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Maggot therapy

「ボトムに教会があるなんて知らなかった」 「ええ……といっても貧民墓地の管理位しかすることがありませんが、歴史自体はそこそこ古いんですよ」 「爺さんも災難だな、賞金首が尼僧を人質にとって墓場に立てこもるなんてよ」 アンデッドエンドのどん底……ボトム。治安が悪くあらゆる犯罪がはびこるスラム街。 信仰が廃れて久しい地の底に寂れた教会があった。 あちこち割れたステンドグラスには羽目板が打ち付けられ、十字架を戴く屋根には所々雑草が生えている。ぱっと見廃墟も同然のみすぼらしい外観だ。 「ああ……近隣住民の投石ですよ。教会を目の敵にする者も多いのです」 案内役の老神父が親切な説明を挟む。 「だろうと思いました。神に救われた経験がない人間にとって、あの十字架は目障りです」 「いい的になりそうなデカブツじゃん、お前の腕なら楽勝で撃ち落とせんだろ。なんなら勝負してみる?」 「飛距離じゃ負ける気しないね」 「こちとらタフさとパワーが売りよ」 後ろに背負ったスナイパーライフルを示せば、神父が「どうかご勘弁を、当教会のシンボルなのです」とあせって止める。 既に日は落ちてあたりは暗い。 老朽化してるせいか、随分と雰囲気がある教会だ。しかも裏手は墓地になっていて、鬱蒼と茂った柳や糸杉のシルエットが垣間見える。 両手の親指と人さし指で四角いフレームを作り、それを片目にあてがって、屋根の上の十字架に照準を絞る。 「距離は65フィートってところか」 青白い月光を浴びて静謐に佇む十字架は、主の威光をしろしめす神々しさよりも、朽ち寂れた不吉さをより濃く纏っていた。 「仮に倒したとして、重量と耐久性を考えると教会ごと崩壊しそうではあるね」 「いっそ風見鶏にすげ替えちまえば?|日和見と腰抜け《チキン》の集まりにゃぴったりだ」 「ご冗談を」 「そもそも祈りにくるなァ炊き出し目当ての乞食位のもんだ」 頭の後ろで手を組んだラトルスネイクが飄々と茶化す。 噂の教会の門前で僕たちを出迎えた老神父は、目下の少年2人の不敬極まる発言に怒る素振りもなく、胸を張って釈明する。 「ええ……ですがそれだけではありません、我が教会は行くあてのない者たちを修道女や神父見習いとして受け入れております」 「行くあてのない者たち?」 「プライバシーを考慮して詳細は伏せますが……夫や恋人の暴力、あるいは売春を強制する組織から逃げ出してきた女性、ないしはギャングと手を切りたい少年たちと言えばおわかりになるでしょうか」 「ヤベーとこから命からがら逃げ出してきた連中の最後の砦ってか。ウチのも紛れてっかな」 「お前がふざけて口に銃突っこんだから逃げ出したのかもね、同情するよ」 賞金稼ぎとギャングの二股かけるラトルスネイクが愉快げに嘯き、僕は肩をすくめる。 老神父はおっとりと十字を切り、顔の皺一筋一筋が浄められるような慈悲深い微笑を湛える。 「我が教会は更正を志す全ての人間に等しく門戸を開けております」 「素晴らしい奉仕精神ですね。献身に恐れ入る」 「人生をやり直す機会は過ちに気付いた誰もに与えられてしかるべきです」 ああ、苦手な人種だ。嫌味がまるで通じない。隣のラトルスネイクは、僕の苦りきった顔を見てニヤニヤ笑ってる。 もし行き先が教会だと事前にわかってたら依頼は断っていた。なんて厄介な場所に逃げ込んでくれたんだ、僕への嫌がらせかと胸の内で賞金首を呪っても始まらない。 なお最悪なことに、今回もラトルスネイクと組まされた。組合の悪意を感じる。 ボトム唯一の教会の神父を名乗る初老の男は、いかにも人がよさそうな物腰をしており、育ちの悪さが口に出る僕たちにも礼儀正しくおもねる。 詰襟のカソックを乱れなく着こなしているが、近くで見ると生地が傷んでいた。貧乏なのは謙遜じゃないらしい。 