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Peacock Revolution 後

股関節が昇天した。 『ハイヒールで綺麗に歩くコツは正しい姿勢をキープすること。踵にしっかり重心をのせて、腰・肩・後頭部が一直線になる所をイメージするの。顎は床と平行で視線は正面。肩甲骨同士を寄せるように胸を張って、腕は体の横でリラックスさせ、自然体で前後に振るの。やってみなさい』 頭ん中で大家が説教する。無茶な注文だ。でもやる。やらなきゃ後でぶっ殺される。 『歩く時は立った状態から膝を曲げず踏み出し、踵と爪先を同時に地面に付ける。じゃないと膝が曲がっちゃってみっともないからね、みにくいアヒルの子でも水面下で水かきフル回転すりゃエレガント極めた白鳥になれるって思い知らせてやりなさい!』 幸い楽屋には女物の靴がそろってた。大家には休憩時間残り全部使ってみっちりしごかれた。 本当に上手くいくのかよこの作戦。大家と哥哥にはサムズアップで送り出されたが懐疑的にならざるえねえ。 しかしまあ、客観的に評価すりゃ女装はまずまずの仕上がりだ。もともと極端に痩せてっからドレスもフツーに着こなせるし、靴裏にたとえられた顔色の悪さはファンデーションと哥哥の荒療治でごまかした。 問題は…… 大勢の客でざわめくホールに戻って視線を巡らす。社長は……いた。自分の席にふんぞりかえって女を膝にのっけてる。 『連れを追っ払え』 『どうやって』 『テメェのがイイ女だってアピールすんだ』 『具体的に』 『質問が多いなァ殴んぞ』 答えになってねえぞ? 「ねえバブたんお腹すいちゃった~」 「よちよちこの後レストラン予約してるからね~フォアグラでもキャビアでも好きなものたあんとお食べ」 ハニートラップを仕掛けようにも、まずは社長にしなだれかかって媚びてる売女を追っ払わなきゃはじまんねえ。 けどどうやって?視線で哥哥に助けを求めるも、知らんぷりを決め込まれた。頼りにならねェ上司だ。 「お飲み物はいかがですか」 「え」 そこへやってきたのは銀盆でカクテルを運ぶボーイ。お仕着せのベストを一瞥、名案が閃く。 「どうも」 たおやかにグラスをさらい、気取った仕草で歩いていく。 胸を張れ、顔を上げろ、前を向け。 股関節が攣る?上等。 呉哥哥の視線が猫背になるなとプレッシャーを与えてくる中、社長の前にさしかかったタイミングでグラスを傾け、コールガールの服に中身をぶっかけた。 「ぎゃっ!?ちょっとアンタ何すんのよ、喧嘩売ってる!?」 髪と服をびしょ濡れにされた女が振り返りざま食ってかかる。おっかねえ。 「ごめんなさい、手が滑って」 「サイテー髪までべとべと、早く洗わなきゃシミになる!バブたん、おトイレ行って来ていい?」 「いいよ、ゆっくりしてきなさい」 「ありがとー優しいバブたん大好きでチュー」 よっしゃ成功! 足早に去っていくコールガールと入れ違いに、しおらしく髪を梳いて謝罪する。 「気を悪くしちゃったかしら」 「いや……」 頭のてっぺんから爪先までいやらしい視線がなめ回す。特に腰や胸元を重点的に。 シャイな女を演じりゃ及第点をもらえたらしく、スケベ社長が脂下がって隣の席を叩く。 「そうだな……申し訳なく思っているなら、彼女が戻るまで席を温めといてくれないかい」 「喜んで」 反吐が出る。 愛想笑いを張り付けたまま柳腰くねらせ着席、|科《しな》を作って微笑む。 「ハスキーな声が素敵だね」 「よく言われる」 「私のタイプだ。今夜は一人かい?エスコートしてくれる殿方はいないのかな」 いてたまるか。 「残念ながら」 念の為喉仏はチョーカーで隠してる。ホール全体の明かりが絞られ、ドラマチックな暗闇が満ちていく。 「大変長らくお待たせいたしました、オークション再開です!」 