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【番外編】歪んだ真珠の肖像(12)
殿下たちの結婚式から数ヶ月後に行われた資金集めのパーティーは滞りなく終了した。ただ、ルネ様がその直後体調を崩されてしまったのが気がかりだった。もしかして私の思いつきで始めたパーティーのせいで無理をさせてしまったかもしれないと不安に思った。
しかし、後日医師の診察を受けられたところルネ様の体調不良は御懐妊によるものだった。
結婚後発情期が来ないことを気にしておられたようだったが、こうしてすぐに妊娠されてグスタフ殿下もとても喜んでいらした。私もこの国の将来を考えると、お世継ぎが生まれることを嬉しく思うはずだった。
――そう……そのはずだった。
しかしこのときの私の正直な気持ちをなんと表現したらよいだろうか?
心から喜ぶべきなのにそれは本心ではないと自分自身は気付いてしまっている。
――この、胸中に立ちこめる靄 のような気分は何なのだ?
素直に喜べない自分自身が不快だった。今までも周りで妊娠や出産の話などいくらでも聞いて来たのに、なぜルネ様が妊娠されたことがこんなにもひっかかるのだろう。あまりにも羨ましいからか?
大公妃の御懐妊を羨むなど、気でも触れたんじゃないのかと自分でも思う。この時既に私の精神はかなり不安定になっていた。しかしその後更に追い打ちをかけるような出来事が起きた。
◇◇◇
その年もまた私は誕生祝いの品を用意してオットーの屋敷を訪れた。毎年同じことの繰り返しで、また昨年のようにプロポーズされて私が断ることになるだろう。何度断っても、何度結婚して子どもをつくれと言っても彼は聞く耳を持たない。一体どのように諭せばよいのか。
しかしその日私が応接間に通されると、今までは無かった物が部屋の一隅に置いてあった。
――あれは……ゆりかご……?
少し気になったがオットーが何も言わないので意識の外へ押しやって彼に贈り物を渡した。
「オットー、誕生日おめでとう。毎年のことだが今年も一日遅れですまない」
「ありがとうございます。今年も来て頂けて嬉しいです。気になさらないで下さい、当日来て頂いてもゆっくりお話も出来ませんからね。さぁ、どうぞお掛けになって」
彼に促されて席に着く。少し離れた位置に置かれた木製のゆりかごは視界から外れ、その後存在を忘れてオットーと会話していた。
するとしばらくして部屋の隅からかすかな泣き声がした。
「ん……? なにか聞こえたか?」
「ああ、起きたようですね」
オットーは椅子から立ち上がって颯爽とゆりかごの元へと歩いて行く。泣き声は次第に大きくなり、今でははっきりと赤ん坊の声だとわかった。
――まさか……ずっとそこで赤ん坊が寝ていたのか?
私が呆然としているとオットーは声の主を抱いてこちらに戻ってきた。その子は抱き上げられるとすぐに泣き止み、涙に濡れた睫毛に縁取られた目でこちらをじっと見ていた。
「初めまして、マルセル。この子はエミールといいます」
私は驚きのあまり絶句した。
――この子は……誰の子なんだ?
親戚? あるいは……。
「とても可愛いでしょう?」
金髪に碧眼のその子をオットーは頬ずりせんばかりに愛しそうに見つめている。動悸が激しくなり、異様に喉が乾く。
「オットー……それは……誰の子なんだ……?」
私はなんとか声を絞り出すようにして尋ねた。
「勿論私の子ですよ、マルセル」
微笑みながら答えたオットーの言葉を聞き取ってから数秒ほどかけて意味を理解した瞬間、頭を殴られたような衝撃を感じた。目の前の彼の姿がぐにゃりと歪む――目眩だ。
「君の子……そうか、そうだったのか……」
私はまた今年も彼が自分にプロポーズするものだとなぜか信じ込んでいた。
――馬鹿な……。彼にはもう決まった伴侶がいて子どもまで産まれていたのだ。
なぜ今まで黙っていたんだ? この子は産まれたてと言うには大き過ぎる。
私の受けた衝撃など気づきもせずにオットーはにこやかに話し続ける。
「マルセル、見てください。最近はよくお乳を飲むのでこんなに肉付きがよく――」
「オットー、おめでとう。子どもが産まれていたなんて全く知らなかった。なぜ産まれてすぐに教えてくれなかったんだ? 人が悪いな、こんなに大きくなってから知らせるなんて水臭いじゃないか。何ヶ月になる?」
「ええ、一歳になったばかりで……」
私はいつもより早口になり、オットーの相槌を遮るようにまくしたてた。
「それで結婚式はいつするんだい? こんなこととわかっていたらお祝いもこんなちっぽけな物じゃなくてもっと豪華なものにしたのに。そうだ今度赤ん坊の洋服でも作らせて贈るよ。うんと可愛らしいのをね。ああ、君の奥方は相当な美人のようだね。こんな美しい子どもは見たことがない」
「マルセル大丈夫ですか? 顔色が……」
「すまない、ちょっと気分が優れないんだ。お祝いに来たのに申し訳ないがこれで失礼するよ。出産と結婚のお祝いはまた改めて贈らせてくれ」
オットーが何か言っているのにもう何も耳に入らなかった。とにかくこの子と一緒の空間にいたくなくて外へ転がり出た。
大急ぎで馬車に乗り、走り出してからやっと息をついた。
――オットーに子どもがいた。あのオットーに、子どもが……!
完全で歪みのない真珠のように美しい子どもが――。
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