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第19話
スワローと前回組んだ賞金稼ぎはプッシーキャット・マクガフィンというアンデッドエンドの下町に部屋を借りてる女だ。
「ぜってえ本名じゃねえな……」
プッシーは子猫、または女性器をさす隠語。
プッシーキャットというカクテルもあるからこっち由来かもしれないが、いずれにしろコイツを通り名に登録した時点でお察し。賞金稼ぎなんてどだい道徳心が麻痺した外道の集まりだから、良識うんぬんするのはいまさらか。
プッシーキャット・マクガフィンのねぐらは、娼婦とアル中と売人の吹き溜まりのようなアパートでお世辞にも治安がよいとはいえない。
路地裏で響き渡る銃声と断末魔は努めて無視。
ただでさえ気鬱で重たい足を引きずって酒瓶や注射器、煙草の吸殻が醜い皮膚病の如く斑に蝕む階段を上る。
賞金稼ぎの収入は不安定だ。大物喰らいの腕利きならアップタウンの一等地に豪邸を持てるが、そんなのは選ばれたごく一握り。その他大勢は少しでもグレードが上の生活を夢見て、地べたを這いずり日々の糧を得ている。
ミュータントでありながら伝説的賞金稼ぎとして英雄視されるキマイライーターなんかは、郊外の屋敷で愛妻と円満に暮らしていると噂に聞くが、日々を生きるのに精一杯で煙草にも事欠くありさまの俺にとっちゃ雲の上の話だ。
キマイライーターの経歴は異端だが、数奇な人生じゃ俺も負けちゃない。
穂先から緩く立ち上る紫煙に先導され、目的の部屋の前に佇む。
よそのカップルだか夫婦だかの痴話喧嘩の騒音をバックに、深呼吸で身嗜みを見直す。
寝癖を平手で均し、普段は下から三個だけとめてる柄シャツのボタンを五個目までとめておく。
女の前で貧相な胸板をはだけて変に勘繰られちゃ困る。
あとは唇から煙草をもぎはなし靴裏で揉み消せば準備万端。
「……まだ喫えんのにもったいねえ」
貧乏性が再発、指をかけてちょっと惜しがる。
こんな環境に住んでるのだから気の回しすぎだろうが煙を嫌う相手だと厄介だ。
第一印象は大事、嫌悪感を持たれちゃ会話をスムーズに運べなくなる。
頭じゃわかっていても、まだ喫える煙草を捨てるのに少なからず抵抗を感じる。
コイツは|心の過負荷《ストレス》を和らげてくれる精神安定剤だ。面識のない女の自宅訪問を控えた今、不安と緊張はピークに達している。ぶっちゃけ逃げてえ、今すぐ回れ右して階段をすっとばして逃げ帰りてえ。
それができりゃどんなにいいか……もし何もネタを持ち帰れなかったら、おっかねえ上司にどやされる。
今日ここに足を運んだ目的は、ストレイ・スワロー・バードの身元調査だ。
組合でも手に負えない問題児扱いされてるスワローが、過去に組んだ賞金稼ぎを洗いだし聞き込みをする。ストレイ・スワロー・バードのことを知りたけりゃ、実際のパートナーに聞くのがいちばんてっとりばやい。
ところが、これが予想外に難航した。
組合の肝入りでスワローと組んだ賞金稼ぎをリストアップしたものの、その大半がタイミング悪く別の依頼を受けて街を出ているか、大怪我して寝たきりか、ひどいのになると酔って暴れて拘留されてる体たらくで、まともに話が聞けそうなのが消去法で一人しかいねえ。
で、よりにもよってその一人が苦手な女……踏んだり蹴ったり、ツキがなさすぎて泣きたい。
殺し殺されが日常茶飯事で補充したぶんすぐ不足する業界の常で、あっさりアタリを引けると思い上がるほどめでたくはねえが、俺が手を突っ込む箱ン中にゃ毎度ハズレくじっきゃ入ってねえのか疑いたくもなる。
煙草をすぱすぱやってどうにか気を紛わすが手汗が凄い。
とりあえず一本喫い終わるまではと時間稼ぎをきめこんで肺を紫煙で満たせば、目の前のノブがガチャリと回る。
咄嗟にとびのけば、無造作にドアが開け放たれ女が顔を出す。
商売女と見まがう薄着で、剥き出しの二の腕が寒々しい。
「……あんた誰?」
一瞬驚きを浮かべ、用心深く表情を引き締める。
年は二十代半ばか。
まあまあ美人といっていい顔立ちだが、険を含んだ顔にヒステリックな本性が兆す。
俺の苦手なタイプだ。いや、得意な女なんていねえけど……
