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第62話 『ヨーク夫人』

 春のひだまりの丘を下り、貴族街を進んで行く。たまに人と擦れ違ったが、皆、レヴィンを見ていた。    ヨーク家はレヴィンの丘の上の屋敷と市街地の中程の距離にあった。門は開いており、人の往来が多い。  品評会の準備をしているのだろう。ヨーク夫人とは品評会が始まる前に会うことになっていた。    レヴィンが来訪を告げ、応接間に通されるとクオンはにわかに緊張してきた。    豪奢な部屋に腰が沈む柔らかい椅子。慣れない雰囲気に気を張った。    長く待たされることはなく、扉が叩かれ入室の声がかかる。執事服を着た若い男が「主人が参ります」と恭しく腰を折った。    彼が下がると同時に老婦人が現れた。  レヴィンが立ち上がろうとしたが、彼女はにこやかに手で制した。 「殿下、どうぞお掛けになったままで」  淡い紫の服が上品で美しい。結い上げられた髪に白いものが混じっていたが、若々しさかった。  婦人が腰を下ろすと、執事服の男が紅茶が出した。嗅ぎ慣れた匂いでわかる。クオンの花の香る紅茶だ。 「ヨーク夫人。この度はありがとうございます」  レヴィンが切り出すと、夫人は柔和な笑みを浮かべた。 「とんでもないことでございます。殿下のお役に立ててうれしく思っております」  滲み出る気品に、クオンは感動を覚えた。    暴言を吐きまくった貴族令嬢が脳裏をかすめ、同じ貴族でもここまで違うのかと思った。  ヨーク夫人はレヴィンの隣に座っているクオンを見た。彼女の目を追って、レヴィンが紹介する。 「彼がこの紅茶を作ったクオンです」  クオンは改めて挨拶した。 「今日は来てくれてありがとう。お会いできてうれしいわ」  夫人が笑うと顔の皺が深くなった。その皺がまたなぜか美しくに見える。クオンも自然と微笑んだ。  ヨーク夫人は抑揚のあるのびやかな声で言った。 「わたくし、あなたの作るお茶がとても好きなの。あれは三年くらい前だったかしら。  当家の家令が、ああ、先程お茶を出した者だけれど、香草店で見つけてきましてね。飲んでびっくりしました。  味も良いし、何より香りが素敵ね。正直にいうと、香草茶はあまり好きではないのよ。味も香りも独特でしょう?  でも、あなたの作るものはどれも香りがよくて飲みやすい。すっかり虜になってしまったところに、この紅茶でしょう?  こんなに香りが良い紅茶ができるなんて、もう、とても感激したのよ」    手放しに褒められ、クオンは照れた。面と向かって言われると恥ずかしいものがある。 「ありがとうございます。俺もヨーク夫人のような素敵な方に気に入ってもらえて、とてもうれしいです」 「まあ! お上手ね」  夫人はにこにこと笑った。笑顔の素敵な人だとクオンは思った。  そこから紅茶の香りづけの話が始まり、香草茶の効能など存分に話した。ヨーク夫人は聞き上手で、適度に質問をしてくるので、クオンも話やすかった。  その間、レヴィンが口を挟むことはなかった。話が尽きると、夫人は紅茶を飲み、満足そうに口端を上げた。 「お話できてよかったわ」 「俺もです」  クオンがにこりと笑うと、夫人はソファーに座ったまま、少し前のめりになった。 「実はね、クオンさんにお願いしたいことがあるの」 「なんでしょうか」 「もっとたくさん、この紅茶を作ってくれないかしら。あと、新しい紅茶も飲んでみたいの」  華やかな笑顔でお願いされ、クオンは詰まった。  三年も前からクオンの作るお茶を気に入って買ってくれている人だ。その方の願いなら、出来る限り応えたい。  クオンは束の間、葛藤した。膝に置いた手をしばし見つめ、顔を上げた。 「すみません、これ以上は無理です。新しいものならそのうち作るかもしれませんが、俺には余裕がありません」 「その余裕というのは、経済的な理由かしら?」  金が問題なのかと問われ、クオンは首を傾げた。意味がわからなかった。きょとんと見つめ返すと、夫人はちらっとレヴィンを見た。 「殿下の前ですが、失礼を承知で申します。もし、紅茶作りの資金がなくて、これ以上作ることができないのなら、わたくしがその資金を出したいと思っているの」  クオンは思いもよらぬ話に目を丸くした。

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