老神父にこっそり背を向け、|反十字《ペテロクルス》を上着の内側に隠す。 事がこじれるのはごめんだ。 「詳しい経緯を聞かせてください。ここに逃げたのは本当にコイツなんですか」 モッズコートの懐をさぐり、几帳面に折り畳んだ手配書を取り出す。それを神父の前で開けば、全身に包帯を巻いた不気味な男の写真が刷られていた。 「マミー・マゴット。よりにもよって蛆虫か、趣味疑うぜ」 ミイラ男の手配書を覗き込んでラトルスネイクが顔を顰める。 「同感だけど、お前の通り名だってダサささじゃいい線いってる」 「ナイトアウルなんてすかしたのよか断然マシだね、昼に活動する時点で矛盾してるぜ」 「夜の方が仕事がしやすいってだけで昼も怠けてるわけじゃないから」 「そうです、この男です……シスター・ペトラを人質にとって墓地に逃げ込んだのは」 僕とラトルスネイクの口喧嘩は無視し、神父が勢い付いて肯定。胸元のロザリオを手繰って小声で祈りを捧げながら、マミー・マゴットの登場から現在に至るまでの状況を説明する。 「あれは数時間前の事……私とシスター・ペトラは礼拝堂にて夕べの祈りの準備をしておりました。そこへステンドグラスをぶち破り、このミイラ男が乱入したのです」 「派手な登場ですね」 「窓破ったあとに包帯巻けよ、順番逆だぜ」 「分厚く巻けばガラス片から保護できるんじゃないか」 「ミイラ男は怯えるシスター・ペトラをさらい墓地に逃げました。他の修道女や神父見習いの避難がすんだあと、大急ぎで保安局に連絡を入れました。ご両名が到着するあいだに説得を試みたのですが、現金と車を用意しろの一点張りで交渉が成り立たず……面目次第もございません」 「謝罪には及びません、下手な刺激は控えるのが無難な判断です」 一般人がでしゃばると余計こじれる、賞金稼ぎの経験則だ。 「どしたんアウル、アンニュイなため息吐いて。たまってんの?」 「そうじゃない」 本当はこんな依頼受けたくなかった。原則、フリーの賞金稼ぎは手配書を見て自分が狩る賞金首を選ぶ。 だが例外もあり、ずっと行方をくらましていた賞金首が突如として特定区域で目撃されたとか、人質をとって逃走中だとかの緊急事態が発生すると、組合を通して暇を売ってる賞金稼ぎに指名が来る。 「僕とお前にお鉢が回ってきたのって絶対他がやりたがらないからだろ」 「貧乏くじだってか」 「マミー・マゴットが相手じゃね」 ミイラ男の顔写真の下には簡単な経歴と罪状、賞金額が記載されてる。 「マミー・マゴット。アンデッドエンド出身。若い女性を殺し、亡骸が腐敗していく過程を観察する猟奇殺人鬼。趣味は屍姦とカニバリズム。体中に巻いた包帯は全身整形の失敗とも幼少時の虐待で負った火傷の痕を隠すためともいわれるが、詳細は不明。通り名の由来は犠牲者の死体に沸いた蛆虫を採取して食べることから……」 「マトモなヤツなら近寄りたくねー」 「賞金首は人格破綻と特殊性癖の異常者の集まりだけど、その中でもドン引きだね」 「人格破綻と特殊性癖の異常者の集まりって点じゃ賞金稼ぎも似たりよったり」 「狩るか狩られるかだけの違いだね」 「懸賞金もしょぼ」 「スラム中心に犯行を重ねて、犠牲者の殆どが孤児と娼婦。天井はたかが知れてる」 それでも懸賞金がかかったのは、マミー・マゴットを憎み、復讐をねがうだれかがいるから。 「フケちまおっか。おもしれーモーテルめっけたんだ、なんとベッドが回る」 手配書を握り締めて沈黙する僕の尻を、ラトルスネイクが大胆になでまわす。二股の舌が耳朶を掠めて吐息が絡む。 「カネがねーなら木陰でおっぱじめても」 「仕事をサボるな」 手配書を素早く畳んでしまい、片手で紐を引っ張ってライフルを背負い直す。 「ライバルがいなくて結構じゃないか、くだらない蹴落とし合いをせずにすむ」 どんなに少なくても犠牲者がいる、どんなに少なくても遺族がいる。 彼らの血涙から出た懸賞金を軽んじる気にはなれない。 