厚化粧で鎧った女の胡乱な視線を受けて立ち、一応の確認をとる。
「あ~……プッシーキャット・マクガフィン?」
「……カネの取り立て?私の名前を知ってるってことは、オンナ買いに来て部屋まちがえたわけじゃなさそうね」
挑発的に腕組み、口の片端を上げてセクシーな媚態を演じる。
名前どおり、プッシーキャット・マクガフィンはしたたかで気まぐれな女だ。
勝気に逆立てた柳眉と綺麗なアーモンド形の瞳、燐のような眼光の取り合わせが淫らなメス猫をおもわせる。
「俺は劉。組合に登録してる賞金稼ぎで……アンタとは初顔わせだな」
「どうしてウチに?誰に聞いたの」
「そこはそれ、ツテを辿った。広いようで狭い業界、何人か知り合い介せばヤサはすぐ割れる。アンタは結構な有名人だし、さがしあてるのは訳ねえよ」
「有名人ね……どうせろくでもない噂でしょ」
あばずれ。
泥棒猫。
寝取りの天才。
プッシーキャット・マクガフィンに纏わる枚挙に暇のない悪評を思い出して口ごもれば、当の本人が髪をかきあげてぼやく。
「わかりやすいわね。ちょっとは否定するかしなさいよ、傷付くじゃない」
言葉とは裏腹にさして気にする風もなく、ネグリジェのポケットに手を突っ込んで舌打ち。
けだるげに髪を払い、流し目でこっちを見る。
「ねえ、煙草くれる?」
「え」
「いいでしょ、ケチケチしないで」
語尾こそ疑問形だが殆ど命令に近い口調だ。正直いやだったが、頼まれちゃいやとは言えない。
『……|给 《どうぞ》』
アポもとらず部屋を訪ねた弱みに付け込まれ、押し切られる形で渋々煙草を出せば早速ひったくって蓮っ葉に咥える。
肩を竦めてライターの火を差し向ける。穂先を灯して一服、うまそうに紫煙を燻らす。
「メンソールね」
「悪いかよ」
「好みが合って助かるわ、ちょうど切らしちゃって買いにいくとこだったの」
本人もふかすなら遠慮はいらないと、一旦抜いた煙草を再び口にもっていく。
しばらくドアを挟んで初対面同士がすぱすぱやる、奇妙なひととぎが過ぎ行く。
切り出し方に迷って煙草を灰にする作業に集中していたら、向こうの方がじれて促す。
「……で?ご用件は。良くも悪くも名前が売れてる自覚はあるけど、サインをもらいにくるほど熱心なファンに心当たりはないわよ。私が捨てた男か、寝取られたオンナに仕返しでも頼まれた?」
「アンタのプライベートにゃ干渉しねえよ、俺はただ話を聞きたくてここにきたんだ」
「話って?」
唇をひとなめ、いよいよ本題に移る。
「ストレイ・スワロー・バード」
名前をだすなり顔色が豹変、見開かれた瞳に恐怖と嫌悪が綯い交ぜになった感情が急沸騰。
コイツは手ごたえがありそうだ。
指の間に煙草を預け、さりげなく女の正面に立ち塞がる。
「知ってんだろ?アンタがこないだ組んだ野良ツバメだ」
「……何が知りたいのよ」
プッシーキャットの声音が一段低まる。
瞳に宿った嫌悪が冷たい怒りに取って代わり、ほんの僅かな好奇心が芽生える。
仕事柄ひとの顔色を読むのは得意だ。
それだけを恃みに世間を渡ってきたといっても過言じゃない。
いや……遡るならもっと昔、あの人と暮らしてた頃に身に付けた自衛の術を、路上生活に適応する中で磨き上げていったのだ。
怯惰に竦む足を意志の力で引き立て、目すら合わせたくない本音を振り切って間合いを詰める。
「組合のお達しで今度アイツと組む羽目になっちまってさ。無茶苦茶なヤツだって噂にゃ聞いてっけど、実際のトコどうだよ?」
「それ聞きにわざわざ?ばかじゃないの」
「近くに用があったから」
自分でも嘘っぽいとあきれる。
プッシーキャットはクツリと喉を鳴らし、忌々しげに目元を歪める。
「……嘘ばっかり」
顔面に狙い定め盛大に煙を吹きかけられる。
煙たさに噎せる俺をでかい口開けて嘲笑、悪びれず追い打ちをかける。
「とぼけないでよ。私に会いに来たってことは、アレがホントか確かめにきたんでしょ」
賞金稼ぎ連中のあいだでまことしやかに囁かれる噂……
プッシーキャット・マクガフィンは、ストレイ・スワロー・バードにレイプされた。
