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第10話 グラントリアス王太子 後編

「へー、なるほど本物の王太子殿下なんですねー。道理で特徴通りだと――――え?」  遅れて理解したマコトは、驚愕に目を見開いた。 「おや、フェリックス。この人には言ってしまうのかい?」 「マコトは悪い奴じゃないからな。というかそもそも、兄さんの変装がバレバレなせいでギルドの職員のみんな知ってるぞ、兄さんの正体」 「ええ、そうだったのかい!?」  王太子、グラントリアスは素っ頓狂な声を上げた。 「じゃあ、もうこんなマスクなど意味ないね」    彼はマスクを外すと、静かにテーブルの上に置いた。  マスクの下から美しい顔が現れた。繊細そうな顔立ちをしているが、すっと鼻筋の通っているところなどフェリックスとそっくりだった。  今の短いやりとりだけで、彼が親しみやすい人物であることが伝わってきた。 「あ、あの、待って下さい。先輩のお兄さんが王太子殿下ってことは、先輩は王子様……ってことですか!?」  マコトは慌てた。  今まで先輩と呼び慕っていた相手が、王族だったかもしれないなんて。 「ああー……それはちょっと、微妙かな」  だがフェリックスからは、煮え切らない答えが返ってきた。  王太子の弟なのに、王子様ではないとはどういうことだろう。 「複雑な家庭でさ。そういう話とか別に聞きたくないでしょ?」  彼は軽薄な笑みを浮かべてみせた。まるで強がっているかのように。 「そんなことないです、僕は先輩のことなら何でも聞きたいです。……その、先輩さえ良ければ」 「……本当か?」  マコトが真剣に訴えると、彼は意表を突かれた顔をした。 「私から彼に話してあげようか?」 「いや、いい。兄さん。オレが自分で話す」  複雑な家庭の事情を自分の口から話すのは辛かろう、と思ったのかもしれない。  グラントリアスが助け舟を出したが、フェリックスはそれを断った。 「オレは国王陛下の私生児、つまり隠し子なんだ。母は王城に勤めるメイドだった。オレを産むと同時に母は亡くなった。遺されたオレを国王陛下は認知するつもりはなかったが、かといって王の血を引く人間を目の届かないところに置いておく勇気もなかったらしい。結果としてオレは、王家に忠実なとある貴族の養子となった」   「そんな! 認知するつもりはないって、何故……!? 父親なのに、酷いです!」  いつも飄々としていて、常に穏やかな彼。  そんな彼の口から出てきた重い過去に、マコトは胸が搔き乱される思いがした。 「さあな、メイドに手を出したのがバレるのが怖かったんじゃないか?」  彼は肩を竦めてみせた。 「そんな感じだから、オレは育ての親に常に従順さを求められて育ってきた。最初は養子だからかなと思ってたけど、ある時両親に打ち明けられたよ。『お前は王家の血を引いている。だからといって馬鹿なことは考えてはいけないよ、今まで通り目立たず生きるんだ』ってね」  その時に彼は生みの母親についても、軽く教えてもらったらしい。 「どうだ、聞いてもあまり面白い話じゃなかっただろ?」 「確かに愉快な話ではなかったですね。でも、知ることができて良かったです。先輩がどうして優しい人なのか、分かった気がするので」  『養子だから』なんて言葉が出るということは、育ての親にも実の子とは待遇に差をつけられて育てられてきたのだろう。きっと今までたくさん辛い思いをしてきたに違いない。  辛い思いをしてきた人間は必ず優しくなるとは思わない。それでも、彼がこんなにも自分に優しく寄り添ってくれるいい先輩なのは、彼が辛さをバネに頑張ってきたからだと思った。 「そ、そうか……」  マコトに真っ直ぐに見つめられたフェリックスは、気恥ずかしそうに頭を掻いた。 「それで、目立たないようにと言い含められている弟に、なんで兄さんは何度も会いにくるのかな?」  彼は話題を変え、グラントリアスに向き直った。 「ごめんよ、でも困ったことが起きたんだ。またフェリックスの助言が欲しくって」 「まったく、オレに聞いたからって解決するとは限らないのに」  フェリックスは口ではそう言いながらも、満更でもなさそうに向かいの長椅子に腰かけた。  