再びステージに上がった司会がマイクに叫ぶや、聖書を立てかけた台座が中央からせり上がってくる。 舞台袖から焚かれたスモークが雰囲気を盛り上げ、会場中がどよめく。 「改めまして本日の目玉商品、|夜梟の聖書《バイブルオブアウル》です!こちらを落札される幸運なお客様はどなたでしょうか!」 「私に決まってる。金に糸目は付けない」 舌なめずりしてほくそえむ社長。目には沸々と闘志が滾っている。 その間にさりげなく左手が伸び、俺の太腿をさわってきた。 気色悪い感触。作り笑いが強張る。 横目で呉哥哥の方をうかがうが、サングラスが邪魔で表情が読めない。 「まずは1万ヘルから」 「1万5千ヘル!」 「1万8千ヘル!」 「2万ヘル!」 「3万ヘル!」 「5万ヘル!」 会場のあちこちから逸った声がとび、紳士淑女が一本二本と指を立てる。 「10万ヘル!」 「11万ヘル!」 「12万ヘル!」 呉哥哥はまだ声を上げない、じっと成り行きを観察してる。 社長が芝居がかった咳払いを一発、もったいぶって人さし指を立てる。 「100万ヘル」 一気に倍。周囲がどよめく。桁が飛んだ事で何人か指を畳んで脱落する傍ら、何人か新たに参入してオークションが過熱の一途を辿る。 「130万ヘル」 「132万ヘル」 「150万ヘル」 「200万ヘル」 |夜梟の聖書《バイブルオブアウル》の値は順当に釣り上がっていく。 哥哥はまだか?そろそろ動かねェともってかれちまうんじゃねえの。 今夜の目玉商品というのは掛け値なしの事実らしく、明らかに今までのアイテムとは熱の入り方が違っていた。 |熱心な蒐集家《コレクター》どもは鼻息荒くのめりこみ、一本また一本と指を立てていく。 呉哥哥は足を組んで頬杖付いたまま、面白がるような視線をステージに放っていた。 「500万ヘル」 社長が手のひらを広げて嘯く。 同時に五人脱落、この時点で最初の十分の一まで絞り込まれた。 手が上がり下がりまた上がり下がり、広壮なホールが欲望ギラ付く熱狂の渦に包まれる。 「ごらん、私の独壇場だ」 「すごおい」 ああ、|煙草《モルネス》が恋しい。 上の空の棒読みで感心する俺の膝を、肥えた左手が下心もあらわに這い回る。 司会が会場を見回す。 「500万ヘルでました!他に入札ご希望の方はいらっしゃいませんか!」 「1千万ヘル」 ざわ、と空気が動いた。 ホールを埋め尽くす紳士淑女の視線が一斉に呉哥哥に向く。呉哥哥は平然とそれを受け止め、右手の人さし指を振っている。 「い、一千万ヘル!一千万ヘルがでましたあ!」 嘘だろ、あんなちっぽけな聖書に。 どう考えてもそこまでだす値打ちがあるたあ思えねえ。 生唾を呑んで固まる俺の横で舌打ちが響く。 「ミュータント風情が」 心がサッと冷えた。 思わず向き直りゃ少しバツ悪そうに苦笑いする。 「君もそう思うだろ?」 それをミュータントの俺に聞くのか? 背凭れに腕をかけ、振り返った呉哥哥と視線が絡む。 ご機嫌そうな笑顔。挑発的な流し目……宣戦布告。二人の間で火花が散り、殺伐とした空気が張り詰める。 それからは社長と哥哥の一騎打ちだ。 「1千100万ヘル」 「1千110万ヘル」 「1千200万ヘル!」 「1千250万ヘ~ル」 楽しげに楽しげに、調子っぱずれな歌でも唄うように入札を重ねる呉哥哥と対照的に社長は脂汗を垂れ流す。 俺の膝にのっけた手もじっとり汗ばんできた。 「に、2千万ヘル……」 「2千100万ヘル」 苦渋の面持ちで唸る社長をよそに呉哥哥は余裕の表情、肘掛を叩く指先と爪先で拍子をとっている。 俺のよく知る、鉄火場に立った時の癖だ。 胸の内で膨らむ痛快なスリルと高揚感。 呉哥哥が10万、あるいは100万と上乗せするたび口笛が飛び交い喝采が浴びせられる。 「3千万ヘル!」 