「仕留めろと言われたら仕留めるまでさ」 「だろ?」と流し目で挑発すれば、ラトルスネイクは剽げて天を仰ぐ。 「|うじ虫《マゴット》じゃ食いでがねーな」 次の瞬間両手が翻り、二挺のリボルバー銃を構える。 抜く動作は早すぎて見えなかった。傍らの神父も驚いてる。 「相変わらずヌくのが早い」 ラトルスネイクのパフォーマンスには付き合わず、気を引き締め直して教会の向こうの墓地へ視線を馳せる。 「気が滅入るけど、うじ虫とトランプ遊びといくか」 あそこにマミー・マゴットがいる。 「見れば女が死んでいる 床に転がる腐乱死体 鼻から顎へと這い回るウジ虫 蠢き這い回る」 夜空に猫の目のような三日月が光っている。 貧相な墓石のてっぺんに腰かけて戯れ唄を口ずさむのは、全身に雑に包帯を巻いた男。薄汚れたフードの奥、包帯の合わせ目から覗く素肌は、腐敗によるものか火傷によるものか醜く黒ずんでいる。 壊死した肌に巻かれた包帯は目鼻立ちが崩れた顔貌にまで及び、グロテスクな異形の態を成す。 墓石から足を垂らし、三日月を仰いで男は続ける。 「ミイラ男は牧師に聞いた おいらもいずれ こうなるの? もちろん! 神父は肯いた 死んでしまえばこうなる定め……」 しゃがれ声が紡ぐマザーグースが寂れた墓地に余韻を揺蕩わせる。あたり一面に犇めくのは新旧大小とりまぜた無数の墓石。 天使や女神をかたどったモノから石や木の十字架に至るまで、意匠は多岐に渡る。 「ん゛ーーーーーーーーーーっ、んーーーーーーーーっ!!」 ミイラ男の足元から呻き声がする。 芋虫のように伸び縮みする黒ずくめの人影……うら若い尼僧だ。猿轡を噛まされて、恐怖と息苦しさに必死にもがく。 「うう゛っ、うっ、う゛ーーーーーーーーー」 男はまだ唄っている。狂気走った姿を月光が煌々と照らし出す。恐怖に駆られた尼僧が首を打ち振り、許しを乞うように見上げれば、ふと鼻歌が途切れて静寂が落ちる。 「アンタには災難だったかもしれない。だがおいらには幸運だ、何故なら新しい苗床を手に入れた」 「?」 尼僧の目が疑問の色に染まる。ミイラ男は懐に片手を忍ばせ、広口の瓶を取り出す。尼僧は男の手の行方を、瓶の中身を凝視する。やがて闇に眼が慣れ、瓶の中身を肉眼でとらえると同時に絶叫する。 「う゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」 哀れ、尼僧の悲鳴は猿轡に阻まれてくぐもる。 カソックをはだけてあとじさる尼僧、腿の付け根まで裾が引き裂かれて脚が丸見えだ。ミイラ男は尼僧のカソックで猿轡を代用したのだ。 戦慄に凍り付く尼僧の前で、男はゆっくりと蓋を回して開け、瓶の中で夥しく蠢くうじ虫を一匹摘まむ。 のたくる蛆虫を顔の上に運び、あんぐり開けた口に投下。 「女の悲鳴を聞きながら食うマゴットは格別だ」 男はよく味わってうじ虫を咀嚼する。 尼僧は滂沱の涙を流す。 もとはそれなりに整った顔立ちが涙と汗と洟水でぐちゃぐちゃに溶け崩れ、滑稽に歪む。 「なあアンタ、なんでおいらがマミー・マゴットと呼ばれてるかわかるかい」 目の前にいるのは狂人だ。 狂っているとしか思えない。 尼僧が辛うじて首を横に振れば、さも美味そうに一匹二匹と蛆虫を摘まみ食いし、ミイラ男が饒舌に語りだす。 「マミー・マゴット墓生まれ 土の下で産声あげた 母さんの胎食い破り 墓の下から這い出した マミー・マゴットは死体の子 死者から生まれた赤ん坊 吐く息は墓土さながら黴臭く 醜くむくんだ肌をしていた」 妙な抑揚を付け、まるで歌のように語る。 「おいらは母親の顔を知らない。気付いた時には死んでいた。俺は死体の股から生まれたんだ。あとから知った、たまにあるんだとさ。木で首をくくった妊婦の股から赤ん坊がひりだされたり……おいらの母親は臨月で死んだ。