57 / 57

【番外編】歪んだ真珠の肖像(完)

 あの赤ん坊はオットーの実子ではなく養子で、彼は私と共に生きるためにあの子を迎えたと……? 「さぁ、これで私と一緒になって下さいますね? もうこれ以上つまらない言い訳は聞きたくありませんよ。  養子さえいればアルファ男性の私たちが結婚出来るというのか?  たしかに法律上禁止されているわけではない。しかし、子どもが生まれない組み合わせで婚姻関係を結ぶことは稀だ。特に爵位を持つ世襲貴族の長男が子どもの出来ない相手と結婚することは少なくともこの国ではほとんど考えられない。 「しかし養子には爵位を継承することができないのでは?」 「マルセル、私がその件で殿下に了承を得なかったとお思いですか?」  オットーは口の端を引き上げて言う。 「殿下の要望により私が養子を受け入れる代わりに、爵位を受け継ぐことができるよう大公殿下の許可を得ております」 「待ってくれ。まさか私の方の爵位もか?」 「勿論です!」 ――それでは……つまり、私が気にしていた世継ぎの件は解決しているということなのか? 私の肉体が不完全でも――オメガじゃなくてもオットーと結婚できるというのか。 「ですからもうあなたが心配することは何もありません。どうぞ安心してください。あなたが私を愛していたと聞いて私が今どれだけ舞い上がっているかわかりますか? 早く結婚すると言ってください、そして抱きしめさせて下さい」 「私が……君と結婚する……?」  何もかも捨てて、もう爵位も放棄してどこかへ消えてしまおうとすら思ったのに。 「そうです、よろしいですね?」  オットーが私の両肩を掴んで目を覗き込み回答を迫る。私はその瞳の真摯さに導かれるようにして答えた。 「わかった……」 「ああ! やっとあなたに触れることができる……こうできるのをどれだけ待ったことか……」  オットーは私を優しく労るように抱きしめた。 「山小屋であなたに無理矢理口付けしてしまった日から、ずっとこうしたかったのです。だけど怖くてできませんでした」 ――私もあの日の口付けを夢にまで見て、こうして抱きしめられることをどれだけ願ったかわからない……。 「愛していますマルセル。これからは誕生日以外の日にも毎日言えるんですね」 「そ……そうだな」 「口付けしても良いですか?」  面と向かって聞かれて頬が熱くなる。 「そういうことをいちいち聞かないでくれ」 「無粋ですみません。以前のように怯えられたくないのです」 「あのときも怯えてなどいなかったのに君がそう思っただけだ」  オットーは少し微笑んだ後私の唇を塞いだ。すると微かにあの雨の日に嗅いだオットーの香りがした。それはとても心地よく私を包み込み、気分を和らげてくれた。 「私が傍であなたを支えます。だから宰相の仕事を辞めるなんて言わないで下さい」 「なんだ、君に仕事をしろと言われるとは思わなかったな」 「だって、あなたが辞めたらこの国はどうなります?」 「殿下がなんとかするだろう」 「マルセル。殿下が国外に行くことは少なくなりましたが、代わりに私があちこちへ飛ばされるはめになっているのですよ」 「そうだったのか?」 「ええ。こんな状態であなたが宮殿から居なくなったら私も困ります」 「じゃあ私がこれ以上倒れないように君が責任を持って見張ってくれるか」 「ええ、喜んで」  私達は久しぶりに微笑みを交わした。 ◇◇◇  私がオットーとの結婚の件を叔父に報告すると、特に驚く様子も見せずに彼は言った。 「やっと承諾したのか。一体いつまで逃げ回る気なのかと思ったが君もようやく大人になれたんだね」 「なっ――、叔父上。そんな言い方は酷いではありませんか」  ようやく大人になれただなんて、私はもう三十を超えているというのに。 「だってそうじゃないか? 君はずっとオットーのことを好きだったのに意地ばかり張って。これでようやく私も騎士としてまた戦地へ赴けるな」 「え……? 私がオットーのことを好きだとご存知だったのですか?」 「それは近くで見ていればわかるさ」  叔父は私がオットーと結婚するまでは私の近くに居て見守ろうと思っていたらしい。私はふと不安になって叔父に尋ねる。 「ですが……私のような欠陥のある人間がオットーと結婚しても良いのでしょうか」 「この期に及んで何を気にしているんだ?」 「ですから……私の体のことです」  私の体の障害のことは叔父も知っている。どれだけこのことにこだわって苦しんできたかもおそらく知られているだろう。 「マルセル。君はずっとそのことを気にしているようだね。だけどもういいじゃないか。君の欠けた部分はオットーや子どものエミールが補ってくれるだろう。それが結婚というものじゃないのか? 君はひとりで完璧でないといけないと思い込んでいるようだが、完璧な人間なんてこの世に居ないんだよ」 「補って……くれる?」 ――そうか……。私ひとりで完璧である必要などなかったのか。  欠けている部分を傍にいる誰かが補ってくれる。オットーが私の仕事を支えてくれると言ってくれているのはそういうことか。  