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第94話 はしゃぐ君を見つめてた
――そう、バイヤー、スーツ系は僕、得意じゃないんだ。だからそんなに品揃えよくないでしょ? あの首の辺りがキュッとした感じが少し苦手でね。ニットみたいにルーズな方が好みなんだ。佳祐にはよくスーツを着ろと言われるんだけどね。似合うからって。
まぁ、俺の話は置いておいて。スーツ、ちょうど、そこのところ弱いなぁって思ってたんだよ。スーツに合わせられる小物たちは揃ってるのに肝心のスーツ本体が店にないんじゃ、なんとなくイメージ湧きにくいでしょ? お客さんも。
そう言って国見さんが笑ってた。
――だから、やってみる? 僕より聡衣君の方がずっと詳しいだろうし。バイヤーの仕事。ちょうど、今度の金曜日に業者向けのアパレル卸売展があるんだ。ちょっと遠いんだけど。電車で二人で。
「たっ、ただいま!」
――その日、急遽だけど店お休みにして。
「旭輝っ!」
――見に行ってみる? 一緒に。
「旭輝! あのねっ」
「聡衣? どうかしたのかっ?」
「俺っ!」
――あはは、いいよ。別に。一人で店やってた時は、買付でしばらくいなくなるからお店を休むことはまぁまぁあったし。臨時休業ってSNSで告知はしておくから、常連さんは大丈夫だと思うし。
「あのっ、あのねっ」
――僕にしてみたら大歓迎だ。聡衣君とデートできるし。
「あのっ! 俺、バイヤーの仕事、もらえるのっ」
――じゃあ、金曜日はお店を休業して、一緒に、初バイヤーだ。
「えっと、バイヤーっていうのは、ほら、国見さんのお店ってセレクトショップでさ。セレクトショップっていうのはオーナー、だから国見さんね。が、いろんなところから自分のお店に合ったものを買い付けて、それをお店で販売することなんだけど。俺が今まで勤めてたところって、そういうのじゃなくて」
たくさん説明してるのを旭輝がじっと見つめてた。最初、ものすごい勢いで帰ってきたことに、先に帰ってた旭輝は驚いて、何かあったのかって緊急事態って感じに慌ててた。
「でね。俺、バイヤーの仕事、させてもらえるんだ!」
「……」
「すごくない? やったことないんだけどさ。やってみないかって」
ちょっと遠出するんだけど、その日はお店を休みにして、二人で買付を兼ねた展示会に行くの。土日はチケットを持っているアパレル関係のワーカーさんだったり、一般の人が来場できる日になっていて、金曜日だけは完全業者関係者のみの日になっている。だから金曜日はほぼ全員バイヤーで、そこで実際に買い付ける人もいるし、今後、買付契約をしたいからって名刺を配る人もいる。ビジネス展示会ってやつで。国見さんもそこに新しいお店とかないかって探しに行く予定だった。
そこに俺も同行することに。
「すごくないっ?」
「……」
「すごいんだけどっ!」
「……」
「そういうのしたことないんだけど、なんかっ、なんかっ…………って、なんか笑ってるし」
「いや、俺はてっきり何かあったのかと思っただけ」
旭輝はじっと俺を見つめた後、もしかして興奮のあまり真っ赤になっていたのかもしれない頬を手のひらで包んで、耳の付け根を指で撫でてくれた。数回、耳を撫でて、それから頬に額にキスをして、もう一度、唇にキスをする。
なんだか、俺の顔の輪郭すら愛しいみたいに、丁寧に唇でなぞられて、くすぐったさすら幸福感が染み込んでる気がすて、部屋の中が甘くて優しい空気で満ちていくと感じる。
「すごいな。バイヤー」
「でしょ?」
「やったことないけどっ」
「できるよ。聡衣なら」
「ありが、」
ありがとうって言おうと思った唇に旭輝の唇がそっと優しく触れてくれる。
「応援してる」
「ありがとう」
「金曜、だっけ?」
「うん」
「了解」
ねぇ、旭輝のおかげ、なんだよ? こんな機会をもらえたのって。
旭輝にね、スーツをコーディネートしてあげたいって国見さんに言ったら、じゃあってこの話を提案してもらえた。あそこで言わなかったら、金曜日はきっと留守番だった。それも、お店を一日でも任されるってことにとても緊張しつつも誇らしく感じてたと思うけど。
でも、バイヤーの仕事をするのって、ちょっとワクワクしてて。
「旭輝……俺、帰ってきたばっかだよ?」
「あぁ」
キスが、ゆっくり丁寧に、深くなる。
「そうだな。頬も髪も冷たい」
帰ってきたばっかりで、ワクワク感で誤魔化せてたけど、とっても寒かった帰りの夜道で冷えっきった身体を引き寄せて、抱きしめて、温めてくれる。
「じゃなくて、その、だから……」
「だから、温めないと」
「ぁ……ン」
マフラーが解けて、晒された首にキスが触れる。温かくて、柔らかくて、優しい口づけに、自然と溜め息が溢れて。
「そしたら、旭輝が冷たくなっちゃうじゃん」
「そうか?」
「あっ、ン」
腰が引き寄せられると、身体がぎゅっと熱くなった。
「聡衣の方が体温高いだろ?」
繋がりたいって、ぎゅっと熱くなって。
「旭輝……」
名前を呼ぶ自分の声がとてもたくさん可愛がられたいって糖度が高くなっていた。
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