おいらは真っ暗い棺ん中で産声あげて、死に物狂いに墓土から這い出したんだ」 「んーっ、うう゛っ」 「赤ん坊はまだ目が見えねえ、記憶がねえってみんな言うがそれはまちがいだ。何故ならおいらは覚えてる、真っ暗い棺ん中、ひとりぼっちで生まれたてのおいらをかまってくれたのはうじ虫だった。歯の生えてねえ口に出たり入ったり、うじ虫たちが遊んでくれた。費用をケチったせいか、棺がボロくてちゃんと杭打たれてなかったのも幸運だった。おかげでおいらは這い出せたのさ、羊水と胎盤の地獄から」 そして彼はマゴットの味が忘れられなくなった。 「みんなおいらをこう呼んだ、マミー・マゴットって」 母なるうじ虫から生まれた子。 全身包帯ずくめのミイラ男。 「おいらが生まれて初めて見たのは、うじ虫が出入りしてさんざんに食い散らかした母親だった」 嘘かまことか妄想か、マミー・マゴットは人生の最初の段階でその後の全てを決定する体験をした。 「最初に食べた味が忘れられない」 彼がカニバリズムに目覚めたきっかけ。 「おいらにとっちゃ懐かしい味だ」 マミー・マゴットは包帯の狭間の目をうっとり細め、摘まんだうじ虫を尼僧の鼻先に近付ける。 「だから……」 「~~~~~~~~~~~~~ッ!!」 マミー・マゴットがすかさずダガ―を振り上げ、尼僧の腕を切り裂く。肉が爆ぜて血が飛び散る。 「知ってるかい?嫌われもののうじ虫だけど、ホントはとっても働きもの。マゴット・セラピーっていってね、マゴットの食性を利用して壊死した組織を除去する治療法もある位だ。うじに食われたほうが傷の治りが早いって、兵士の間じゃ常識だった」 おいらは自分の身体でそれを試したんだ。 「でも、まだ足らない」 うじ虫がでたりはいったりトランプ遊び。 「いろんな苗床で試してみなきゃいい子は育たない。うじ虫も一匹一匹好みがあるんだ、女の脂肪を好むヤツもいれば男の腸を好むヤツもいる。おいらはコイツらにステキなうちを提供したいんだ。コイツらが耕した肉はすっごく美味いんだ、アンタわかるか?」 発狂寸前まで追い詰められた尼僧の傷口にうじ虫をチラ付かす。 「アンタの傷口にコイツを埋めたらどんな味がするだろうね」 マミー・マゴットは尼僧を優しく脅す。 「……歌、間違ってる」 墓石に隠れてポツリと呟く。 「あン?」 「アイツが口ずさむマザーグース。正しくは『見れば男が死んでいる』で、神父に訊くのは『ミイラ女』さ」 「テメェに合わせて都合よく改変したって訳か。イッちまってんな」 ラトルスネイクが大仰に顔を顰め、後に付いてきた神父がおそるおそる尋ねる。 「シスター・ペトラは無事でしょうか……」 「この距離からじゃわからない、もっと近付かないと。っていうか、なんであなたがここに?」 今、僕たちは墓場を移動している。順番は僕・ラトルスネイク・神父で縦一列だ。 神父には正面を避けて墓地に入る抜け道を教えてもらったし、死角を縫って行動できるのは有り難いが、民間人の同行を許した覚えはない。いても邪魔になるだけだ。 「年若いお二人に任せておけません」 「俺様ちゃんたちが頼りねえって?」 「いち神父として前途ある若者を死地に送り出しておきながら胡坐はかけません、そんな罪深い怠惰と傲慢は主がお許しにならない」 「足震えてるけど」 「ご心配なさらず」 「手も」 「コイツめんどくね?邪魔なら切っとく?」 「トカゲのしっぽみたいに言うな」 「蛇に足生えてたら蛇足じゃん、余分は切るべきだって」 「なら硝煙嗅ぐたび発情する股間の蛇を去勢しろ」 とはいえ頭が痛い。 神父は軟弱なくせに頑固で、小刻みに震える手でロザリオを握ったまま最後尾に付く。 たゆまぬ使命感と信仰心に燃える面構え……苦手なタイプだ。 服の下に隠した反十字を無意識に握る。神父と教会にはいい思い出がないうえに、この人は僕をひどく苛立たせる。 「ここから先は危険です。あなたは安全な場所で待っていてください」 「しかし」 「ハッキリ言いますね、邪魔です。