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第1話:クソ雑魚新人ウエイターとその癒やし

「いらっしゃいませー、お好きな席にどうぞー」  この台詞だけ、ようやく声を張って言えるようになった。  カフェでのアルバイトを開始してから既に二ヶ月半経過しているというのに、どんくさい俺はオーダーを間違えたり運んでいったドリンクをお客さんの頭からぶちまけたこともある(流石に今はない)(と信じたい)。  このカフェ『ピアニッシモ』は、橋本さんという六十代の男性がマスターを務め、奧さんの恵さんがマネージャーという肩書きの、小規模だがお洒落な雰囲気が魅力の店だ。常連の人も多い。中には何も言わなくてもミルクを二つ付けなきゃいけない人がいたり、新人の俺に『いつもの』と言い放ってきてパニクることもある。    でも、マスターもマネージャーもとても優しい人で、俺がどんな失態を犯しても、 ——まだまだ始めたばかりだから ——慣れれば楽な仕事だよ、君ならできる  といった声をかけてくれる。ありがたい限りだ。  何より俺自身が、このピアニッシモの内装、レトロで、アンティーク品を随所に飾って、だからといって『純喫茶』ではなく若者も寄れる『カフェ』という雰囲気に惚れ込んでいる。  だから、毎日努力して、一日も早くまともなウエイターになれるよう努めていた。 「大津くん」  ダスターでテーブルを拭いていた俺に、オーナーの橋本さんが声をかけてきた。 「そろそろ柳さん来ると思うから、蜂蜜出しといて」 「はい!」  柳さんとは、ピアニッシモの常連の一人で、背の高いかっこいい男性だ。そんで優しい。何を隠そう俺が頭からアイスコーヒーをぶちまけてしまったのが柳さんである。汚れた服の処理とクリーニング代を請求されてもおかしくない有様だったのに、柳さんは優しく笑って、 『新人くんだね、ペーパータオルか何かもらえればそれでいいよ』  と、何とも爽やかな声で流してくれたのだ。  柳さんはアイスコーヒーに蜂蜜を入れて飲む。他の店舗では頼んでもやってくれないと言っていて、加えてこのカフェは美しいし雰囲気が大好きなんだ、と俺と完全一致のことも口にしていた。  そうこうしている内に、長身の男性が入店してきた。  髪は栗色で、スーツの日が多いが今日は私服、でも二十歳の俺からすると派手すぎず地味すぎない、大人のお洒落さを感じるファッション・センスの持ち主で、ちょっと憧れてしまう。 「いらっしゃいませ! お好きな席にどうぞ、って、柳さんは窓際ですよね。いつものでいいですか?」 「うん、ありがとう、大津くん」  常連さんでも、ウエイトレスさんたちの名前を覚える人はいるが、俺みたいなクソ雑魚新人の名前まで覚えてくれて、優しく微笑みかけてくるなんて、もう柳さんは俺の心の癒やしだ。  いや、癒やし、だった。

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