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第8話 地獄の束の間
「おーい、戻ってこーい」
陽彦が俺の右頬をぺちぺちと叩く。と、この男は思ってそうだが、明らかに力加減をミスっており、ベチンベチンと頬を叩くせいで、すでに叩かれた頬の肉がジリジリと痛み火照っている。
「痛いんですけど……」
多幸感で意識を飛ばしていた俺は、その痛みでゆっくりと頭を覚醒させることができた。
精神的な充足感は満ち溢れているが、身体は行為で傷つけられた鈍痛に苛まれている。体に伝わってくるのは、痛みしかない上に、プレイ終わってから追い打ちを掛けてくるなんてと思わず睨んでしまった。
「痛いの? 確実にヤッてる時のが痛かっただろ」
「……いや、あの、それはちゃんとプレイ中だからで、今はただの会話する時間でしょう」
俺が真顔で伝えると、男は少し困ったように眉を顰めた後、口を開いた。
「Subって、痛みを快感に感じる生き物だと思った」
「はいぃ? 西尾さん、Domでしょ? なにそんな、旧世代のNaturalみたいな事言ってんですか?」
プレイ終わりだと強調するため、名字呼びにわざと変える。すると、目の前の男は最初見た自信満々な姿は鳴りを潜め、まるで迷子の子供のような顔で俺を見た。
「そうなのか? 俺は、そう教わったぞ」
「……すみません、今、何歳ですか?」
「28歳だが」
「ああ、じゃあ、ダイナミクスも、病気だと言われた世代ですよね……」
「そう、だな」
「なら、優しく頭撫でてください。Subは褒められると痛みが軽減するので」
ダイナミクスというものが、「性癖や病気と言われた時代」から「生まれつきの人間の性質」へと認識を変えたのはここ最近の話で、その昔は誤った認識をされていた時代がある。
この人も、その誤った認識の人に教えられてから、その手の情報に疎い人なのだろう。ただ、それにしてもDomとしての知識が、妙にチグハグしているのは俺でもわかった。
陽彦は俺の頭を優しく、恐る恐る撫でる。まるで初めて動物を撫でるかのような手に、意外とこの人は素直な人なのだろうかと思う。
その後、静かに褒められ続ける時間を経て、心も満腹になり、体の痛みも随分取れた俺はこの心地よい沈黙を破った。
「西尾さん、なんで俺を?」
よく考えれば、自分からの視点的に飢えに勝てず、全て勢いよく進んでいってしまい、気づけば半分事後みたいな状況。
もう既に自分の人生がどん底すぎるとはいえ、一応この状況になった経緯を知る必要はあると思ったのだ。
自分の頭を撫でてた手は止まり、静かにその手は離れていく。
「うーん……まあ、俺のDom欲満たすために、妊娠しない趣味の合うSub探してたんだよ」
「あー……それなら、適任かもしれないですね」
妊娠する女や、Ωでもない上に、こんなとんでもないハードなこともできるSubとなると、相当限られた範囲で探してたのだろう。
まあ、普通、このプレイ部屋を見せられたら大抵のSubは怖くて怯えちゃうだろう。
まあ、俺にとっては、正直ここに置かれてるもの全て、全部良い意味で気になってしまうけど。
「ハードなの、好きなんですか?」
「ああ、正直、かなりキツめのしたい。首とかも締めたいし、煙草も押し付けたいし、スカリフィケーションも施したい、サスペンションも出来たら……ピアシングは勿論やりたい。ケツに腕突っ込めたらいいとは思う」
ぽろぽろと出てくるハードプレイは、どれも正直気になるものばかり。その中に並ぶ分からなかったスカ……ん〜ション? サス……ペンション? 、どんなやばいプレイなんだろうと少しだけ気になってしまう。
「プレイ志向は、合ってますね、俺たち」
「今の聞いて引かないあたり、俺の見る目があるのか、お前が馬鹿なのかだな」