「3千500万ヘル」 「3千501万ヘル!」 社長が拳で肘掛を殴って腰を浮かす。 「3千600万ヘル」 呉哥哥が落ち着き払って返す。 サングラスの奥で爛々と輝くのは狙った獲物をけっして逃がさねェ蛇の瞳、今まさに喉笛に食らい付いて仕留めようとしてる。 俺は? 楽屋裏で聞いた話が脳裏を過ぎる。 『あの聖書ってなんなんスか?』 『バードバベルの災厄に関しちゃどこまで知ってる?』 質問に質問を打ち返された。思わず立ち止まって目をやりゃ、スパルタ大家に定規で背中を鞭打たれる。 『誰がサボっていいって言ったの!顎引いて!体幹ブレてる!』 『したくもねェ女装させられたんだからせめて教えてください』 大家の指示通り顎を引いて乞えば、腕組みして壁にもたれた呉哥哥がふざけた調子で話し出す。 『今から20年位前、辺境の街の住人が殺し合った。最後にゃ火が放たれてまさに地獄よ。ナイトアウルはそこに居合わせた。世間じゃバードバベルを滅ぼしたのはアイツだって噂が出回ってる』 『本当に?』 『半分当たり』 否定も肯定もしねえ返事がひっかかる。 『ナイトアウルの神様かぶれは当時から有名だった。だもんで街の腐れっぷりにブチギレたとか、とある娼婦に熱を上げて駆け落ち企んだ所を用心棒と揉めた挙句の虐殺とか言われてる』 『ンなやべーヤツの本なんだって哥哥が欲しがるんスか。天国も地獄も信じてねェくせに』 『ダチの……腐れ縁の落としもんだから』 答えは実にあっさりしていた。 物問いたげな眼差しを受け止め、呉哥哥が韜晦する。 『俺様ちゃんもあそこにいたんだよ。バードバベルの災厄の生き証人ってわけ』 素でダチと言いかけて、わざわざ腐れ縁と言い直すのが呉哥哥らしいとあきれた。 天国も地獄も信じてねえ罰当たりな上司がどうしても手に入れてえとぬかすならこたえてやんのが舎弟の務めだ。 バードバベルで昔何があったかなんてどうでもいい、知ったこっちゃねえ。 「あと少し」 ズボンの股間を人さし指でなであげ、耳たぶに吐息を絡める。 太腿を遡る手はあえて咎めず、じれったげに開いた膝の奥へ誘い込む。 今この瞬間だけ、身も心も女になりきる。 「よ、よしたまえ。大事な時に」 「よそ見しないで。おとしてよ」 ハスキーな声で囁き、指に指を絡める。 「早く」 「5千万ヘル」 呉哥哥が手のひらを突き出して朗々と宣言し、今宵最大級のどよめきがお歴々が一堂に会すホールに行き渡る。 オークションの盛り上がりは最高潮に達した。扇子を持ったご婦人もオペラグラスを覗く紳士もカクテルを給仕するボーイも接待役のバニーガールも、誰も彼もが驚きと称賛の眼差しでステージと呉哥哥の顔を見比べている。 「でました5千万ヘル!他に入札ご希望の方はいらっしゃいますか、いらっしゃいましたら声と手をあげてください!」 司会者が唾を飛ばしてけしかけ、社長の注意を引き戻す。 「待ちたまえ!」 させるか。 「っふ」 肘掛から離れた瞬間を見計らい、素早くとらえた手の先端を甘噛みする。 俺は指フェラが得意だ、オーラルセックス専門の男娼が稼ぐには唇と舌と口をフル活用するしかなかったからだ。 ご用命とありゃケツの穴だってなめてやる。 甲高く澄んだ槌の音が閉幕を告げる。勝利と祝福の大喝采、波涛のようなスタンディングオベーション。 司会者がスポットライトに浮かぶ呉哥哥をまっすぐ指さし、意気揚々と宣告する。 「|夜梟の聖書《バイブルオブアウル》、5千万ヘルで落札です!皆様、呉氏に盛大な拍手を!」 「やりぃーお宝ゲット」 「ふざけるなよ、それは私の物だ!物の値打ちもわからんミュータントのチンピラ風情には相応しくない、やり直しだ!」 即座に俺を突き飛ばし立ち上がる社長、憤激に駆り立てられステージに突き進む後ろ姿に手を振り抜く。 ここで行かせちまったら努力が水の泡だ。 