兄弟二人の仲がいいことが窺えた。それも、こうしてグラントリアスが彼が訪ねてくるのは初めてではないようだ。  ぼうっと突っ立っているのも何なので、マコトもちょこりと彼の隣に腰かけてみた。 「聞いてくれよ、フェリックス。財務大臣が窓税を課したいって言っているんだ」 「窓税?」  聞きなれない言葉に、マコトは思わずオウム返しに聞いてしまった。 「ああ、建物についている窓の数に応じて税金を課そうという案だよ」  マコトの不躾な質問にも、グラントリアスは快く答えてくれた。 「ご、ごめんなさい口を挟んじゃって……。でも、窓の数だけ税金を取るなんて、なんだってそんなヘンテコなことをするんですか?」 「オレは分かったぜ。家に入らずに所得に応じて税をかけられると思ったからだろう?」  フェリックスはニヤリと笑った。 「ご明察だ、流石はフェリックス」  察しのいい弟に、グラントリアスも笑みを返した。 「そうだ、国家が税金を集めるのは富の再分配のため。そのためにはお金持ちからたくさんの税金をもらって、貧乏人からは取らない方が良い。ならば所得に応じて課税すればいいが、人々の所得を正確に知る方法はない。家の中にズカズカ入り込んで、財宝の数をいちいち数えるのは嫌がられるし、調べる方も大変だ」  彼は溜息を吐きながら説明してくれる。   「そこで件の財務大臣殿は、画期的な方法だと言って窓税という概念を会議の場で発表した。窓に使う硝子は高級品だ。だから窓の数に応じて税金を決めれば、必然と所得に応じた課税になるはずだと言ってね。窓の数ならば、家に入らなくて数えられるから」 「王太子殿下はそうは思っていないということですね?」  マコトの問いに、彼はこくんと頷いた。 「そうだとも。ああそれと、王太子殿下なんて言い方はよしてくれ。グラントリアスでいい」 「い、いえ、そういうわけには……!」 「兄さん、マコトを困らせないでくれ」  泡を食っていると、フェリックスが止めてくれた。  離れ離れで生きている兄弟にしては「兄さん」呼びは気安いと思っていたが、きっと今のようにグラントリアスがそう呼べと頼んだのだろう。マコトは見当をつけた。 「話を元に戻そうか。そうだ、私は大臣の案は愚の骨頂だと思っている。考えてもみてくれないか、どんなに貧しい人の家屋にだって一つ以上は窓がついているはずだ。とても所得に応じた税になるとは思えない。だが大臣は頭が固く、意見を翻そうとはしない。それに父は、貧しい人間の暮らしがどうなろうと自己責任だと言って無関心なんだ」  グラントリアスが気がかりに思っていることは、どんなに貧しくても一定以上の税金がかかってしまうのではないかということだ。マコトは何とか話を理解できた。 「フェリックス、頼む。大臣を説得する方法を一緒に考えてくれないか」  彼は切実な表情で頼み込んだ。  民のことをよく考えてくれている人だと伝わってきて、マコトは既に彼に好感を持っていた。 (さすが先輩のお兄さん、いい人だ)  ホワイトプリンスと呼び慕われるわけだと、納得した。 「うーん、オレの感想を言ってもいいかな」 「もちろんだとも」 「財務大臣も兄さんも、考え方が『お坊ちゃま』すぎるよ」 「お坊ちゃますぎる……? どういうことだ、フェリックス」  グラントリアスに問われ、フェリックスはにこりと笑う。 「オレはこうして冒険者ギルドに勤めて、庶民と会話することもたくさんある。だから、庶民がこういう税を課された時に何をするか知ってる」 「私には分からないよ。彼らは一体何をするというんだい?」 「窓を塞いでしまうんだよ。窓を減らして、税金から逃れようとするんだ。すると最悪の事態が引き起こされる。換気が不十分になったことで、病が蔓延するんだ」 「……!」  彼の語った恐ろしい未来に、マコトはぞっとした。 「そんな視点はまったくなかった……! さっそく大臣に伝えてこよう、窓を潰されたら税が取り立てられないし病が蔓延すると。それならばあの大臣も説得されてくれるだろう」  グラントリアスの顔がぱっと赤くなり、白い頬に赤みが差した。 