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春の雨

「ああ、旦那。そんなにされたら……死んじまうよ」  於菟二(おとじ)は緋色の夜具に突っ伏して、裸の腰をくねらせる。  少しばかり微温んだ春の雨が、軒瓦を叩いている。庭の梅花がほのかに香る。琴川に架かる鼓橋にほど近い、待合(まちあい)の小部屋だ。 「死ねよ」  後ろから攻めつけている男が、穏やかな声音で云う。 「なら旦那も、死んでくれるかい」 「よかろう」  ごつごつした硬い手指が於菟二の尻を掴み、穿つように腰を打ち付ける。 「ああ、駄目だ。出ちまう」 「かまわん」 「いやだね。あんたと一緒じぁなきゃ癪にさわる」  於菟二は駄々をこねたが、逞しい男柱に奥まで貫かれ、たまらず気を遣ってしまった。  男の方は、息を弾ませる於菟二の尻を深々と二度突いて腰を退く。 「中で出してくれても、よかったのに」  だらしなく寝そべったまま、於菟二は云った。  枕許に添えられた花紙で後の始末をしていた男が、薄闇の中で眼を上げる。  武家様の髷を結った、涼しげな面立ちの、眼の鋭い男だ。年は三十絡み。泰然とした物腰や、香りのよい髪油を使っていることからも上級武士であると窺える。  一方於菟二は、髱を後方に出した当世風の髷を結い、細おもての貌はすっきり整っている。年は二十六。やさ男を絵にしたような風体だが、細身の体は程よく締まってしなやかだ。 「思わせぶりな物云いはせぬがよい。玄人ではなかろう」 「玄人じゃないから云うのさ」 「なるほど」  侍が始末をしていた手を止めて、感心したふうにうなずく。 「お前は賢いな」  口許にやさしげな笑みをはいて、逞しい裸体を乱れた夜具に横たえる。 「旦那は鈍ちんだね。賢いな、じゃあなくて、おれに気があるのか、だろうよ」 「そういうものか」  侍が驚いたように眼を瞠り、於菟二は笑ってしまった。 「しょうがねえなあ、旦那。おっとりし過ぎですぜ」  腕を枕に向き直る。 「名賀浦は、何でもありな商人の町だが、いろんな品と一緒にいろんな奴らが集まってくる。田舎もんは、あっと云う間に身ぐるみ剥がされちまいますよ」 「弱ったな。それではお役が務まらぬ」 「お役?」 「うむ。国許より参ったばかりで町の勝手がわからぬ」 「なら、おいらが案内して差し上げましょうかい」 「お前が?」 「へえ。おいら、中宿で廻り髪結をやっていましてね」 「ほう。なればよく存じていような」 「まあ、一通りは」  於菟二は背を起こして笑って見せる。乱れ箱に脱ぎ置いた粋な縞柄の小袖を引き寄せ、裸の肩に羽織った。  侍が枕元の煙草盆に向かって一服つける。鈍色の薄闇に煙管の火皿の橙色がぼうっと灯る。  於菟二は片膝を立てて火鉢の炭をいじくりながら、さりげなく侍を盗み見た。鍛え込めた筋肉の張りを見ても、相当遣えることが窺える。まして肌を合わせた於菟二には、侍が並の者ではないことなど分かっていた。  いや於菟二は、こうなる前から侍の名も素性も知っている。  侍の名は野田帯刀(のだたてわき)。年は三十二。新任の名賀浦奉行佐竹筑前守の内与力だ。国許で目付をしていたという帯刀が、この名賀浦で何をしようとしているのか、それを探るのが於菟二のつとめだ。 「ねえ、旦那。もう一本つけませんかい?」  於菟二は、火鉢の上の湯気をあげる鉄瓶に手をかざしながら訊いた。運ばれた銚子は、既に二本とも空になっている。 「のん兵衛だな」  寝そべって煙草を喫む帯刀はだが、叱るふうではない。 「商いはもう終いだし、お近づきの印にね」  色目を使うと、帯刀が、しょうがないな、という顔をする。 (存外ちょろい)  腹の中で舌をだす。 「なら、決まりだ」  襖をあけて小女を呼ぶと、酒はすぐに来た。  於菟二は襟許から白い胸を見せたまま、帯刀に名賀焼きの盃を渡した。朱塗の膳にのった肴は、蛸の酢の物と春菜の炊き合せ、白身魚の焼き物だ。風流な庭をもつそこそこの待合だけあって、酒も肴もそこそこ美味いものをだす。 「お前、名は?」 「於菟二と申します。云いませんでしたっけ?」  逞しい肩に襦袢をひっ掛けた帯刀の盃に、燗酒をそそぐ。一口で干した帯刀が、於菟二に盃を持たせて銚子を傾ける。 「聞いたような、聞かぬような」 「旦那、しっかりしてくださいよ」  帯刀の恍けたふうな面つきに、可笑しくなって笑う。口に含んだ燗酒が、舌の上で甘く転がる。 「ね、旦那の御国はどちらです?」 「お前は?」 「おいらは、生まれてこの方ずっと名賀浦でさ」 「嘘だな。江戸にいたことがあるだろう」 「何でです?」 「江戸の匂いがする」 「へえ、どんな匂いだろう」  ぎくりとするも、顔には出さずにやんわり受け流す。雨は上がったようだが、部屋の中は宵のように暗い。 「灯をつけましょうかい」  於菟二は湯気のあがる鉄瓶に銚子を入れて腰を上げた。絹行灯に火を入れる。 「参れ」  淡い光がひろがるや、帯刀が燗酒を干して夜具へと招く。 「致すんですかい?」 「おれに気があるんだろう」 「呑み込みがお早いようで」  裸になって帯刀の傍らに滑りこむと、すぐさま硬い手指が胸乳に触れてくる。 