐くと、額に柔らかなものが押し付けられる。  軽く音を立てて離れた伸也は「涙が止まるおまじない」といつものように言って微笑んだ。 「泣いてないし」 「そう? なら良かった」  さすがにこの歳だと恥ずかしさがあるけれど、これも幼い時からの習慣だ。むう、と口を尖らせるけれど、ようやく伸也から離れる気になったので、「ちゅー」の効果は絶大らしい。 「さぁ、荷解(にほど)きする? それとも何か冷たいものでも飲む?」  伸也は透が離れる気になったことを悟ってか、そんなことを聞いてくる。本当に、この幼なじみは昔から透の心をコントロールするのが上手い。 「じゃあちょっと飲み物が欲しい。外暑かったんだ」  透は笑ってそう言うと、伸也は透の頭を撫でて、こっちへおいで、とキッチンに案内した。

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