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第28話 王子様にはならない

 フェリックスの誕生日は数日後だ。  マコトが店に頼んだ革製品はもう完成していて、いまはマコトの家で誕生日を待っている。  彼が朝のお迎えにきたときに見つかったりしないよう、ちゃんと隠してある。    ビックリしてくれるかな、喜んでくれるかな。  期待と不安を交互に感じながらも、受付で仕事に励んでいるときのことだった。 「やあ」  爽やかな声に、マコトは顔を上げた。  聞き覚えのあるこの声の主は、グラントリアス王太子だ。  そこにはやはり白づくめの美青年がいた。  当たり前のように王太子が職場を訪ねてくる異常にもう慣れてしまった。  今日はフェリックスも近くで受付をしていて、マコトが呼ぶまでもなく近寄ってきた。 「どうしたんだ兄さん」 「フェリックスの誕生日を共に祝いたい。まだ当日ではないけれど、当日は時間が取れなさそうでね」    誕生日祝いのために来たとの言葉に、フェリックスは笑顔を見せた。 「それなら仕事のあとに一緒に飲みに行こうか」 「うん、そうしよう」 「マコトも一緒に来てくれよ」 「え、ええ!? いいんですか!?」  いきなり話がこちらに向けられ、マコトは仰天した。  てっきり家族水入らずで時間を過ごすのだと思っていたから。 「いいよな、兄さん?」 「ああ、もちろんだよ」  グラントリアスは鷹揚に笑ってくれた。  こうして三人で飲みにいくことになった。  その後カインがギルドに来たのでカインも誘ってみたが、フェリックスを祝う誕生会だと知ると「嫌だ、行かない」と断られてしまった。どうしてだろう。  首をひねりながらも、終業後三人で飲みに向かった。  王太子殿下を飲み屋にお連れしてもよろしいのでしょうか、なんてマコトが内心恐れ戦いたのも無理はない。  フェリックスが向かった先は、いつものよりは客層が大人しめなもののごく普通の居酒屋だったからだ。  少し広めのテーブル席に通されたが、それだけだ。個室でもなんでもない。  マコトの給料半年分に相当する携帯型ラヂオが店の隅に設置されているし、居酒屋の中ではランクが高い方なのではあろうが。 「へー、これが庶民の利用する飲み屋というものか」  当の本人は至極楽しそうだ。  楽しそうならいいのかもしれない。 「兄さんは庶民の料理とかよくわからないだろ。こっちで適当にオススメのを注文してやるよ」 「ありがとう、フェリックスを祝う会なのにすまないね」 「これくらいなんでもないさ」  この世界に来たばかりのマコトに対してしてくれたように、フェリックスはオススメの料理をどんどん注文していった。きちんと忘れずマコトの好物である甘い物も注文してくれるので、特にマコトが口を出す必要はなかった。  羊肉のミンチ揚げに串焼きに、バターで味付けした貝の実、サジ豆を裏ごしした白いスープ、赤い実が目に鮮やかなサラダ、ピザに似た窯焼きパン、ひき割り麦のピラフ、それからマコトの大好きな蜂蜜をかけたタイユだ。  この世界に来たばかりのときは、どの料理がなんなのかまったくわかっていなかったが、いまではどういう食べ物なのか大体わかる。  グラントリアスの目には、テーブルの上に並べられていく料理の数々が正体不明のなにかに映っているのかもしれない。この世界に来たときのマコトのように。  フェリックスとグラントリアスには温められた葡萄酒が、マコトには葡萄ジュースが運ばれてきた。 「わあ、ご馳走ですね……!」 「へへ、兄さんが奢ってくれるからな。じゃあ、乾杯!」 「「乾杯!」」  長々とした挨拶も何もなく、誕生会は唐突に始まった。  マコトは慌ててジュースの入った杯を取り、皆と杯を合わせた。 「フェリックスは今度二十六歳になるのか」  スープを上品な仕草で掬い取りながら、グラントリアスがしみじみと呟いた。 「よくオレの年覚えてたな」 「覚えているに決まっているとも」  フェリックスは丸いミンチ揚げにナイフを入れている。  マコトはサラダをもぐもぐと食べている。 「同い年だったのに、また先輩が一つ上になっちゃいますね」 「あ、しまった。同い年の間にマコトにタメ語で喋ってもらうべきだったな」 「え、ええ!? なんでですか!?」 「いまからでも遅くはない。マコト、誕生日までタメ語にしないか? マコトさえよければ、この先一生でもいいけれど」  フェリックスの突然の妙な提案に、マコトは戸惑う。  