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40.エピローグ

 クレムス国王の別荘は山の麓にある湖畔に建てられた木造建築だった。デーア大公国に移り住んだとき最初に暮らした離宮と比較してもより一層小規模で、かなり家庭的な印象だ。もちろん一般市民が住まえるようなものではないが、陛下はここで平民風の暮らしをするのが楽しみの一つなのだそうだ。  僕とグスタフは陛下に招かれ、子どもたちを連れてその別荘を訪れていた。建物の二階にある寝室に入り、木枠の窓を開けながら僕はグスタフに向かって言う。 「なんて気持ちいい所なんだろう! 見て、窓を開けたらすぐに湖が。遠くの山も綺麗に見えるよ」 「眺めが気に入ったか? 建物は質素だが、たまにはこういう暮らしをするのも良いものだろう」  漆喰の壁に太い梁、天井と床は板張りだ。僕は室内をキョロキョロと見回してつぶやく。 「木造の建物自体あまり馴染みがないからとっても興味深い。平面図と立面図を見てみたいなぁ」 「やれやれ、こんな所まで来て図面の話か?」 「ああ、ごめんね。あ! 見て、ボート。後で乗りに行こうよ」 「わかったわかった。そうはしゃぐな。荷物を解いたらまず子どもたちにおやつを食べさせてやらないと」 「それもそうだね。あんまり素敵な所だから、つい」  荷解きをして広間に行くと、子どもたちは年上の従兄妹たちに遊んでもらっていた。 「陛下、本日はお招きありがとうございます」 「来てもらえてよかった。私の子どもたちも退屈せずに済む」 「早速一緒に遊んでいただいてるみたいですね」  レオナルド四世には子どもが既に五人いるが、今回来ているのは下の二人――次女のマリアンヌと三男のティモシーだけだった。上の兄弟達は学校などで忙しいのだそうだ。 「マリアンヌは赤ん坊が好きだから放って置いたらいつまでも面倒を見続けそうだな」 「乳母いらずですね」 「兄上、ルネがボートに乗りたがっているのですが子どもたちを置いて散歩に出掛けてもよろしいですか?」 「ああ、勿論だ。私も妻と後で向かおう」 「ではお先に」 ◇◇◇ 「ああ、静かで本当に素敵なところ。デーア大公国の離宮も大好きだけど、ここはまた壮大な景色だね」  離宮は森に囲まれた小さな湖に面しているが、ここの湖は山に囲まれたかなり大きなものだ。僕とグスタフはボートに乗って湖に漕ぎ出した。 「ルネ、お前はボートなんて漕いだことはあるのか?」 「ううん、リュカシオンではボートに乗った記憶はないなぁ」 「じゃあやってみろ」  そう言われてやってみたけどあっちに曲がったりこっちに曲がったりして全然思うように進まなかった。それで結局グスタフが櫂を持ってくれることになった。  湖面に太陽の光がキラキラと反射していて眩しい。このまま目を瞑っていたら寝てしまいそうなくらいの心地良さだった。 「陛下に感謝しないとね。こんな素晴らしい所に呼んでいただいて」 「そうだな。兄上も、お前のことを心配している」 「え? 僕を?」 「ああ。バラデュールの人間に処罰を下しはしたものの、お前の受けた心の傷がすぐに癒えるわけではないと言ってね」 「そうだったんだ……ありがたいな。僕、元気でもっと頑張らないとね」 「ああ。だが無理はするなよ」 「継母やヘクター達も今頃頑張っているかな?」  水道橋の工事は順調に進んでいると聞いていた。 「少し前にオットーが視察に行ったはずだから今度話を聞こう」 「え? オットーが? 彼、なんでも屋さんみたいだね」 「この間のマルセルとの旅行がよほど楽しかったようで、ご機嫌で俺の言うことを何でも聞いてくれるんだ。今のうちに頼めることは全部頼むつもりだよ」 「わぁ、人使いが荒い大公様」  どうやらオットーの恋が上手くいっているようで僕も嬉しい。  今回の旅の間、ニコラとペネロープには休暇を出して珍しく別行動をしている。彼らはおそらく自分の生家に帰って家族との時間を楽しんでいるだろう。  僕は夫の顔を見つめた。グスタフの緑色の瞳は、湖面の光を受けて輝いている。成人してからずっとつらい目に遭ってきて、人間不信にもなりかけたけどこの人と出会えて僕は救われた。  優しくて頼もしい僕の夫。僕に生きる希望と、目標と、可愛い子どもたちを授けてくれた愛しい人。僕は静かに薬指に口づけした。ただ願いを込めるのではなく、必ず幸せになるという決意を込めて。 〈完〉 ―――――――――――――― 最後まで読んでいただきありがとうございました! 前半かなり長々と主人公の不遇パートが続いたのにも関わらずここまで読んで頂いた方には感謝しかありません。 この後、オットー×マルセルと養子のエミールのお話しを番外編で書いてありますので、もしよければ引き続き御覧ください。

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