シスター・ペトラの間接的な死の原因になるのは本意じゃないでしょ」 辛辣に断言すれば、神父の顔がショックで強張る。 深呼吸で冷静さを吸い込んだのち、振り向いて無慈悲な笑顔を浮かべる。 「祈りは無力の特権、無能の免罪符です。せいぜい縋ってください」 うちのめされた神父が言葉もなく蹲るのをよそに、腰をかがめてさっさと先へ進む。 隣に来たラトルスネイクが二股の舌でまぜっかえす。 「毒舌じゃん」 「事実だよ」 「やっぱ神父は嫌ェか」 ……ヤなヤツ。 「ああいうしゃべり方する人間は胡散臭くて信用できない」 「俺様ちゃんたちのよーな不遜なガキに敬語で接してくるあたり、度を越したお人好しだな」 「反吐がでる偽善者によくぞボトムの神父が務まるよ」 吐き捨てるように言えば、ラトルスネイクがぬるく片頬笑む。 「偽善もしてねーヤツが偽善してるヤツを貶すって皮肉だな」 反射的に言い返そうとした時、くぐもった悲鳴が響く。 「!」 咄嗟に頭を引っ込め、墓石に隠れて向こうを覗く。 いた。マミー・マゴットが尼僧の傍らに屈み、ナイフでいたぶっている。 「くそ、」 「待ちなアウル」 頭が真っ赤に染まる。女子供が嬲りものにされるのを目の当たりにすると、僕はすぐ冷静さをなくす。飛び出したかけたのを軽く制し、ラトルスネイクが呟く。 「遊んでるだけだ。すぐ殺っちまったらツマんねーだろ」 「苦しみを長引かせるなんて残酷だ」 「よく見ろ」 ラトルスネイクが顎をしゃくって促す。墓石の陰に伏せ、マミー・マゴットの手元に目を凝らす。一度は手放しかけた理性が再び灯り、警戒心が返り咲く。 「ダガ―か……珍しい」 「飛び道具にもなる。ちと厄介だな」 「マミー・マゴットに2人がかりはやりすぎって思ったけど」 「組合もアホじゃねえ、俺とお前に指名が来たのにゃ裏付けがある」 マミー・マゴットは手練れだ。 ダガ―の扱いに習熟しているのは、尼僧を薄皮一枚裂くだけに留める技術の巧みさでわかった。 「……神父の話じゃ車とカネを要求したらしいけど、アイツ逃げる気あるのか。自暴自棄になってないか」 「そもそもボトムのオンボロ教会に逃げ込んで無茶振りすんのが変だ、銀行で人質とるならまだわかるが」 ラトルスネイクがサングラス越しの目を細める。 「見ろよ、故郷に帰ってきたみてェに安心しきったツラしてやがる」 荒廃した墓地のど真ん中、粗末な墓石に掛けて玲瓏と注ぐ月光に漂白されたマミー・マゴットは甘美な郷愁に浸っているように見える。 「単なる時間稼ぎの可能性も出てきたな」 「とっとと逃げねーのも意味わかんね。墓場に長居する理由って……」 ラトルスネイクが指を弾く。 「あった。屍姦だ」 「死ねよ」 「あァ?だってそれっきゃ考えらんねーだろ、これから掘り出しておっぱじめんのさ。ンじゃなきゃ尼僧を埋めてうじが沸くのを観察……聞けよ」 無駄口叩くラトルスネイクを置き去り、墓石を伝って反対方向へまわりこむ。 こうしてる間もシスター・ペトラは危機にさらされている、ぐずぐずしちゃいられない。 作戦は打ち合わせ済みだ。墓石の陰から手で合図すれば、ラトルスネイクがあくどく笑って拳銃を構え直す。 夜の底に乾いた銃声が爆ぜた。 「!」 マミー・マゴットが即座に反応、顔を上げる。 ラトルスネイクが放った弾丸は敵の脳天を狙ったが、マゴットが伏せたせいで背後の虚空へ消える。 「やっべ、はずした!」 舌打ちの次の瞬間には不敵な笑みが復活、ラトルスネイクが弾丸の如く飛び出していく。 青白い月光を照り返し、灰緑の鱗が硬質な艶を帯びる。 戦闘狂の笑みを全開にしたラトルスネイクは墓石を足蹴にして跳躍、両手のリボルバー銃を立て続けにぶっぱなす。 「賞金稼ぎか」 閃く銃火と舞い飛ぶ薬莢、立ちのぼる硝煙。女を嬲るのにのめりこんで接近を許した間抜けだが、想像より遥かに素早い。 「あの馬鹿」 初撃こそ最大の勝機だった。 