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Chapter6-3

 災難とは立て続けに起こるものである。早苗がそれを思い知らされたのは、帰路に着こうとした時であった。  ここ数日抱えていた悩みの種に決着がついて油断していた早苗は、その人物との邂逅に一瞬思考回路が止まった。  そもそも会社の前で2日も連続して出待ちをされるなどと予想もしていなかったし、目の前にいるその人物は、早苗が常日頃、出来ることなら顔を合わせたくないと思っている小松伊織その人だったからである。 「お仕事お疲れさま、逢沢くん」  そう言いながら笑みを浮かべ、まるで兼ねてからの友人であるように振舞う伊織に、早苗は背筋がぞわりした。彼の態度がどうにも嘘くさく見えて仕方がなかったからである。ただですら、早苗にとって小松伊織というは人物は鬼門なのだ。何かよからぬ事が起きるような気がしてならない。  それにしても、昨日の剣崎も、目の前にいる伊織もこのオフィス街にそぐわない格好をしていると早苗は思った。剣崎はスーツこそ着ていたが、派手な髪色や主張の激しいピアスのせいで、この辺りの雰囲気には馴染めていなかった。  伊織に関していえば、オフショルダーのトップスにダメージ加工されている黒のスキニーパンツはどう見ても仕事帰りの格好とは思えない。少なくとも、この辺りではそういった格好の会社員を見かけることは無い。  つまり、伊織は誰かに会うためにここに居るのだろう。その相手は矢張り、京介だろうか。彼とはもう『元』が付く関係になったが、それでも気分がいいものでは無い。  本当なら気が付かないフリをして、立ち去ってしまいたかったが、この場では目立つ装いの人物に呼び止められたというので、早苗にも好奇の視線が向けられていた。それを気にせず、素通りできるほど早苗は太い神経をしていない。 「……奇遇ですね、伊織先輩」 「あはは、怖い顔してる。驚かせちゃったかな? だとしたらごめんね」  早苗の皮肉混じりの返答に伊織は全く動じる様子を見せない。ささやかな毒に気づいているのか、いないのか、その判断は出来なかった。  早苗は伊織の事を心底苦手としていたが、それはなにも、京介と付き合っていた時のマウントのような発言ばかりが原因では無い。この食えない人間性もその一端であった。 「いいえ。こんなところでお会いするなんて思ってなかっただけです。誰か待っているならここだと目立つので、近くのコーヒーショップがオススメですよ。では、さようなら」  目当ては京介だろうと推測した早苗が立ち去ろうとすると、伊織が早苗の腕を掴んで引き止めた。 「待ってよ。逢沢くんに用事があってここで待っていたんだよ。ぼくはキミの連絡先を知らないからね」 「そうですか。で、その用事ってなんですか?」  伊織がわざわざこんなところまで出向いてくる用事なんて、早苗にはひとつしか心当たりなかった。十中八九、俊哉のことで間違いはないだろう。が、しかし、違う可能性もあるので一応確認する。彼の地雷をふむ行為は避けるべきであると、早苗は考えたからだ。 「こんなところで話す内容ではないかな。ぼく達すごく注目されているみたいだし」  伊織の言葉で周囲に視線を向けると、先程より注目されていることに気がついた。どんな内容であれ、こんな衆人観衆のに晒されたまま話すのは早苗としても気が引けるので、伊織の提案に賛同する。が、しかし彼と2人きりになるのもろくな事にならないことは容易に予想ができたので、先程伊織に勧めたコーヒーショップの方へ歩を進めた。  道中、伊織は一方的に早苗に話しかけてきてはいたが、返答を求めるような内容ではなかったので、適当に相槌を打っていた。  というのもすれ違う人々が、伊織に熱い視線を向けていたからである。たしかに彼は、見た目だけであれば『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』といった諺を体現したような存在である。その性格を知らない人にとっては、さぞ魅力的な人物に見えるだろう。  だから、伊織が周囲の視線を集めるのは仕方ない。だが、人に注目されるのが苦手な早苗は、伊織と一緒に歩いているこの時間が苦痛で仕方なかった。  コーヒーショップに着くと各々に注文をする。早苗はカフェオレを注文しながら、隣で注文している伊織を盗み見る。期間限定のメニューにトッピングをいくつも追加していた。  席に着いたのは伊織の方がだいぶ遅かった。彼が持っているトレーには飲み物の他にマドレーヌが乗っていた。仲良くお茶をするために来た訳では無いというのに、何を考えているのだろうか。 「お待たせ。先におやつ食べていい? 小腹空いちゃったんだ」 「どうぞ……」  伊織がマドレーヌを食べ終えるのを待つように、早苗はカフェオレに口を付ける。食べてる姿を見ているのも、なんだか欲しがっていると思われそうなので、携帯をいじるふりをする。  傍から自分たちを見たらどんな関係に思われるだろうか。少なくとも、仲のいい友人には見えないだろうな、などと考えながら携帯をいじる振りをしながら、伊織がマドレーヌを食べ終えるのを待つ。 「お待たせ。じゃあ、本題に入ろうか」  ニュースアプリからの通知で気になるタイトルがあったから開こうとしたところで、マドレーヌを堪能し終えた伊織に声をかけられた。  早苗が伊織を見ると、彼もじっと早苗を見ていた。

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