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【番外編】歪んだ真珠の肖像(6)

 馬を走らせ私達は小屋に着いたが、二人とも全身水浸しだった。  悲惨な状況にもかかわらず、私達は雄鹿を仕留めた高揚感と普段と違う状況に顔を見合わせた途端笑いがこみ上げてきた。 「くくっ、こんなことがあるとは」 「ははは! ああおかしい。二人で初めて鹿を仕留めたというのにこの有様ですよ? どうです」 「見るも無残だ。ははは! 私も酷いだろう」   「脱がないと風邪をひきます」 「ああ」  私たちは濡れて体に張り付く衣服を脱ぎ、上半身裸になった。なんの気なしにオットーを見ると、その屈強な胸板や太い腕に目を奪われた。 「オットー、君はいつの間にそんなに大きくなったんだ? ついこの前までこんな子どもだったのに」  私は自分の喉元辺りに手をやって、最初に出会った頃のオットーの頭の位置を示した。 「はは、相変わらず意地が悪いことを言いますね。いつの話です? 私はもう成人したのですよ」 「だって、驚いたんだ。こんなに……」  私は思わずオットーの二の腕に触れた。背はもう何年も前に追い抜かれたのがわかっていたが、こんなに体格差がついていたとは。  固く引き締まった感触につい手の力を込めてしまう。 「すごいな、一体なんだってこんなに鍛えているんだ?」 ――騎士になるわけでもあるまいに。  するとオットーは優しげな茶褐色の瞳で私を見つめて言う。 「貴方をお守りするためですよ。マルセル」 「なに?」  一瞬耳を疑った。まるで女にでも言うような台詞ではないか。彼もとうとう大人のような冗談を言うようになったのかと、少し寂しいような気持ちになった。それを誤魔化すように私は笑みを浮かべながら言う。 「揶揄うのはよせ」 「本心ですがね。知らないのはあなただけだ」 「……?」  オットーは私から目を逸らすと濡れた栗色の髪の毛をかき上げながら小屋の中を探る。 「ああ、毛布がありましたよ。これでなんとか眠れそうですね」 「そうか、良かった。何枚ある?」 「残念ながら一枚しかありません」  自分の髪の毛を伝って落ちた水滴が背筋を流れた。  秋から冬へと向かう季節で、雨も降って気温がかなり下がっていた。しかも二人とも全身ずぶ濡れだというのに毛布が一枚とはついていない。 「マルセル。お嫌でしょうが、この寒さでは抱き合って暖を取るしかありませんね」 「え……」 ――抱き合うだって?  私はオットーの少し日に焼けた素肌を見て急に気恥ずかしくなってきた。震えるほど寒いのに、妙に顔が熱い。   この男と抱き合う……?  婚約解消の件があってから私はますます人付き合いを避けるようになっていた。あれ以来オメガ性の人間には指一本触れてないし、それ以外の人間とも裸で抱き合ったことなど無い。二十四歳で経験が無いことも恥ずかしいのに、今変に彼を意識してるのが露呈するのはもっと耐えられない。 「あ……私はこのままで構わないから君が毛布を使いたまえ」 「マルセル、不快なのはわかりますが凍えてしまいます」 「しかし……」  往生際悪く逃げようとすると、オットーが急に間合いを詰めてきて私の手首を引いた。次の瞬間私はオットーの腕の中に抱きとめられていて、肌と肌が直接触れ合った。濡れた彼の髪の毛が頬に当たる。 咄嗟に身を引こうとしたが彼の腕はびくともせず完全に封じ込められた。  こんな距離で接する相手など私の周りに身内である叔父くらいしかいない。その彼ですら、最近は無闇に触れては来なくなっていた。  オットーの大きな身体は皮膚の表面こそ冷たかったが、触れた部分からじわじわと温もりが伝わってくる。芯まで冷えている私の身体に対して彼の肉体は冷え切ってはいないようだ。 「ほら、私の方が温かいでしょう。あなたの身体はまるで氷のようだ」  彼と触れ合うのは、警戒したほど不快ではなかった。むしろ彼の体温がこちらに流れ込んでくるのが心地よいということに自分自身が一番驚いていた。  少ししてから言いにくそうにオットーが尋ねかけてくる。 「お嫌ですか?」 「……嫌ではない」  自分が素直にこんなことを言ったのが不思議だった。寒さで頭の働きが鈍っていたのかもしれない。  それどころか彼が身体を離したとき、名残惜しいとすら思ったのだ。

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