なのに目立ちたがりのラトルスネイクときたら、わざわざ大声を上げて注目を引くんだから失敗するに決まってる。 包帯の切れ端をそよがせ立ち上がったマミー・マゴットへ、凶暴な笑みを剥いたラトルスネイクが突撃をかます。 「よせ!」 マミー・マゴットがぐったりした尼僧を盾にとる。 僕の制止があと少し遅ければ、ラトルスネイクの弾丸は尼僧ごとマゴットを貫通していた。 「もう一人いるのか」 しまった、我を忘れた。 尼僧の細首にがっちり片腕を回したマゴットがダガ―を投擲、風切る唸りを上げて刃が迫る。 「!ぐっ、」 鋭利な刃がこめかみをかすめて血がしぶき、視界が斑に染まる。 信じがたいことに、マゴットは片手で同時にダガ―を投げた。その精度はかなり物で、暗闇と距離ある中で僕の位置を正確に捉えている。 「声でわかったのか……?」 ただの勘にしては鋭すぎる。 マミー・マゴットが狂った哄笑を上げ、ずれた包帯の狭間から爛々たる眼光を放出。 「おいらは棺ん中で目覚めた。あたりにゃ真っ暗闇しかなかった。ずっと音がしてたんだ、カリカリ、カリカリって。朽木の内壁を齧る音かと思った、けど違った。ありゃあお袋の骨と肉を齧る音だ、かわいいうじ虫が眼窩をほじくる音だ。おかげで耳が鍛えられた」 「脳味噌うじの寝床にしてんじゃねーの、支離滅裂だぜ」 ラトルスネイクが盛大に嘲り、マゴットの肩を狙った弾丸が飛来する。 マゴットはそれを回避、瓶に手を突っ込んで何かを摘まむ……動いてる……うじ虫だ、大量の。 「ぐ」 強烈な吐き気を催す。 マゴットがうじ虫を食いちぎる。 「墓場はおいらの寝床、死体はコイツらの苗床だ。いい死体が手に入りゃもっと太って美味くなる、肥えて育って甘くなる。序でに死体も食っちまお」 「ぅ」 墓場の陰に転がり込んでえずく。 スナイパーライフルをなんとか構え、マゴットの顔に狙いを定めるが、ブレる。 切れたこめかみから滴る血を瞬きで目から追い出す、それでも足らず手の甲で無造作に拭い、墓石を台にして固定。 「見れば女が死んでいる 床に転がる腐乱死体 鼻から顎へと這い回るウジ虫 蠢き這い回る」 シスター・ペトラは殺させない。 「ミイラ男は神父に聞いた おいらもいずれ こうなるの? もちろん! 神父は肯いた 死んでしまえばこうなる定め」 そんな定めは決まっていない。 「マミー・マゴット墓生まれ 土の下で産声あげた 母さんの胎を食い破り 墓の下から這い出した マミー・マゴットは死体の子 死者から生まれた赤ん坊 吐く息は墓土さながら黴臭く 醜くむくんだ肌をしていた」 マゴットの体が黒くむくんでいるのは窒息が原因か?棺の死体から産まれ落ち、全身に酸素が回らなかったせい? それを嫌い焼きを入れ、自らをうじ虫に食わせたのか。 「『まして人間は蛆虫、人の子は虫けらにすぎない』」 今この場に最もふさわしい聖書の一節を唱え、引鉄を引く。 銃口の延長線上、尼僧を抱きすくめたマゴットが寂しげに呟く。 「マミー・マゴット墓生まれ どこへ行っても忌み嫌われる……」 狙いが外れたのは同情が原因じゃないと思いたい。 でも瞬間、僕は動揺した。動揺してしまった。 僕が外した弾丸はマゴットの片手の瓶を撃ち砕き、うじ虫が飛び散る。 地面に落下したうじ虫の大群が尼僧の太腿をいやらしくよじのぼり、股のあいだへ吸い込まれていく。 うねり、のたくり、はいずって。 うじ虫が尼僧を犯す。 「あ……、」 瞼の裏に去来するおぞましい過去の断片、うじ虫じみて白く肥えた指が口に出たり入ったり、息苦しさに涙ぐんで噎せても容赦なく穴という穴を犯されて 『祈りなさい。主に許しを乞うて求めるのです、祈ればきっと救われますよ』 僕のせいだ。 立て続けにダガ―が飛来、不揃いに傾いだ墓石を穿ち抜く。 2人がかりなのに歯が立たない、何故かマゴットは墓場の地形を知り抜いて上手く利用する。 どこにどんな形状の墓があり、どんな形状の木があるか完全に把握したうえで、巧みに逃げ隠れして死角を突いてくるからたまらない。 