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パンジー
あるところに、きいろい花とむらさき色の花がありました。ふたりはもとはおなじ花なのですが、きいろい花がげんきで明るくはなやかなのに対し、むらさき色のほうは顔いろもわるく手足もなえて、満足にあるくことさえままなりませんでした。
ふたりにはご主人様がいました。いつもまっしろな白衣をきて、おおきな温室でいろいろな草花を育てています。ふたりをつくったのもこのひとです。
ご主人様はきいろい花がだいすきで、いつもきいろのながい髪をていねいにとかしてやり、お日さまのようにまぶしいほほえみをいとおしそうに見つめていました。けれどむらさき色のことはだいきらいで、床をはいつくばるところをみつけるととてもいやそうな顔をするのです。ご主人様はむらさき色のことを「できそこない」と呼んでいました。
けれどもむらさき色はご主人様がだいすきでした。なんといっても、じぶんをつくってくれた方なのです。いつもご主人様につくそうとがんばるのですが、あるくこともままならないできそこないには、なにひとつできることはありませんでした。
そんなある日、きいろい花がおなかをこわし、ぐったりとやすんでいるときがありました。なにかわるいものをたべてしまったのか、いつもはふっくらと白いほおもまっさおです。ご主人様がとてもかなしんでいるのを見たできそこないはかんがえて、よるにきいろい花の枕元へそっと近よりました。
「できそこないがぼくに何のよう」
そういうきいろい花はとてもくるしそうです。むらさき色はきいろい花の手をとり、しんけんな顔でいいました。
「ぼくをたべておくれよ。ぼくはこのとおり手足もじょうぶじゃないしあまり栄養はないかもしれないけれど、もとはおなじ花なのだから、すこしはきみをげんきにする手助けができるかもしれないよ」
「いやだね、おまえみたいなまずそうなの、たべたくない。それにぼくがおまえをたべたらおまえはきえちゃうんだぞ。それでもいいのか」
むらさき色はうなずきます。
「きみのげんきがないと、ご主人様がかなしむだろ。ぼくのいちばんのねがいはあの方がわらってくださることなんだ。そのためにはぼく自身なんかいなくてもいいんだよ」
むらさき色があまりに熱心にそういうので、きいろい花は彼をたべてやることにしました。つぎの朝、きいろい花はすこしずつげんきになり、やがてもとのまぶしいうつくしさをとりもどしました。しかし温室のどこにも、むらさき色の姿がないことに気づく人はいませんでした。
そしてなんどめかのお日さまがやってきたころでした。ご主人様はきいろい花のうつくしい髪のなかに、ひとふさのむらさき色の髪がまじっていることに気がつきました。
ご主人様のわけのわからぬまま日に日にむらさき色の髪はふえ、やがて顔いろもわるくなり、うつくしかったきいろのすがたはまるであのできそこないそのものになっていました。ご主人様はかがやくほほえみを浮かべなくなったきいろい花に、おまえはだれだ、わたしのきいろになにをした、と問いかけました。
「ああ、ご主人様。ぼくはきっと、してはならないことをしたのですね」
なきながらつぶやいたのは、まぎれもないむらさき色でした。
じつはふたりのうちきいろい花はとてもめずらしく、おなじ茎についたほかの花が枯れてしまうとじぶんも枯れてしまうくらいもろい色でした。けれどどうしてもきいろい花が欲しかったご主人様は、おなじ茎についたむらさき色のつぼみにはできるだけえいようをあげずに、しかし枯れてしまわないようによわらせてむらさき色を育てたのです。そうしてようやくできたのがあのきいろい花でした。むらさき色ができそこないなのは、うまれるまえにじゅうぶんなえいようをもらえなかったからなのです。
そんなよわいきいろの花がむらさき色をたべてしまったあと、きいろい花のなかに入ったむらさき色の遺伝子がきいろい花をすこしずつ消してしまいました。そうしてきいろい花はいなくなってしまったのです。
ご主人様はとても怒り、むらさき色になんどもなんどもひどい言葉をぶつけました。おまえなんかさっさところしてしまえばよかったんだとまでいいました。むらさき色はご主人様のだいすきなきいろい花を奪ってしまったのがかなしくてしかたがありませんでした。
温室のすみでむらさき色の髪をかくしながら、くる日もくる日もごめんなさいと蜜の味のする涙をながしました。
そんな日々がしばらくつづいたころ、ご主人様がむらさき色にぎんいろのおおきな台のうえに乗るように命じました。理由をきくとご主人様は、おまえの中のどこかにすこしだけ残っているかもしれないきいろい花の部分をさがすのだといいました。むらさき色のからだをきりひらくためのとがったメスをみてむらさき色はとてもこわくなりましたが、なにもいわずに台のうえによこたわりました。めをとじて、切りひらかれるのを待ちうけたのです。
「ぼくはあなたのたいせつなひとをうばってしまいました。そのことはゆるされないし、いのちをもってつぐないます。けれどもぼくはご主人様にわらっていてほしくて、そのためにぼくにもできることがあればと願っただけなのです。たとえできそこないでも、じぶんをつくってくださったあなたのことを、ぼくはだいすきなのです。できることなら、ぼくがきえても、それをすこしだけでいいのでおぼえていてほしいのです」