「きゃあああああっ!」 咄嗟に放った糸を足首に巻き付けすっ転ばしゃ、哀れっぽい悲鳴を上げて前の席のご婦人にダイブし勢い余ってドミノ倒し。 「え~人間ビリヤード?」 逃げんなら今。 トイレから戻ってくるなりきょとんとするコールガールの鼻先を駆け抜け、感動に涙ぐんで手を叩く大家の前を通過する。 「お見事。あなたなら立派なドラァグクイーンになれるわ」 「なりたくねえよ!」 蹴っ躓いた腹立ち紛れにハイヒールをぶん投げ、うざってえドレスの裾をたくしあげる。 ……よく考えりゃ最初から糸を使えばよかった気がする。 今さら思い当たれど後の祭り、12時迫るシンデレラよろしく階段を駆け上がって猛ダッシュ。 蒸れたウイッグを外してカクテルを配り歩くボーイにパスし、楽屋に引っ込んだのち元の悪趣味な柄シャツに袖を通す。 「ふー……」 ふざけた化粧を男用トイレのシンクで洗い流すと漸くさっぱりした。毛穴で呼吸できるって素晴らしい。 蛇口から迸る水を両手に受けて顔に叩き付け、濡れ髪を雑にかきあげる。 壁に嵌めこまれた鏡には、目の下にどす黒い隈がある貧相な痩せぎすの男が映ってた。 間違いなく肺を病んでそうな顔色。 「やっぱ厄日だ」 覚束ない足取りで正面玄関の階段を下りて車にもどりゃ、呉哥哥が手を振って待っていた。 「でかした」 「労ってんスかそれで」 「褒めてんだから喜べよ」 「もうやだ。クビにしてください。アンタの下で働くのはうんざりだマフィアなんかやめて真面目に働きます、梱包材のプチプチ量産するレーンで不良品弾く仕事します」 「イケてたじゃん。ハニトラ大成功」 話が成立しねェ。徒労のため息を吐いて話題を変える。 「戦利品は?」 「じゃん」 呉哥哥からジャケットを開いて内ポケットを見せる。無造作に突っ込んであるのは例の聖書だ。 「5千万ヘル……いやアタッシュケースに詰めろたあ言いませんけどね」 ドッと疲れた。呉哥哥が手招きする。 「約束のご褒美。じかに拝め」 パイソンのレザーパンツを引っ張り、特別に下の毛を見せてくれる。 「…………あ~」 賭けは俺の勝ち。 しかしまあ、わかった所でどうするよおい。本人に見せてもらったって言って連中信じる?証拠を出せって言われたら?一本だけなら抜いてもバレねえかな、さすがにバレるよな、てか死ぬよな。 凄まじい葛藤の末思考を全放棄、心からどうでもいいことを聞く。 「染めたんスか?」 「白くなったから」 「加齢で?」 「ストレス」 「下の毛が白くなるレベルって相当っすね、痛ッ」 足の疼きに顔をしかめる。原因は靴擦れ、ハイヒールで歩いたりなんかしたからだ。 呉哥哥も気付いたのか、人さし指をちょいちょい曲げて俺を呼んだあと予想だにしねえ行動をとる。 「よーしよしよしわしゃわしゃ~劉ちゃんはいい子だな~」 「ぶっ、ちょ、やめ」 髪の毛をかき回された、両手で。疥癬にかかった雑種犬を洗うときだってもうちょっと遠慮があるもんだ。 なのになんで 「や、痛いですって哥哥いたっ指圧ふはっ」 「口紅。まだ残ってる」 「え」 不意打ちで唇の端を拭われた。掠れた赤。哥哥の舌の温度と唇の感触がぶり返し、ふてくされて呟く。 「……もうしませんよ、女装は」 「フラグ立てんな」 「立ててませんし。マジでしませんから、土下座されてもお断りっす。今回は哥哥が困ってたから、じゃねえ、呉哥哥に義理立てして……恩返しみてェな感じで……」 親指でこそいだ赤をひとなめ、呉哥哥がにんまり笑って額を合わせてくる。 「謙虚で可愛いな、お前」 怖くてうざくて嫌なのに、もうこりごりなはずなのに、なんでこの笑顔だけでもっと必要とされたくなっちまうんだろな。

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