それに、私の身体的な障害による劣等感からはエミールが――あの美しい子どもが救ってくれたのだ。歪んだ真珠の欠けた部分にぴったりと嵌って正円を成すように。  そもそもこれまで私はひとりでなんでも出来る気でいたが、これまでは叔父が陰ながらずっと私を支えてくれていたのだ。そんなことにも気づかなかったなんて「やっと大人になれた」と言われて当然だ。 「叔父上、恥ずかしいですがようやく理解できました。私はこれまでひとりで全て完璧にこなさなければならないと思っていました」 「だろうね」 「でも、それは間違いでした。そんなことは到底無理だし、傲慢な思い上がりでした」 「君が誰よりも努力していたことは私が一番良く知っている。だけど、たったひとりで意地を張らずに誰かを頼っても良いんだ。それがわかってくれたなら、これでいよいよ私もお役御免というわけだ」 「叔父上……ありがとうございました」 ◇◇◇  私は久しぶりにオットーの屋敷を訪れていた。 「マルセル、あなたに見せたいものがあるんです」 「何だ?」  オットーは私をある部屋に連れて行った。彼とはもう長い付き合いになるが、そこは初めて訪れる部屋だった。 「ここは……?」 「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)です」 「なんだ……? これは……」  その書斎らしき部屋の中は奇想天外な物で溢れていた。壁にはびっしりと本が並んでいるが、言語は様々だ。そしてその他にも見たこともないような奇妙な動物の骨、ユニコーンの角のようなもの、昆虫の標本、海の生き物の標本、どこのものかわからない地図、この国では見られない植物の絵、奇妙で劇的な見る者が眉を顰めたくなるような絵画、何に使われるのかわからない機械――そういったものが所狭しと並べられていた。 「私は華美なもの、過剰なもの、歪んだもの、奇妙なものに目がないのです。殿下が国外へ赴いた際に集めてもらったものや、自分が国外で手に入れたものなど様々です」 「君にこんな蒐集癖があったとは……」 「軽蔑しますか?」 「いや、そういうわけではないが……驚いただけだ」  私はそこである宝飾品を見つけた。 「これは……?」 「バロックパールのブローチですね。歪んだ真珠ですが、とても美しいでしょう?」 「これが、美しい?」  それはいびつな真珠の周りを金細工の植物の蔓が取り囲んでいる意匠のブローチだった。オットーはうっとりした顔で言う。 「この形はこの世に一つしかありません。素晴らしいと思いませんか、この曲線」 「そうか……?」 「マルセル。完璧なものだけが美しいわけではないのです。あなたのお好みではないでしょうけれど」 ――好みじゃない? その逆だ。 「オットー、私にこのブローチを譲ってもらえないだろうか」 「え! これをですか? いいえそんな、あなたに差し上げるならもっと上等な最高級の真珠をきちんと加工させて贈らせて頂きます」 「いや。これが良いんだ。でも君の大切な蒐集品だから、駄目ならば諦める。たまにここに来て見せてもらっても?」 「マルセル、これを手放すのを渋っている訳ではないのです。あなたがこれを本当にお望みならいくらでも差し上げますよ」  オットーはブローチを箱に入れると私に手渡してくれた。宝飾品など欲しいと思ったことなど今までなかったが、このブローチには妙な親近感が湧いたのだ。 「ありがとう。大切にするよ」  オットーは若干訝しむような目で私を見た。 ◇◇◇  オットーと結婚するにあたり、どちらの屋敷に住むか議論になった。爵位で言えば私の方が侯爵なので上だ。しかし、資産や屋敷の大きさはリーゼンフェルト家に敵わない。 「私としては、マルセルに嫁いでもらうというのは夢ではあります。しかし、婿入りを望まれるのでしたら喜んでそうしますよ」  話し合った末、私の屋敷は叔父に管理してもらうことにし、私がリーゼンフェルト家の屋敷に移り住むことにした。結婚式は私が恥ずかしいと言って私達二人と、グスタフ殿下、それと叔父だけでひっそりと挙げさせてもらった。    オットーは寝室をわざわざ改装させ、蒐集癖を発揮させて妙に凝った造りの大きなベッドを設置していた。 「あなたとこうして眠ることができるなんて夢のようです」 「いちいち大げさだな君は」 「何年越しで恋が成就したと思うんです? ですが、浮かれる男の姿は滑稽ですよね。すみません」  彼がおしゃべりなのは今に始まったことではない。しかしはじめてベッドを共にするんだからもう少し黙ってほしいものだ。私は彼の腕を引き、二人でシーツの中に倒れ込んだ。 「このまま話をして夜を明かしたいのか? そういうことなら別に構わないが」  私の言葉を聞いてオットーは目を見開いた。 「いいえ! 黙ります。ただ、緊張しているんです……あなたに触れることができて嬉しくて……」 「私だって同じだ。何せ、こういうことははじめてだから――」 「嬉しいです、優しくしますね」 ――言われなくても君がいつだって優しいのはわかっている……。 「愛しています、マルセル」 「私もだ」  唇が重なる。その温かさにうっとりしていたら、舌が口の中に潜り込んできた。