「手も足もでねーでぶざまさらしてんなァ、アウルちゃんよ!!」 「そっちこそ、暗闇でずるずる這いずってるだけじゃらちあかないぞ」 ラトルスネイクは銃の達人だ。 抜き撃ち早撃ち曲撃ちはお手の物だが、地の利を制覇したマゴットに劣勢を強いられる。 チラリと目を上げる。 教会の屋根なら絶好の狙撃ポイントなのに……移動する時間がないため断念、頭の中で作戦を立て直す。 ラトルスネイクが陽動で引き付け、僕が急所を狙えば…… 「ご無事ですかシスター・ペトラ、お二人とも!」 飛んで火にいる偽善者だ。 「銃声がすごくて、どうしても心配で」 「ミイラ男は神父に聞いた おいらもいずれこうなるの?」 突如としてまろびでた神父めがけ、マゴットが腕を振り抜く。 考えるより先に身体が動いた。 スナイパーライフルを背中に回し、咄嗟に地面を蹴って神父を押し倒す。 甲高い金属音が響き、ダガ―があらぬ方向へ弾かれる。 神父を巻き込んでごろごろ転がり、離れた墓石の裏へ避難するなり声を尖らす。 「大丈夫ですか」 「は、はい……偉大なる主のお慈悲のおかげで一命をとりとめました。きみは?頭から血が出てますが」 「あなたが来たので大丈夫じゃないです」 慇懃無礼の極みで返す。 見れば神父のロザリオに傷が付いてる。これがダガ―を弾いたらしい。 「だ~か~ら足手まといって言ったじゃん」 猛烈な銃声の合間を縫い、ラトルスネイクが勝ち誇る声がする。どこで見てる?高所か? 「……なんで沸いたんですか、迷惑です」 これだから神父は嫌いだ。 恩着せがましく厚かましくて、人の話を聞きやしない。 自分こそが絶対正しいと思い込んでる。 「わ、私もなにかお役に立てればと……自分の管轄区域で争いが起きてるのに見過ごせません……」 しゃれがた歌声が硝煙くさい風に乗じて広がり、神父が目を見開く。 「この歌は……」 「さっきからずっと唄ってます」 「まさか。そんなはずはない」 「どうかしたんですか」 「むかしここで同じ歌を聞いたんです。毎日墓地に通ってきていた子供がいて……ああ、彼のことはよく覚えておりますとも。私が着任したてのころ、身重の女性が墓地に葬られたんです。彼女は身寄りがなくて、弔いはそれは粗末なものでした。朽木で仕立てた棺を浅く埋葬して、数日した頃でしょうか。墓地から産声が聞こえるのを怪しんで行ってみると、泥だらけの赤子が泣いていたのです。あれは、あの子は」 神父が愕然とする。 「手配書で気付かなかったんですか」 「面変わりが過ぎて……包帯に埋もれてましたし……でも確かに彼はあの時の」 もしかしたら。 「ということは、アイツはここで生まれたんですね」 動揺冷めやらぬ神父の肩を掴んで食い下がれば、やっとの思いで頷く。 デタラメな歌はすべて真実だった。マミー・マゴットはここで産声を上げた。 逃走資金と車の要求は時間稼ぎにすぎない、彼の本当の目的は…… 「ラトルスネイク!!」 叫ぶ。 「マゴットが最初に座ってた墓にありったけ撃ちこめ!!」 なんで、とも、どうして、とも聞き返さない。 ラトルスネイクは行動でもってそれにこたえる。 『|好的《OK》』 糸杉の枝から逆さに降ってきた影が二挺拳銃を構え、墓石にありったけをぶちこむ。 「!!あ、あ――――――――」 今しもダガ―の投擲姿勢に移ったマゴットが刹那血相を変え、尼僧を突き飛ばし、まっしぐらに駆けてくる。 粗末な墓石が抉れ、弾け、爆ぜる。 今だ。 「『主よ、わたしはあなたにむかって呼ばわります』」 十字架の形の墓石、その横部分をライフルの台座にし、マゴットの眉間に狙い定める。 「『わが岩よ、わたしにむかって耳しいとならないでください』」 引鉄を絞る。視神経が焼け付く。視界の事物の動きが鈍化し、停滞する。 やめてくださいと無力で無能な神父が叫ぶ。 「『もしあなたが黙っておられるならば、わたしは墓に下る者と等しくなります』」 引鉄を引く。 