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師範(俺)

この美しい人は、俺の知るどの大人よりずっと多くの事を知っていた。 日常的な生活の知恵だけじゃなく、世界の成り立ちとか天気の仕組みとか地形の形やその意味まで。 俺が尋ねれば、嫌な顔をせず何でも教えてくれた。 うっかり忙しそうにしているところに声をかけてしまっても、うるさいとか黙ってろなんて、この人は一度も口にしなかった。 俺が考えて答えに辿り着けそうな時には、答えのかわりにヒントをくれて、俺の成長を促してくれる。 俺は学舎に通った事はなかったけれど、多分こんな存在を人は師と呼ぶんじゃないだろうか。 そう気付いてから、俺はこの美しい銀色をした彼を『師範(せんせい)』と呼ぶ事にした。 師範と初めて呼んだとき、彼はちょっとだけ驚いた顔をしたけれど、すぐに闇色の瞳を細めて「はい」と返事をしてくれた。 受け入れてもらえた。 俺の考えた呼び名が彼に認めてもらえた事が、何だかとても誇らしかった。 これからはこの人を俺の師として、師範の望むように成長したい。 師範の望みを叶えられるように、もっともっと強くなりたい。 『あんたはどうして、俺の世話をしてくれるんだ?』 拾われて間もない頃、そう尋ねた俺に彼はどこか申し訳なさそうに言った。 「あなたに……、私の願いを叶えてほしいんです」 「願い? 俺が?」 「ええ、私一人では叶わない願いなんです。あなたの力をお借りしても良いですか?」 「い、いいぞ。貸してやる」 俺の言葉に、彼は嬉しそうに微笑んだ。 口ではうまく言えなかったけど、俺は俺にできることだったら何だってやりたいと思った。 人に、こんな風に頼られたのは初めてだった。 俺を地獄から救い出してくれたこの人に俺が返せるものがあるなら、何だってよかった。 師範は、俺に強くなってほしいと言った。 心も体も、正しく真っ直ぐに。 師範が出してくれる食事は残さず食べた。 苦い野菜も、臭い肉も。 剣の修練もサボらずやったし、勉強だって手は抜かなかった。 師範の願いが叶うように。 師範が喜んでくれる、その日のために。 いつしか師範の願いを叶えることが、俺の夢になっていた。

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