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悪(俺)

師範は俺の腕の中でカタカタと震えていた。 俺が先を急いた事を謝ると、師範は震えたままの声で自分が悪いのだと言った。 一体どうして。 師範の何が悪いというのか、俺には全然分からない。 大人しく俺に抱かれたままの師範をチラと覗き見れば、師範はまだ真っ青な顔に隠しきれない恐怖を滲ませていた。 こんなに怯えた師範の姿は初めてだ。 師範がそんな辛い過去を抱えていた事すら、俺は今まで全く知らないままだった。 でもそれならどうして師範はあんなことを言ったのか。 触れられるだけで、こんなに怯えるほどなのに。 あれは……どういう意味だったんだ……。 師範の震える肩から背を、そっと撫でる。 「……ギリル……」 微かな声が俺の名を呼ぶ。 ああくそ。今日はもうこれ以上何もしないつもりだってのに。 師範の声が、体温が、師範の香りも揺れる銀の髪も、師範の全てが俺の心臓を叩く。 なるべくゆっくり胸いっぱいに息を吸って、ゆっくり吐く。 心と体を落ち着かせるように。 けど疑問を辿れば、どうしてもあの日の師範の声が鮮明に蘇る。 『私の本当の望みは、ギリルのその剣に貫かれる事です』 途端、俺の全身がカッと熱くなる。 もうここ数日、俺は嫌になるほどずっとこれを繰り返していた。 「せんせ……」 掠れた声で師範を呼べば、師範は俺の腕の中でおずおずと顔を上げた。 陶器のように艶のある師範の白い頬を指で撫でる。 決して傷つける事のないよう、優しく、優しく……。 師範は戸惑いこそ浮かべるも嫌がる様子はない。 祈るような気持ちで、細い顎を慎重に引き寄せると、師範は俺にされるまま目を閉じた。 許される喜びを噛み締めながらその唇に口付ける。 今はこれだけで十分だと、自分に言い聞かせながら。 名残惜しくてたまらない。もっと、もっと師範に触れていたい。 俺の身体も心も、この人を求めている。 それでも、俺はなんとかその思いを飲み込んで、そっと唇を離した。 「ギリル……」 闇色の瞳が潤んだまま俺を見上げる。 どこか悲しげに、寂しげに。 そんな目で見ないでくれ。 俺は必死に理性を保っているのに。 そんな風に見つめられたら、今すぐにでも力尽くで襲ってしまいそうだ。 たまらず顔を逸らすと、師範は「すみません……」と小さく謝った。 「……俺の方こそ」 と呟くように返しながら、疑問を口にする。 「師範はどうして、そんなに怖いのにあんな事を言ったんだ……?」 「あんな事……?」 「それに、師範の願いを叶えたら俺の願いが叶わなくなるってのは、どういう事なんだ?」 「………………ぇ……?」 「だって師範は、俺の剣に貫かれたいんだろ? 俺の願いと同じじゃないか」 師範が大きく動揺する。 「ぇ、違……」 闇色の瞳が戸惑うように揺れて、俺から距離を取ろうとする。 それがどうしても耐えられなくて、俺は師範の体を強く抱き締めた。 お願いだ。もうこれ以上、俺から離れようとしないでくれ。 「師範……」 「ギ、ギリル……っ」 じたばたと俺の腕から逃れようと身を捩る師範が、諦めたように力を抜く。 「……違うんです、ギリル……」 何が違うと言うのか。 師範は俺の腕の中で、まるで謝るかのように呟いた。

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