弾丸が過たずマゴットの眉間を撃ち抜いた直後、その全身が爆ぜて手足がでたらめに踊り狂い、あっけなく倒れていく。 ラトルスネイクが硝煙上がる銃口ひと吹き、マゴットの死体に歩み寄って軽く蹴飛ばす。 「墓とファックでもしてたの、コイツ」 「よく見ろ」 スナイパーライフルを背負って出て行き、ラトルスネイクが鉛弾を湿った墓石を示す。 あちこち欠けた粗末な墓石の表面には、弾痕に抉りとられた『マギー・マゴット』の碑銘があった。 「マゴットの親の墓だ……帰ってきたんだよ」 棺の子宮を恋しがり。 あるいは、死に場所を求めて。 「もしかしてって思った。他にいくらでも隠れるのに都合いい墓石が犇めいてるのにあんな堂々身をさらすだなんて、何かわけがあるんじゃないかって。教会なんて場違いな所に逃げ込んでカネと車を要求するのも、保安局への通報を早める為なら合点がいく」 「自らに賞金稼ぎを差し向けた、と……?」 「遠回りな自殺かよ」 「帰巣本能かもね」 ラトルスネイクがしらけて鼻を鳴らす。 「死にてェから殺しにきてください言っても保安局はマジにとんねーかんな」 『見ろよ、故郷に帰ってきたみてェに安心しきったツラしてやがる』 コイツの言葉で閃いたのは癪だから黙っとく。 ……それと、神父のおかげか。 彼は生まれた場所で死のうとしたのだ。 ため息を吐く僕を素通り、神父がシスター・ペトラに駆け寄る。 「気絶してるだけです」 「早く止血したほうがいい」 尼僧にたかる憎たらしいうじ虫を払えば、地面に転げ落ちたうじたちは、まるで宿主を慕うようにマゴットの骸へ群がりゆく。 これが彼の望む最期だったのか。 神父自らカソックを噛み裂き、尼僧に応急処置を施してからそっと寝かせ、哀しい目をしてマゴットを見る。 「彼はどうなるのでしょうか」 「保安局に運んで懸賞金かっぱぐ。それでお仕事オワリ」 「そのあとバラされてマーダーオークション行きでしょうね」 ラトルスネイクの雑な説明に補足する。 神父は哀しげな面差しで死体を見詰め、ある提案をする。 「私が引き取って埋葬する、というのは偽善でしょうね」 「ええ、そうですね」 あっさり肯定、マゴットの骸を無関心に一瞥。 「マーダーオークションの利益は遺族に還元されます。マゴットに殺された犠牲者の遺族も、これでやっと葬式と埋葬費用を賄えますね」 どんな不幸な生い立ちや可哀想な過去を抱えていても、優先されるべきは犠牲者の尊厳の回復だ。 殺人者の尊厳なんて僕らが気にしてやることはない、それこそ最たる偽善と欺瞞だ。 「……ならば祈りだけでも」 「ご勝手に」 彼なりに思うところがあるのか、亡骸の傍らに跪いて祈りだす。 僕とラトルスネイクは並び立ち、退屈な茶番を眺めていた。 「…………」 服越しの反十字にさりげなく手を添え瞠目。 生きてる間は人殺しでも、死んでしまえばただの死人だ。 うじ虫が出たり入ったりする肉のかたまりに魂はない。 でも。 それでも。 マゴットの傍らに跪いた神父が十字を切り、死体に説く。 「ご安心なさい。あなたも私も、みないずれはそうなりますよ」 偽善を貫いて善を成さんとする神父の流儀にならい、冥福を祈るフリくらいはしてやってもいい。 そんなしおらしい僕の心がけとは裏腹に、ラトルスネイクは両手にひっかけたリボルバー銃をくるくる回す。 「ダガ―くらったのか、だっせ」 「うるさいな」 うざったげにそっぽを向けば、ラトルスネイクの吐息が耳に絡む。 こめかみの血を二股の舌がなめあげ、傷が鋭く疼く。 「硝煙嗅いだら興奮しちまった。骸の届け出終わったらモーテル行こうぜ」 人を殺したあと、賞金首を狩ったあと、ラトルスネイクは手が付けられないほど昂る。 「……回らないベッドで頼む」 僕は仕方なく頷いた。

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