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第19話 初めて手を繋いだ日

 フェリックスは彼の言葉通り、二人の関係を急ごうとしたりはしなかった。  いろんなことをしたいだろうに、彼は辛抱強く待ってくれた。  そんなある日の帰り道。 「もうすっかり冬だなあ」  店で食事をして、家まで帰る途中。  グリュっちに乗ると夜風が冷たいので、たまにはと歩いて帰っているところだった。 「そうですね」  吐く息が白くたなびき、マコトは冬の訪れを実感した。 「マコト、手袋は?」  赤くなった指先を見て、フェリックスが尋ねる。 「あ、手袋は買ってないです。こんなに寒くなるとは思わなかったので」  冬くらい、手袋などなくともポケットに手を入れて俯いて歩いていれば越せる。前の世界ではそうだった。   「手袋がないなんて大変じゃないか。近いうちに買いにいかないとな」  でも、彼はそう言ってくれた。 (「買いに行かないとな」って……一緒にって意味だよね?)  自然に一緒に行動してくれる前提で物を言ってくれる瞬間が好きだ。  小さな幸せを感じる。 「ああほら、すっかり冷えてるじゃないか」  彼がマコトの手を取って言った。  手はすっかりかじかんでいて、彼の手の感触が上手く伝わってこない。 「手を繋ごう……そしたら、あったまるから」 「あ……は、はい!」  それが、マコトが彼と初めて手を繋いだ瞬間だった。  胸がぎゅっとして、幸せな気持ちが溢れてくる。  最初は冷え切っていた指先が、次第に彼の手の温度を熱いくらいに伝えてくるようになった。 「あ……雪だ」  頭上を見上げ、マコトはポツリと呟いた。    空からチラホラと、白い塊が降ってくる。  ふわりふわりと落ちてくる雪に手を伸ばすと、雪はマコトの指先に触れて融けて消えた。 「わあ、綺麗……」  幻想的な光景に、マコトは目を輝かせた。  やがて降る雪の量はどんどんと増えていった。 「あー……こりゃ、積もるな」  ポツリ、フェリックスが呟いた。   「え、雪が積もるんですか!?」  雪が積もるとの言葉に、マコトは笑顔になった。頭の中ではかまくら作ったり、雪だるま作ったり憧れの遊びができると大はしゃぎだ。  対する彼の顔は対照的で、うんざりとした様子だった。 「ああ、そりゃ積もるさ。ここは雪国だからな」 「え……?」  こんなに積もるとは思わなかった。  翌朝、窓から見える光景が真っ白に染まっているのを見てマコトは口をあんぐりと開けた。  どこもかしこもどっさりと分厚い雪が積もっている。  朝日が差した程度ではとても融け切りそうにない厚さだ。  そして雪の積もった道がこんなにも歩きづらいとは思わなかった。  積もった雪の深さはマコトの膝よりは下だが、一歩進む度に足が埋もれて取られる。  こんなに歩きづらいとは思わなくて、いつもの時間に家を出てしまった。  マコトは焦って歩みを進める。  すると、突然ガクリと足を取られた。 「うわっ!」  身体が傾いだ後で、いま自分が踏んだ雪の下は地面がへこんでいることを思い出した。  雪が積もっているときは、雪の下に何があるか思い出しながら歩かなければならないみたいだ。  マコトは無様に雪の上に転んだ。 「うう……」  季節が変わるたびに転んでいる気がする。  今回も眼鏡が割れなかった幸運に、マコトは感謝した。 「お、遅れてすみませんー!」  マコトがギルドに駆け込む頃には、すっかり始業時刻を過ぎてしまっていた。 「マコト、どうしたんだ? 絶対に遅刻しないマコトが遅いから、みんなで心配してたんだぞ」  フェリックスが駆け寄ってきた。  他の職員たちも一様に心配の色がこもった視線を向けてきた。  怒られる覚悟をしていたのだが、それよりも随分と心配させてしまったらしかった。  下手に怒られるよりも申し訳なさが募った。 「あの、雪に足を取られて転んだりして苦戦してたら遅れただけなんです。