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Chapter5-3

 男の目的地は歓楽街の中にあるようだ。こういった場所にほとんど足を踏み入れたことのない早苗は緊張していた。  歓楽街の表通りは18時以降歩行者天国になるため、男の車は薄暗い歓楽街の裏通りに停められる。男は後部座席のドアを開けて早苗に車から降りるよう促し、早苗の荷物をもってビルとビルの狭い通路に入って行った。  男越しに見える向こう側の道は賑わいを見せていて、立ち並ぶ店の照明で昼間のように明るい。街灯がぽつりぽつりと並ぶだけのこちらとはまるで別世界だ。 「こっちっす。着いてきてください」  ぼんやりと向こうの道を眺めていると、外壁が赤茶色のレンガ風タイルで装飾されている方のビルの裏口を開けた男が早苗を呼んだ。今なら逃げることもできそうな気がしたが、荷物や携帯を人質に取られているので、大人しく男に従うことにした。それに、下手に逆らったりしなければそれほど怖い思いをしないような気がした。  建物の内部は早苗が出張の時によく利用するビジネスホテルの内装によく似ている。だが、そこに漂う空気は決定的に違った。  オメガが利用できるホテルなどでは、他の利用者や従業員がオメガフェロモンを感じにくくするためにミント系のアロマが焚かれている場合が多い。オメガは通常時でも微弱なフェロモンを発しているので、こういった対応がされる。  しかし、この場所は逆にオメガのフェロモンをより感じやすくさせる作用があるムスク系のアロマが焚かれているようだった。早苗はようやくその店が、オメガがその身を売る場所だということに気がついた。  まずい、と思った。荷物を取られていたとしても、車を降ろされた時に逃げておけばよかったと早苗は後悔した。しかし、今からでも遅くない。男の隙をついてきた道を戻って入ってきた扉から逃げればいい。そう考えた早苗が立ち止まると、少し前を歩いていた男が声をかけてきた。 「この匂い、オメガの方はキツイっすよね。今向かってる従業員室はマシだと思うんでもう少し我慢してくださいね」 「……え?」 「うちの従業員とかキャストは、もう慣れちゃってるんすけど、初めて来る方はやっぱ辛いらしくて。気分とか、悪くなってませんか?」 「は、い……」 「もし辛いようなら、遠慮せず言ってくださいね。おんぶするんで」 「それは、大丈夫です……」 「そうですか? こっちです」  そういって男は、階段横にある扉をノックした。返事はなかったので、男は胸ポケットから鍵を出して扉を開けた。入り口のすぐ近くにあるスイッチを押すと、暗かった室内に明かりが灯る。そこには会議室に置いてあるような長机が2台と4脚のパイプ椅子、入って左側には棚とロッカーが有り、向かい側には簡易的な台所があって、ドラマとかでよく見るスーパーの事務所のような部屋だと早苗は思った。そして室内はミントの香りと、かすかにタバコの匂いがした。 「椅子に座って待っててください。少ししたらオーナーが来ると思うんで」  男が手前のパイプ椅子を引いた。そこに座れと言うことだろうか。早苗がその場から動かないでいると、「どうしたんですか?」と早苗を部屋に招き入れられる。  男に促されるまま、早苗はパイプ椅子に腰を下ろすと、目の前に湯気が立つ黄金色の液体がなみなみと注がれたマグカップが置かれた。立ち登る湯気から爽やかな香りがしたので、それが多分ミントティーであることは察しがついた。だが、こんな得体の知れない場所で出されたものに口をつけるほど早苗は迂闊な人間ではない。 「逢沢さんって、ナッツ類にアレルギーないですよね?」 「え……あ、はい。ないです」 「じゃあ、チョコレートもどうぞ。これ、うまいんすよ」  そういって男はチョコレートの乗った小皿も早苗の目の前に置いた。甘党の早苗はついつい小皿の方に目がいってしまう。チョコレートには細やかな細工が施されていて、スーパーで売られているようなものではないだろうと容易に予想がついた。手をつけるつもりはないが、ついどこのメーカーのチョコレートなのか気になってしまう。そして、チョコが入っている紙のカップを見た早苗はおもわず絶句した。  それはデパ地下にある有名ブランドチョコメーカーのものだった。ちなみにそこの店で取り扱われるチョコレートは一粒600円以上の超高級チョコレートばかりである。  早苗は自分が置かれた状況をイマイチ理解できなくて困惑した。半ば無理やり連れてこられたかと思えば、これほどまでのおもてなしをされるなんて想像できるはずもない。  机の上のものと、早苗をここまで連れてきた男を交互に見る。男は、シンクの横のカゴに伏せてあったカップを拭いて棚に戻している最中だった。 「それ食いながら待っててください。あ、変なものは入ってないっすよ? それは、お客様に出すウェルカムドリンクのお菓子なんで」  振り返ってとき、早苗が見ていることに気がついた男は嫌な顔をせずにそういった。そんなことを言われたら思わずチョコレートの誘惑に負けそうになる。が、しかしなんとか踏みとどまった。  早苗が頑なに食べようとしないので、男はそれ以上何も言うことはしなかった。  しばらく雑務をこなす男をみていると、入り口のドアがノックされる。 「はーい」  扉の向こうの人物に聞こえるように大きな声で男が返事をすると、目を見張るような美青年が扉を開けて現れた。

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