「ありがとう、フェリックス! やはり君はあっという間に答えを出してくれた! さすがは頼れる私の弟だ!」 「よせよ兄さん、オレはただちょっと自分の視点で無責任な意見を言ってみただけだって」  彼の全力の褒め言葉に、フェリックスは照れていた。  そんな二人が微笑ましくて、マコトは隣でにこにこと見守っていたのだった。 (やっぱり、先輩はすごい人だ。王子様だからとかじゃなくて、先輩自身が) 「仕事中に訪れたりして、すまなかったね。この時間帯しか抜け出せなくって」 「いや、全然いいって。兄さんならいつでも来てくれよ」  グラントリアスの相談ごとも終わり、和やかにお別れをする空気になった。 「よし、仕事に戻るかマコト」  フェリックスが声をかけてくれたので、マコトは後ろについていこうとした。 「ちょっと待ってくれないか、マコトくん」 「はい?」  背後からグラントリアスに呼び止められてしまった。 「少し、話をしたくて」 「僕にお話ですか……?」  自分に一体何の話があるのだろう、と思いながらマコトは足を止めて振り返った。 「あー、じゃあオレは先に戻ってるから」 「は、はい!」  フェリックスは先に行ってしまい、応接室にはグラントリアスとマコトの二人だけになった。 「あの、王太子殿下。一体何の用なんでしょうか?」    長椅子に座り直し、マコトは聞いた。 「そんなに構えないでくれたまえ、ただ礼を言いたいだけなのだ」 「お礼、ですか?」  心当たりがなく、頭の上にハテナが浮かんだ。 「見ての通り、弟はとても賢い男だ。だが、その賢さを発揮することは望まれてこなかった。彼に望まれたのは、ただ大人しく生きることだった。そのせいだろうか、弟はとても無気力な生き方をしていてね」 「あ……」  マコトは、以前クレアが言っていたことを思い出した。  フェリックスは何もかもを諦めているみたいに無気力に生きていた、と。  それはもしかしてこのことだったのだろうか。 「けれども、今日は違った。今日のフェリックスは生き生きとしていた。それはきっと、君のおかげなのだろう?」 「いえ、そんな! 僕が一方的に先輩のお世話になっているだけなんです!」  クレアにも似たようなことを言われたが、彼のことを元気づけているだなんて恐れ多い。  マコトは慌てて否定した。 「しばらくぶりに会った弟は元気になっていて、弟の職場には新入りの職員が。そして弟はその新入りにすぐに私の正体を教え、自分の生い立ちも話した。弟の変化に君が関わっているだろうという私の推理は、そう間違ってはいないと思うけどね」  グラントリアスは、にこりと微笑んだ。 「え、ええーと……でも、助けられているのは僕の方ばかりです」 「それでも、お礼を言わせてくれないか。ありがとう」  彼はさらりと感謝の言葉を口にした。  それから、呟くように言った。 「……本当なら、弟はもっと要職に就くべき人間だ。そうは思わないかい?」 「はい?」 「父が弟のことを遠ざけているのは、きっと私のせいなのだ」  彼の視線はいつの間にか目の前のマコトではなく、どこか遠くに向けられていた。  実際、彼が口にしたことは独り言に近かった。 「私は子供の頃に大病を患って死にかけたことがある。そのせいか、今でも身体が丈夫な方とは言えない。そこで健康なフェリックスを受け入れれば、私が王太子の座から引きずり降ろされるかもしれないと父は怯えているんだ。……私さえいなければ、フェリックスはもっと幸福な人生を送れていただろう」  まるで懺悔のようだ、とマコトは感じた。 「いつの日かフェリックスはきちんと王族として扱われ、彼の好きな職に就いて好きなだけ活躍すべきなんだ。できることならば、私の右腕として働いてくれればどんなに心強いことかと思う。そのためならば、私はどんなことでもするつもりだ。私の弟を私の弟だと公然と口にできるようにしたい。それが私にできる償いだ」  そこで、グラントリアスの呟きは終わった。 「……そう、ですね。先輩はギルド職員にしておくにはもったいない人です」  彼の言葉に心から同意できると思ったのに、何故だか胸の奥がつんと痛んだ。

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