こんな変なことを言い出すなんて、きっともう酔いが回っているのだ。 「ふぇ、フェリックス?」  彼の提案に応えるために、先輩ではなく名前で呼んでみた。  なんだか気恥ずかしくって、顔が熱くなる。 「フェリックス……! いいな、いい響きだ。一生そう呼ばれたいな」  彼は噛み締めるように呟いた。   「も、もう無理です! これでおしまいです!」  やはり彼は寄っているのだと判断して、タメ口を取りやめた。  なんだか、人前でやるにはあまりに恥ずかしいやり取りだと感じたからだ。 「ふふ、フェリックスとマコトは仲がいいね」  グラントリアスが笑った。  いまのやり取りを仲がいいの一言だけで終わらせてもよいのだろうか。  庶民の料理はグラントリアスの口に合ってくれたようだ。  美味しい美味しいと言いながら料理を次々と口にしている。  楽しい時間を過ごしていると、ザザッと雑音が鳴る。  ラヂオ放送が始まる前触れだ。  店内に設置された携帯型ラヂオが起動したのだろう。 『国王陛下の御病気は……小康状態にあり……』  居酒屋の喧噪の中、ラヂオの声が途切れ途切れに聞こえてくる。 「ラヂオではああ言っているけれど、父はいつ亡くなってもおかしくない 状況だ」  グラントリアスがぼそりと呟いた。  マコトは動揺した。彼が他人に聞こえるかもしれないのに、国王を父と呼んだりして正体がバレかねないことと、国王が危篤であることとの両方に。  「兄さん、いま言うことじゃないだろ」 「いや、いま言っておかないと。父さえいなくなれば、フェリックスを疎む者はもう誰もいなくなるんだよ。フェリックスを王族として迎え入れることができるんだ」  ぎゅっと心臓が掴まれて、つま先まで全身が氷になったように感じられた。  幸せな日常がずっと続くと、いつの間にか思うようになっていた。  でもそれは違う。いつしか変化は否応なく訪れるものなのだ。 (先輩が王族になってしまったら、ギルド職員なんかではいられなくなる。それどころか、恋人でもいられなくなるかもしれない)  あまりに唐突な変化に、マコトは泣きたくなった。 (違う、最初からこの瞬間を覚悟してなきゃいけなかったんだ)  彼は国王の庶子だ。  いつかこうなることは、予期してしかるべきだったのだ。  なのに分をわきまえず彼に恋してしまった。  マコトは辛さを堪えるために、じっと俯き膝の上で握りこぶしを作った。  その握りこぶしの上に――フェリックスの手が重なった。 「兄さん、オレは王族にはならないよ」  堂々とした宣言が、耳に届いた。  マコトはハッと顔を上げ、彼の横顔を見つめた。  翠緑の瞳がまっすぐにグラントリアスを見返していた。 「オレはいまの生活で満足しているよ。ギルドで働くのは楽しいし……なにより、恋人のマコトがいてくれるから。オレは王族として認められる必要はないんだ」 「先輩……」  彼が握ってくれた手から、じわじわと身体に温度が戻っていくように感じられた。  一緒にいたいと思ってくれているのだ。決して分不相応なんかではないと、彼の手の温かさが伝えてくれた。嬉しさに視界がぼやける。  マコトの心を救ってくれるのは、いつでも彼だ。 「……そうか、私の提案は余計なお世話だったみたいだね。忘れてくれ」  仮面の下の顔は陰りを帯びたが、すぐににこにこと笑顔になった。 「弟がこれ以上ないくらい幸せなようでよかった! 特にマコトくんと恋人同士になっていたなんて知らなかったよ、なんで教えてくれなかったんだい?」  和やかな空気が、また戻ってきた。  これでよかったのだろうか。  煩悶したのは、その晩のベッドの中でだった。 (先輩が僕を選んでくれたのは嬉しかった……でも、グラントリアス王太子を始めとしてたくさんの人が先輩のことを待っていたんじゃないかな)  いつかのグラントリアスの言葉を思い出す。  私の弟を私の弟と公言できるようにしたい。  このままではグラントリアスは、公式な場でフェリックスと兄弟として振る舞うことはできないのだ。 (先輩は優秀な人だから、王族として要職に就けばきっといろんな人を助けられる……)  ギルド職員として一生を終えさせていいのだろうか。  それはフェリックスのためになるのだろうか。  みんなのためになるのだろうか。  その晩は、眠れなかった。

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