「あとで飯でも馳走してくださいよ」 「よかろう。よい見世はあるか」 「少し値が張りますが、茶屋町の灘屋が美味いものを出してくれます」 「そこにしよう」  愛撫する手に熱が籠りだし、腕の中に引き込まれる。下肢を割りひろげられるや雄々しい滾りに貫かれた。 「ああ……」  於菟二は広い背中に腕をまわした。汗ばんだ熱い肌を心地よいと感じる。体の相性も良さそうだ。今度のつとめは悪くない。 (血生臭い事になりませんように――)  揺すり上げられながら、胸の中で祈る。  結びの神は雨だ。雨に降られた帯刀が商家の軒に入ったのを見て、その傍らへ駆け込んだのだ。間近で見た貌が、けっこう好みでどきりとした。  ――雨宿りをしてゆきませんかい? おいら一人じゃ銭が足りない。  辻に見える待合の暖簾を差して云った。見せつけるように開いた自分の濡れた首許に帯刀の視線がそそがれたのを見逃さない。 「もっと突いてくんねえ……もっと」  帯刀が夜具に手をついて、荒々しく腰を打ちこみだす。  どんな堅物でも、色には弱い。床に引き込むことができれば、於菟二の手の内だ。帯刀の締まった胴に脚を絡めて腰をくねらせる。 「ああ……いいよう」  首をのけぞらせて、悩ましげに喘ぐ。  於菟二は、男が好きだ。女だって抱けないわけではないけれど、男に抱かれる方が性に合っている。いや、慣らされたという方が正しいやもしれぬ。  二親は、於菟二が十二の夏に山崩れで死んだ。妹は七つだった。身寄りのない二人を拾ったのが江戸で盗人働きをする夜烏の又造。於菟二はそこで、男の味と盗みの技を覚えた。  転機は、お縄になると同時に訪れた。又造は獄門台へ送られたが、於菟二は十七歳という若さと並以上の器量、錠前破りの腕を見込まれて条件付きの恩赦が秘密裡に下りた。  公儀の草(隠密)。於菟二の今の身分だ。妹のお紋は江戸にいる。九年会っていないが、於菟二が不始末をしない限り、平穏に暮らしている筈だ。 「あんなふうに抱かれると、忘れられなくなっちまう」  帯刀の髪を直してやりながら、於菟二は云ってやった。喜ばせるのも手の内だ。つとめ半分、本気半分。そんな塩梅。  帯刀は円窓に向かって座り、宵闇にともる紅白の梅の花を眺めている。品の良い渋い色目の小袖に羽織をつけ、居住まいを正した姿は武士然として裸の時より遠く感じる。  窓の向こうで雨音がした。雨がまた降り出したようだ。 「忘れられては困る」  帯刀がぼそりと返す。 「本気にしますぜ、旦那」 「如何な本気だ?」 「ちぇ、旦那にゃ、もう教えてやるもんかい」  櫛を銜えて顰めっ面をしてやると、帯刀が口許だけで笑う。そのまま於菟二の道具箱に眼を止めた。半分ひらいた抽斗に美しい(かんざし)が入っている。 「綺羅屋の若衆簪ですよ。今流行りの」  目線を読んで、於菟二は云った。 「こうやって預かって廻ると、けっこう売れるんですよ。此処へ来る前に、お店の旦那の髪を結ってきたんですがね。その旦那、内儀に知られないようこっそり包んでくれってね。ありゃ、イロへの贈りもんですぜ」  思い出し笑いをしていると、帯刀が手を伸ばして簪を取る。 「もらおう」 「え、旦那。贈る相手がいるんですかい?」 「まあな」 「なんでえ。面白くもねえ」  於菟二は思わず吐き捨てた。 「売れば、お前にもいくらか銭が入るのだろう」 「そうですけどね」 「面白くないか」 「有りませんね。あんなふうに抱いておいて、おいらの眼の前でのろけやがって」 「のろけてなど、おらぬぞ」 「おんなじさ」  於菟二はぷいと横を向いた。髷は綺麗に仕上がったが、むくれ面は収まらぬ。 「二両二分」  不機嫌を露わに云い捨てる。金子(きんす)を受け取るや、 「ほらよ」  高価な簪を紅絹(もみ)の小切れに荒っぽく包んで渡す。  帯刀が小切れをひらいて簪を眺め見る。蝋梅(ろうばい)に珊瑚細工の小鳥を添えた美しい朧ギヤマンの簪だ。帯刀がふいに向き直り、於菟二の元結に差す。 「え……」  思わず瞠目する。 「……おいらに……くださるんで?」 「気に入らねば売ればよい」 「旦那」 「さて、飯を食いにゆくか。茶屋町だったな」  帯刀が着流しの長躯を立ち上げる。刀架台から脇差を把って帯に差し、右手に長刀を持つ。 「参るぞ、於菟」  ぼうっとしている於菟二に声を掛け、襖をあけて鴨居を潜る。  於菟二は道具箱を持って立ち上がった。柄にもなく頬が熱い。ずるいとしか云いようがない。 (あぶない、あぶない)  うっかりしていると、根こそぎ心を盗まれそうだ。 (盗まれたら、盗みかえせばいい)  於菟二の口許に不敵な笑みが浮かぶ。廊下を渡る羽織の背を見つめる。 「待ってくだせえよ。旦那に突きまくられて、こっちはふらふらなんですぜ」 「もっと突けと申したのは、お前だろう」 「そうでしたっけ?」 「おい。恍けは、おれの役だぞ」 「そんなもん、いつ決まったんです?」  帯刀が払いを済ませるのを待って、玄関の廂から出る。  寄り添う二つの傘を、春の雨が濡らす。     了

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