ごめんなさい……」 「雪だらけじゃないかマコト。早く雪を取らないと融けてべしょ濡れになるぞ」 「あ、はい、ごめんなさい!」  フェリックスはマコトの頭の上の雪を払い落とし、次にコートを脱がせて同じく雪を払った。  距離感が近すぎて、二人が交際していることが皆にバレてしまうのではないかと、マコトは気が気でなかった。 「それにしても、マコトの世界では雪って降らなかったのか?」 「いえ、降る地域もあったんですけど僕が住んでいたところではめったに降らなくて……」  雪が二センチも積もれば電車が止まるようなところだった。  雪道なんて初めて歩いた。 「それで苦戦したんだな。なら、オレが毎朝迎えにいってあげようか?」 「え?」 「オレが毎朝ギルドまで送ってやるよ」  彼の言葉に、毎朝彼が迎えに来てくれる様を想像してみた。  それはとても素敵なことのように思われた。 「で、でも、毎朝迎えに来てもらうなんて、悪いですし」  素敵だけれど、きっと大変だろう。  そう思って、断ろうとした。  すると、彼がすっと顔を寄せて耳打ちしてきた。   「恋人同士なんだから、毎朝家まで会いにいけるなんてむしろご褒美だろ?」 「ひゃっ!?」  耳打ちの内容よりも、人前なのに密着されたことにビックリして頬を赤らめた。  人前だからこそ耳打ちにしたのだろうけれど。 「ひゃ、ひゃい……わかりました」 「よし、明日から迎えに行くからな!」  ぽんと肩に手を置かれ、毎朝の送り迎えが決定してしまった。  そんな二人を、ギルド職員たちは生暖かい視線で見守っている。 「あ、あ、あの、早速仕事に移りますね、遅れた分がんばらないと……!」  恥ずかしさを紛らわせるために机に向かおうとしたのだが、フェリックスがそれを手を掴んで引き留めた。    「数分の遅れぐらいどうってことないって。こんなに手が冷たいじゃないか、かじかんで上手くペンを握れないだろ。休憩室に行って、温かいお茶を飲もうぜ」  たしかに、今すぐ仕事を開始しても手がかじかんで酷い文字を書くことになるだろう。 「でも、そしたら先輩の仕事も……」  魔力のないマコトでは、温かいお茶の出てくる魔法のティーポットを扱えない。  彼の提案はつまり二人で休憩室に行こうという意味だ。 「問題ないって。数分の余裕もないようなギリギリの仕事はしてないから」 「フェリックスくんの言う通りよ。風邪を引かないように、しっかり温まってきなさい」 「は、はい。じゃあ温まってきます」  クレアさんも頷いてくれたので、マコトは彼の提案に従うことにした。  休憩室では、暖炉の火が赤々と燃えていた。  事務室の暖炉も火がついていたが、休憩室の方が部屋が小さい分暖炉の熱が拡散せずに済んでいるのか暖かく感じられた。  長椅子に腰かけると、フェリックスが魔法のティーポットを手に取ってカップにお茶を淹れてくれた。 「はい」 「ありがとうございます」  受け取ると、カップの中で伽羅(きゃら)色のミルクティーが湯気を立てていた。  顔を綻ばせ、カップを傾けた。優しい味に、身体の内側から温まっていく。 「ほう……」  ほっと溜息を吐いた。 「早く手袋を買わなきゃな」 「はい、そうですね」  本当にそうだと、彼の言葉に同意した。  転んで地面に手をついた拍子に、すっかり手が冷え切ってしまった。  手袋をつけていれば、そんなことにはならなかっただろう。 「コートももう少し厚手のものの方がいいな。そうだマコト、今週末は一緒にショッピングに行こう。それがいい」 「ショッピング、ですか……?」  隣の彼を見上げる。  いままでショッピングに楽しさを見出したことなどなかった。    だが。 「嫌か?」 「いいえ、先輩と一緒ならすごい楽しみです!」  彼とのデートなら、なんでも楽しいに決まっている。

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