プッシーキャットはもともと素行が芳しくなく、好き好んで男を寝取る性癖から特に同性に煙たがられていた。挙句は「|女陰《プッシー》から先に生まれたメス猫」と陰口を叩かれる始末だ。
だからこそ、彼女がストレイ・スワロー・バードにレイプされたと訴えてもだれも真に受けなかった。
スワローに言い寄って袖にされた逆恨みだろうとかえって失笑を買ったのだ。
「日頃の行いのせいよね。ざまあみろって思ってんでしょ、みんな」
プッシーキャット・マクガフィンは心底男好きなアバズレだ、それは間違いない。
彼女は娼婦の私生児として生まれ、父親を知らずに育ち、年頃になって母の恋人に手籠めにされかけたとき逆に相手を撃ち殺して賞金稼ぎの道に進んだ。
幸いにも相手がケチな賞金首だったおかげで彼女の罪は不問に伏されたが、以来母親とは絶縁状態だそうだ。
以上の話を、俺は伝聞で知った。
したがってどこまで事実か疑わしいが、娼婦として生きるか賞金稼ぎとして身を立てるか悩みに悩み抜いて後者に決めた動機は、男に力ずくでされるのがいやだからと酔っ払った本人が話していたそうだ。
力ずくで「される」位なら力ずくで「する」ほうを選ぶわ、と。
プッシーキャットが煙草を唇に挟み、虚ろに紫煙を吐き出す。
「……貰い煙草の借りがあるしね。いいわ、燃え尽きるまで付き合ったげる」
虚勢と媚態を等分に割って含み笑い、ジジジと爆ぜる煙草を神経質に咥え直す。
「ちょっとかわいい子だって思ったの。いま噂のストレイ・スワロー・バード……大物食いのルーキー、凄腕のナイフ使い、オンナがほうっておかない若くてキレイな男の子。摘まみ食いしたくなった下心は否定しない、組むことになって舞い上がったのもね。私達が追ってたのはケチな強盗で、アジトに張りこんでるあいだは一緒に過ごす時間も長い。アイツはね、巷でぼろくそ言われてるほど悪いヤツじゃないわ。話しかければこたえてくれるし、たまには冗談だって言うの。私のこと、何年か前に世話になった娼婦に似てるって……その人も|ネコ《キティ》繋がりの名前なの、フシギよね。だからかしら、最初はうまくいってたの。少なくとも私はそうおもってた」
「……違ったのか?」
どこか遠くを見詰める目に不安を覚えて訊き返せば、ゆっくりと視線がおりてきて、俺の顔の中心に定まる。
「……誘ったのは私から。アイツは遊び慣れてた。恥ずかしいけど、何回もイかされちゃった。お互いセックスが大好きだってわかって、それからは仕事に差し障りがでない程度にヤリまくったわ。肌の相性もよかったんじゃないかしら。それで……私、どうかしてた。あんな子どもに、十歳近く離れた子に本気になりかけて……」
プッシーキャット・マクガフィンは色仕掛けでスワローに迫り、スワローはそれに応じた。
暫くの間、二人の関係は上々だった。
あけすけな事情をぶちまけられ、自分から首を突っ込んだのを悔やみ始める。プッシーキャットはもう俺を見ていない、目の前の現実すら見ていない。その目はひたすらに過去を遡り、抑圧していた激情を吐露し続ける。
ああいやだ、帰りてえ。
プッシーキャットの顔が、裏切られた復讐の念と憎悪に歪む表情が、女性恐怖症の根源となったトラウマを呼び起こす。
あの人の顔が眼前の女と重なり合い、溶け混ざり、幻覚と現実が境をなくす。
「……正式にコンビを組まないかって言ったの。この仕事が終わってからもずっと」
プッシーキャット・マクガフィンは、ストレイ・スワロー・バードに「相棒にして」とおねがいした。
スワローはそれをすげなく断った。
どうしてと聞き分けなく食い下がる女に、スワローは言葉少なく切り返した。
『先約がいるんだ』
『誰よ』
『リトル・ピジョン・バード』
だれだかわからなかった。
諦めきれない女は張り込みそっちのけでリトル・ピジョン・バードの情報を調べ上げ、それがストレイ・スワロー・バードのたった一人の兄である真実に辿り着いた。
「兄さんがいたなんて知らなかったからびっくり、しかもおんなじ賞金稼ぎだなんて初耳。試験はなんとかパスしたものの、まだ実力が足りてないからって早々に修行にでたそうね。どうりで噂にも上らないはずよ……弟に爪垢飲ませてあげたい謙虚さだわ」
「アンタはどうしたんだ」
