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【番外編】歪んだ真珠の肖像(2)
私の知能や体力はアルファ男性の平均レベルである。正確に言うと体力や体格については多少一般的なアルファ男性に劣るかもしれないが、少なくとも宰相をやれているくらいだから知能には問題が無い。
しかし、私には第二の性がなんであろうとほとんど誰もが有している能力――生殖能力が後天的に欠けていた。
原因は幼い頃の事故だった。十二歳のときに私と両親が乗る馬車が山道を走っている際、馬が暴走して崖から転落事故を起こしたのだ。両親と御者はその場で命を落とし、私だけが生き残った。そしてその際に私は骨盤を骨折する大きな怪我を負った。
事故後は医師の治療と訓練により普通の生活が送れるまでに回復した。しかし、成長と共に自分の身体が他の男性とは少し違うかもしれないということに気づき始めた。
端的に言って、性的に興奮することが稀な上にそういうときであっても身体的な変化が起こらないのだ。それでもそれは個人的な程度の問題であり、実際に伴侶を得て子づくりをするとなればそれなりに機能するものだと思っていた。
しかし私が十八歳で成人したのと同時に婚約したルイーゼ・ボルツマンと過ごしているときにそうではないということがわかってしまった。
ルイーゼはオメガの女性だった。そしてあれは私が二十二歳のときに開かれた彼女の誕生日パーティーでのことだ。大勢が集まる広間で、予想外に発情を迎えてしまった彼女を私が抱きかかえて自室まで送り届けた。
しかし、すれ違う周囲のアルファ達がオメガのフェロモンによって興奮状態に陥りかける中、彼女に直接触れている私の身体にはなんの変化も起こらなかったのだ。
ベッドに横たえた彼女は息を荒くし、上気した顔でドレスの胸元を緩めて乳房をさらけ出しながら私に向かってこう言った。
「ああ、身体が熱い……お願い、マルセル。どうかこの熱を鎮めて下さらない……?」
婚約者なのだから当然要望に応えるべきだったろう。
しかし、熱に浮かされて身体をくねらせる女性を見た私に湧き起こったのは「おぞましい」という感情だった。
婚約者である女性の誘い対してそのように感じたことを申し訳なく思う反面、私は発情したルイーゼに対する嫌悪感をどうしても抑えることができなかった。
フェロモンが強く作用し、本来ならば私もアルファ特有の発情状態を引き起こされてしかるべきなのに、だ。
これまで自分の肉体が性的興奮から昂ぶることがないのは、現実に性的な対象を目にしていないからであり、発情したオメガを前にすれば万事うまく行くものと考えていた。しかしこの時それがはっきりと否定された。
発情状態から理性を失い、フェロモンを撒き散らしながら――その香りは私には一切感じられなかったが――アルファを誘うオメガを部屋に置き去りにして私はその場を立ち去った。
ぴったりと閉じた扉の向こうから、泣きながら私の名を呼ぶルイーゼの声がしたが耳を塞いで逃げるように外へ出た。
冷たい外気に触れて初めて、あの部屋が彼女の発する熱気に満ちていたことに気がついた。
――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……!
私はハンカチで何度も彼女に触れた手を拭った。一度は彼女と結婚できると思ったのがなぜなのかわからないくらいだった。
当然ながら、後日ルイーゼの父親から婚約解消を要求されてそれに応じることとなった。
その後主治医に相談して検査を受けたが、予想通り生殖機能は失われていると診断された。私には子孫を残す能力が欠けている。つまり、子を望む全ての相手との結婚への道が断たれたというわけだ。
このことが判明してから私は生涯独身であることを決意したのだった。
必ずしも相手が子どもを望むとは限らないかもしれない。もしかすると私のことを愛し、子どもはいらないと言ってくれる相手が現れるかもしれない。
しかし、自分の欠けた部分を曝け出してまで誰かに受け入れてもらおうなどとは思えなかった。
良い意味でも悪い意味でも私はアルファらしい性格で、男としてのプライドもある。自分が不能であることを他人に話す気にはなれなかった。
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