さっきまで二人で飲んでいた葡萄酒の味がする。緊張を解そうとして、いつもそれほど飲まないのに私もたくさん飲んだ。触れ合う唇も、頬も、彼の手もどこもかしこも熱い――。  彼は私の洋服を全て脱がせ、自分も裸になる。彼の唇が首へ、胸へ、腹へと滑り、私の下腹部まで到達した。私は酔いに任せて全て彼に委ねようと思っていた。しかしその部分に彼の唇が到達したときはやはり恐怖で震えた。  萎えたままピクリとも反応しないそれを彼がどう思っているのか――。こんなに気持ちが昂ぶっているというのに……。オットーは眠ったまま動かないその部分を優しく口で包み込んだ。 「ぅ……ん」  反応がないだけで、そこの感覚がないわけではなかった。はじめてされる行為に戸惑い、私は彼の頭に手を添えたまま目を瞑って耐えていた。 「どんな感じですか?」 「く、くすぐったい……変な感じがする」 「お嫌ですか?」 「……嫌ではない」  少し思案した後、オットーが聞いてくる。 「後ろを試しても?」  さすがの私も男同士でどうするかを知らないわけではなかった。知識だけはあるが、そんな場所を触ったことも触られたこともない。少し怖かったが、彼と一つになろうと思えばそれに耐えなければならない。 「かまわない、やってくれ」  オットーは用意してあった潤滑剤を私の秘部に塗り込めた。私はアルファだから、オメガのように自然とそこが濡れることはない。それをわかっていて彼はゆっくりと少しずつそこをほぐしてくれた。  私は彼と肌を合わせるだけで気分が高揚し幸せを感じていた。だから無理につながらなくても良いと思っていたが、彼はそうではないだろう。どんなに痛みを伴っても、彼の望みを叶えたい。そう思っていたのだが……。 「あっ……?」  彼の指が私の中のある一点をかすめた時、思わず声が出た。 「痛かったですか?」 「いや、ちがっ……んっ」 ――痛いんじゃない。これは……気持ちがいい……?  オットーも私の反応の意味に気づいたようで、また同じ部分をぐっぐっと押してくる。その度に私の口から聞いたこともないような嬌声が上がった。 ――なんだこれは……? 「マルセル。気持ち良いのですね」 「あっ、あっ……。オットーだめだ、それ以上……んんっ……」  彼は調子に乗ってそこをグリグリと指で刺激する。私は彼にしがみついたまま、彼に与えられる快感に体を震わせていた。 「だめ、変になるからもう……やめてくれ――」 「素敵です。なんて美しいんだ。あなたのこんな姿を見られる日が来るなんて」  彼に全て見られていると思うと羞恥で全身が火に包まれたように熱くなる。 ――おしゃべりがすぎると何度言えば……。 「そろそろあなたの中に入ってもよろしいですか?」  私は無言で頷いた。もう、口を開いたら自分が何を言ってしまうかわからなくて怖かった。オットーは私が頷くのを見て、自分の昂ぶった物を私の秘部に押し付けた。 ――硬い……それになんて大きいんだ。  自分のものが萎えたままなので、成人した男性のそれがどのように変化するのか私は知らなかった。自分に欲情してこうなっていると思うと背筋がぞくぞくする。そして一瞬体の力が抜けたのを見計らったように彼の陰茎が私の中に入ってきた。 「ぅっ……んう……」  痛みもさることながら、愛するアルファのものを自分が受け止めたという誇らしさで胸がいっぱいになる。目の前がチカチカと明滅して前後不覚のまま、彼が私の体をゆっくりと揺さぶり始めた。無意識のうちにその動きに合わせて体を揺する。 「マルセル……」 「あっ……んっ……ああっ」 「愛しています。私の肉体も心も全てあなたに捧げます」  オットーの汗の匂いに、その息づかいに私は追い立てられて自分の体がどうにかなってしまいそうな感じがした。 「ぁうっ……んんっ……!」  ビクリと私の腰が跳ね、体内でオットーの物を締め付けた。 「マルセル、中が痙攣してる……達したのですね」 「え……?」  後ろの刺激で性的な絶頂を味わったということらしい。私は初めての感覚にただ呆然としていた。 「感じてくれて嬉しいです。もう少し我慢していただけますか?」  そう言ってオットーはまた動き始めた。果てたばかりで敏感になっている内部を擦られ、私はまた淫らな声を上げた。 ◇◇◇  力尽きて寝台に突っ伏した私のこめかみにオットーが優しく口づけた。 「とても素晴らしかったです――。ありがとうマルセル」  私はなんと返したら良いかわからず黙っていた。ただ、彼の偽らざる愛情を全身で感じていた。 「あなたと、そしてエミールのことを一生大切にします」  私は彼の方を見て答える。 「私も……君の愛に報いるよう努力するよ」  するとそっと彼の唇が私の唇に重なった。  彼が傍にいてくれるのならば――この歪んだ真珠のような自分ことも愛せそうな気がした。 〈完〉 ーーーーー マルセル視点の番外編完結です。 オメガバースの世界観だとあんまり男が男を好きになる葛藤は無いので、アルファ同士にしてモダモダしてもらいました。 最後まで読んでいただきありがとうございました!

ともだちにシェアしよう!