馬鹿げたことを聞いた。そんなの目を見ればまるわかりだ。
プッシーキャットの瞳には、余計な詮索で蒸し返された嫉妬の炎が燃え狂っていた。
「私が寝取りの天才って呼ばれてるの、知ってる?」
わざと露悪的な笑みをこしらえ、フィルターを握り潰す。
「今度も寝取ろうとしたわよ、振り向かせようとしたわよ。ストレイ・スワロー・バードとあろうものが、ふらりと修行にでたまんま帰ってこないお兄さんを待ちぼうけてるなんてちゃんちゃらおかしい!大体兄弟なんかと組んでなにがたのしいの、いいトシしてべったりで気持ち悪い、好きな時にヤれる女のほうが断然いいに決まってるじゃない。お兄さんだってアンタのことなんか忘れてよろしくやってる、この街にはたのしいことがたくさんあるもの、損はさせないから乗り換えましょうって……」
執拗に乗り換えをせがむプッシーキャットに、スワローはどんどん冷たくなっていった。
再三にわたる夜の誘いもシカトされ、恥をかかされたと思い込んだ彼女は、すっかり怒り狂ってスワローとその兄を口汚く罵倒した。
「どうかしてたのよ……」
煙草を挟んだ指先がかすかに震え、細かい灰がぱらぱら散る。様子がおかしい。
「でも……アイツは……」
スワローは、プッシーキャット・マクガフィンを組み敷いて裸に剥いた。
「最初に誘ったのは私……あの夜も……でもあんなの望んでない、アレじゃただの強姦よ。押し倒して……力ずくで……」
「殴られたのか?」
「もっと酷い」
プッシーキャットが自らの二の腕を抱き締め、いまやごまかせない小刻みの震えを全身に広げる。
「『お前の穴には挿れる価値もない』って言われた」
「…………」
「『かわりにコレをくれてやる』って……ナイフで犯されたの」
「…………それは」
「心配ご無用、刃は出さなかったから。もっと聞きたい?引くわよ」
まだ終わりじゃないのかとウンザリする。
初対面の人間にこんな話をする女にも、そのイカレた女の胸糞悪い長話に棒立ちで付き合わされてる俺自身にもとことん愛想が尽きる。
「別に……アソコにモノを突っ込まれるのは初めてじゃない。いまさらカマトトぶってもはじまらないでしょ?でもね、アイツは……血が出るまで私を犯してから、ナイフで……」
プッシーキャットがおもむろに服の胸刳りを掴み、力強く引き下ろす。
まろびでた豊満な乳房の表面、まだ新しくかさぶたも癒えてない傷痕が生々しく存在を主張する。
R.I.P。
キリスト教圏で死者を追悼するために使われる俗語であり、ラテン語の「Requiescat in Pace」の頭文字をとったもの。
「冥福を祈る」に近いニュアンスがあり、主に墓石に刻まれることが多い。
「『Requiescat in Pace』じゃないわよ」
俺の思考を先回りし、胸に刻み付けられた一生消えない傷痕をゆっくりなぞる。
「『Rubbish into the Pussy』よ」
|Rubbish《ラビッシュ》とはごみ、くず、がらくた、廃物をさすスラング。
ミミズの如く醜悪にのたくり、素肌に盛り上がった赤黒い傷痕は、好みの男と見ればだれとでも関係を結ぶ彼女にとって最大級の侮辱だった。
唇からぽろりと煙草が旅立ち、世を儚んで投身自殺。
『……|这还不够《あんまりだ》』
プッシーキャット・マクガフィンは一度は本気になりかけた男の手によって、お前のアソコはゴミ捨て場同様に無価値だと、一生付いて回る烙印を押されちまったのだ。
「お、おい、大丈夫か。とりあえず胸しまえ……」
泣き笑いに似て悲痛な表情を崩し、ドアに凭れて蹲った女に咄嗟に駆け寄るも、伸ばした手で肩を支えることすら能わずたたらを踏む。
傍から見れば別れ話がこじれて俺が泣かせたみたいな状況だが、まったくの濡れ衣である。他にできることもないので仕方なく、通りすがった住人の白眼視からあたふた両手を広げて女を庇い立てる。
俯き陰った口元が歪み、自らの胸元を片手で握り締めた女が呟く。
「ストレイ・スワロー・バードは悪魔よ」
地獄に落ちたくなければ、アンタも気を付けなさい。
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