少し小馬鹿にした声色だけれども、お互いプレイ志向だけはちゃんとマッチしてるからか、随分砕けた様子の陽彦。気だるそうに服を整えて、立ち上がると近くのプラスチックケースの5段チェストへと歩いていく。
そのうちの一つの引き出しを開けて、中から何かを取り出した。
(あ、あれ、甘い匂いのやつ)
黒いパッケージに悪魔の絵が書かれたタバコの箱。この男にしては意外にも甘ったるい煙草が好きなのかと思いつつ、引き続き黙って陽彦を眺めた。
パチンッ
部屋の隅にあるスイッチを切り替えると、僅かながら換気扇が回る音がし始める。陽彦はそれを確認すると、取り出した灰皿をイドテーブルに置いて、立ちながら吸い始めた。
仄暗さを感じるココナッツの匂い。
甘さを多く含んだタバコの煙が、部屋に充満する。
「タバコ、好きなんですか?」
「いや、別に」
「……甘い匂いですね」
なんとも続かない会話。俺はなんとなくだが、身体を少し起こしたあと四つん這いになって、その彼の足元へとすり寄った。
「俺、本当にここに住んでいいんですか?」
「ああ、なんなら、軟禁する予定だ」
「金は?」
「俺が買ってやるから我慢しろ。それともなんだ、訴えるのか?」
ニヤリと笑う陽彦の顔には、ありありとそんなことをしても無駄なのだろうということはわかる。
それに、別に、雨風凌げるならばどうでもいいし、ぶっちゃけ今までの生活と変わることなんてないだろう。
「お世話になります」
「そうか、なら話は早いな」
陽彦はタバコを吸いながら、その手で頭を撫でた。頭、耳、頬、と撫でた手は、顎を掴みゆっくりと上を向かされる。
そして、陽彦の顔が近づき、フーッと直接煙を吹き掛けられた。
「わっ、けほッ、けほッ……!」
「ちんちん」
煙を吸い込んだ気管は拒絶するように咳込み、目は染みる。しかし、それでも男の命令のせいで俺の体は犬用にちんちんの姿をとってしまう。
「この煙草の匂いだけで、勃起できるくらいになろうな、ルナちゃん?」
またもや、男の足で俺の縮こまった性器は軽く弄ばれる。ぷるぷると揺れる性器はゆるやかに立ち上がり始めていた。
最後、バカにしたように俺の源氏名で呼ぶ男は、確実に名字呼びしたことによる嫌味返しだというのがわかる。
名字呼びしたことが余程気に食わなかったのを、なんとなく察した。
「おすわり。もうお前は俺のSubなんだ、明日は書類の登録もするからな」
男の命令で俺は今度はぺたんと座り込む。書類登録というのは、DomとSubが結ばれた時に首輪以外に契約書を作り、国に提出する必要があるのだ。
元々西洋でDomとSubの関連について様々な問題が多発しているため、始まった制度はかなり時間を掛けて日本にも導入されたばかりだ。
本当にこの人は俺と主従関係を結びたいんだ、となんとなく嬉しくなってしまった。
しかし、まだ俺の中で一つの疑問が残っていた。
「それにしても、妊娠できないって、凄い条件ですね。αとかΩって、子供増やすと手当とか一杯国から貰えるのに」
この世界は人口が少なくなってきている。特にβの出生率は年々下がるばかりだ。
なので、基本的に人口については生殖能力が高いαやΩに頼ってしまっている状況がある。なので、国としては手厚いサポートをしてでも増やしていきたい狙いがある。
「ああまあ、そうだな」
「こんなβとヤりたいなんて、変わってますね」
「まあ、そうだな」
少しばかり生意気なことを言う自分。それでも、男はあまり気にした雰囲気もなくタバコを吸っている。
ちょっと楽しい時間。と、この時は思っていた。
次の陽彦の言葉に、一瞬にぶち壊される。
「これ以上、子供出来てもなあって思うし」
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