それができそこないの最後の願いでした。どうかぼくのなかにきいろがすこしでも残っていて、そしてご主人様がまたわらってくれますように。そういのるむらさき色に、どうしてかいつまでたってもメスのつめたい感触はおとずれませんでした。できそこないがそっと目をひらくと、メスを置いたご主人様がこちらをみつめていました。
どうしてかご主人様はできそこないを切りひらくのをやめてしまいました。メスをしまい、かわりにあまい蜜をもってきてできそこないになめさせました。はじめての蜜はとてもあまくて、きいろい花の瞳のような金いろをしていました。
それからというもの、ご主人様はきいろい花を取りもどそうとするのをぱったりとやめてしまいました。かわりにむらさき色にまいにち蜜をやり、朝露をぬぐい、もつれた髪をていねいにとかしました。むらさき色がなんどたずねても、ご主人様はもうおまえをきりひらくのはやめたのだとしか口にしませんでした。ご主人様がまいにちお世話をしてくれるのでできそこないはすこしずつげんきになりましたが、ご主人様がどうしてきいろい花を取りもどすのをやめたのかがわからずにいました。ただ、ずっと夢みていた髪をとかしてくれるご主人様の指さきの感触は、とても心地のよいものなのでした。
しばらくしたころ、お天気のいい日はお日さまにあたるほうがちょうしがいいのだというできそこないのために、ご主人様はとうでできたゆりかごを用意してやりました。まるくておおきなそのゆりかごはなかにふかふかのクッションが敷きつめられ、できそこないがなかにすっぽりおさまってお日さまにあたると、ぽかぽかとあたたかくてきもちがよくなりました。そうしてできそこないがうとうととねむってしまうと、ご主人様はお仕事の手をとめてやわらかなブランケットをかけてやるのでした。
それはとてもとてもおだやかな日々でした。できそこないはまいにちゆりかごに揺られ、ときどき草花に水をやり、ご主人様からからだのためにのむようにいわれている、蜜を垂らしたあまいお茶をのみます。ゆりかごに揺られながらお仕事をしているご主人様をながめるのが、できそこないのすきなことになりました。
けれども、おわりはとつぜんにやってきました。ある日できそこないは、じぶんの指さきがかさかさと枯れていることに気がついたのです。むらさき色の髪の先も、茶色にくすんでいます。ご主人様はいいました。おまえはもとは草花で、もともとあまりながくはいきられないんだ、と。できそこないは、じぶんのいのちはご主人様よりずっとずっとはやくおわってしまうのだということを、そのときはじめてしりました。
いよいよ自分が枯れてしまうのだと知ったとき、できそこないはご主人様におねだりをしました。自分の種がほしいと言ったのです。
ご主人様は反対しました。というのも、種をつくるのはとても体力のいることなので、いまのできそこないにはとても耐えることができないからです。もし種をつくれば、残りすくないできそこないのいのちはさらにみじかくなり、最後のときがますますそばにくるでしょう。ご主人様はそれがいやなのです。
しかしできそこないはゆりかごの中で、なんどもなんどもご主人様にお願いをしました。
ほんとうのことを言うと、できるだけ長い時間をご主人様のそばで過ごしたいと思っていました。けれどできそこないは、自分がいなくなったあとのご主人様のことを考えたのです。この広い温室にひとりきり、ずっと草花を育てつづけるであろうだいすきなご主人様のことをおもうと、できそこないのむねはいつもちくちくといたくなりました。
できそこないがあまりにつよく種がほしいと願うので、ご主人様もとうとうできそこないに種をさずけてやることにしました。できそこないのもとになった花のめしべをつんで、できそこないのからだのなかにいれてやると、できそこないのおなかのなかにはちいさな種ができました。できそこないはゆりかごのなかでそれを産みおとし、だいじにだいじに、ご主人様の手に落としました。
「ご主人様、ぼくがいなくなったらかならず、この種を育ててくださいね。あなたがさみしくないように、ひとりぼっちにならないように、ぼくが最後にしてあげられることは、これきりなんですから」
ご主人様はそのひとつぶきりの小さくてまるい種を、ほかの種たちがねむる場所にだいじにしまいました。
そしてまもなく、できそこないに最後のときがやってきました。ゆりかごのそばでできそこないをみつめるご主人様に、できそこないは手をつないでほしいと頼みました。
「ああ、あたたかい。ぼくがいなくなってもかわらず、ご主人様はあたたかいままなんですね。よかった」
ぼくのいちばんのしあわせはあなたがげんきでいてくれることです。ご主人様の笑顔がだいすきです。ぼくがいなくなったあとも、ずっとわらっていてください。できそこないはそういいました。ご主人様の目からぽたぽたと雫がこぼれ、できそこないの頬をぬらしました。そのひとすじが唇にながれて、できそこないは、ご主人様のなみだはあまくないんだな、ということをしりました。ご主人様がないていることがつらくて、あまりみえなくなってきた目でできそこないはほほえみました。
「さようなら、ご主人様。ぼくはあなたの花で、ほんとうによかったです」
お日さまがかたむきはじめた温室のなかで、ご主人様はできそこないの瞼を閉じてやり、かさかさに乾きはじめた唇にそっとくちづけをしてやりました。ご主人様からできそこないへの最後のことばは「愛している」でした。そのことばのあまいひびきは、できそこないのいのちをあたたくてやさしい場所へとつれていったのでした。
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