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第10話

 それから、度々将星から連絡が来るようになり、食事や酒飲みをするようになった。  将星と会うと、落ち着かない気持ちなり、心なしか体がフワフワする感覚になる。体温もいつもより熱く感じ、アルファの将星を前に、オメガの自分が反応してしまっている事は感じていた。ましてや過去、体を繋げた相手だ。それでも将星と会うのを止める、という選択肢は理月にはなかった。  あんな強面で厳つい見た目の将星だったが、会っていない時でも小まめにメッセージをくれた。それは、おはようやおやすみの挨拶から、今日は星が綺麗に見えている、今日は暑くなるから水分は小まめに取れよ、そんな他愛もないメッセージを毎日のようにくれるのだ。  本来、まめな男なのかもしれない、そう思ったが見た目とのギャップにメッセージを見る度に、呆れながらも笑ってしまうのだ。  (俺は女じゃねぇっつーの)  そして、内心喜んでいる自分もいる。理月は気の効いた返事はできなかったが、決してそのメッセージを無視する事はなかった。  その日は半年に一度の定期検診の日だった。  普段決してする事のない、首のプロテクターに理月は違和感を覚える。病院で風邪をひいている患者がマスクをするように、オメガの首のプロテクターはバース科の病院では義務になっている。 「天音さん、お入り下さい」  看護師に呼ばれ診察室に入る。 「やあ、天音くん」  こちらに来てからずっと世話になっている、瓜生(うりゅう)医師だ。  年は三十半ば、少し垂れ目気味の目はいつも眠たそうで、短髪の黒髪の後頭部にはいつも寝癖が付いていた。マスクの下から顎が覗いているが、剃り忘れなのか今日は無精髭も生えている。アルファであるこの医師は、ちゃんとすれば端正な顔立ちをしているはずなのに、そんな事を全く気にしていないのか、いつもどこかだらし無さがあり、それが却って理月には好印象であった。 「調子はどう?」 「特に変わりはないです……ただ……」  理月は瓜生に将星と再会した事を告げた。瓜生には過去たった一度、性交渉をした相手がいる事、その相手である将星にだけ激しいヒートを起こした事は既に話している。 「そう──。再会したのか。それで、何か体に異変は?」 「目に見えて大きな変化はないですけど……少し体が火照る感じがします。あと……この傷痕が疼きます」  そう言って理月は手首の歯形を撫でた。  瓜生は手にしていたペンを口元に持ってくると、何か考えているのか、天井に目を向けている。 「過去、性交渉があった事で、フェロモンが反応してる可能性はあるな。相変わらずヒートはない?」 「はい、ないです」 「通常、天音くんはオメガのフェロモンが出にくい性質だ。けど、その彼を前にすると少し反応している可能性があるな」 「あいつの前だけで、ですか?」 「そうだね、現に今、僕は君からは特に何も感じない。君はどう? 僕に何か感じる?」 「いえ……全く」 「けど、彼を前にすると、体の火照りと傷痕が疼いている……」  顎には触れているペンを動かし、トントンと肌を叩いた。 瓜生は未だ謎の多いオメガの研究をしているという。それと同時に、何度も改正される抑制剤の開発にも携わっていると聞いた事がある。 「未だオメガの性質は科学的に証明されていない事柄が多々ある。特に君みたいにヒートを起こさないオメガは稀だ」 理月は、その稀に見る体質で瓜生の研究対象になっていた。 「はぁ」 「これは僕の仮説なんだけど……」  瓜生は身を乗り出し、天音と向き合うと、 「君がヒートを起こさない原因は、これじゃないのかな?」  そう言って、理月の手首にある将星の歯形に触れた。 「これ……ですか?」 「あくまで僕の仮説だよ? このせいで、君とその彼は番に近い存在になっているのかもしれない……まぁ、仮の番のような感じかなぁ?」 「仮の……番……」  理月は瓜生の言葉が上手く理解できず、無意識に歯形を撫でた。 「基本、首筋を噛む事で番が成立するけれど、手首を噛まれた時、お互いに番としてフェロモンが反応してしまった可能性がある気がするんだ」  瓜生は少し間を置くと、 「天音くんは、運命の番って知ってる?」  そんな事を言い出した。 「はぁ、まぁ……」  運命の番……出会った瞬間、本能的に互いに惹かれ合い、その結びつきは恋人や結婚よりも強いと言われている。  しかし、そんなものは《都市伝説》だと理月は思っている。そんな風に思っているのは、自分だけではないはずだ。本当に運命の番が実在するものだとしても、出会う確率は限りなく0に近いだろう。  そんなお伽話のような事を、科学的な研究をしている目の前の医師は口にしたのだ。 「出会った瞬間、互いが運命の番だと認識し、運命の番にしか反応や興味を示さなくなる」  真面目な顔をして、この医師は何が言いたいのだろうか……  そんな気持ちが伝わったのか、瓜生は不意に声を出して笑った。 「そんな、睨まないでくれよ」  無意識に胡散臭げな話しをしている瓜生を睨んでいたようだった。 「俺とあいつが、運命の番とでも?」 「その可能性は0ではないと思うけど。だとしたら、ロマンチックじゃない?」 「……」  正直、そんなものどうでもいい。運命の番だとしても、将星とそういう関係になる事は考えていないし、自分はこの先一生、番を作る事もましてや子を産む事などない。そう決めたのだ。  それでも運命の番は非現実なもので受け入れ難いが、仮の番というのは現実的には思える。今までヒートを起こさなかった事が腑に落ちる。理月のオメガのフェロモンが、将星にしか反応しなくなっているという仮説。そう言えば、将星もあまりオメガに対して反応しないと言っていた。 「首筋を噛まれる以外で番が成立するって事って、あり得るんですか?」 「番は首筋を噛む以外に成立しない事は証明されてる。もし、その《仮の番》が本当だとするなら、番としては成立はしていないと思う。今、別のアルファが天音くんの首筋を噛めば、その噛んだアルファと番が成立するはずだ」 理月は視線を手首の噛み跡に落とし、再び撫でた。 「その彼との再会で、天音くんのフェロモンに異変が起こる可能性もある。今日は少し強めの抑制剤を処方しておくから、引き続き飲むようにね」  検診はそれで終了した。相変わらず高額の医療費に目を丸くし会計を済ませ病院を出た。  (仮の番……)  アルファとオメガで成立する番。アルファに首筋を噛まれる事によってそれは成立する。本来、オメガはアルファと番う事によってオメガにとって厄介なフェロモンが番のアルファにしか反応しなくなり、番のアルファにしかヒートを起こさなくなる。《仮の番》が本当なのだとするなら、今現在、将星にしか自分のフェロモンが反応しないという事になる。  オメガは番のアルファにしかヒートを起こさなくなるが、アルファは番を変えることができる。アルファの都合で番を解除されるとオメガのストレスは計り知れず、それを苦に自殺してしまうオメガもいる。理月の叔父のように。オメガは一度番になると、番のアルファが死なない限り一生その番に縛られる事になる。  オメガの本能により、一般のオメガはより良い子孫を残す為に上質のアルファと番になる事を夢見ているようだが、理月は一切興味がなかった。  表向きはオメガに対しての差別はなくなったように見える。だが、根底には《子供を産む器》というオメガへの差別の概念は未だ消える事はない。《子供を産む器》として道具のように扱われてきたオメガは昔、性奴隷の様だったと聞く。  なぜそうなったのか──。 《アルファとオメガの間に産まれる子供がアルファである確率が高い》からだ。その点がオメガの最大の利用価値と言えた。その数値は九割を超えているという。過去の性奴隷による地位の低さと身体的にも劣勢的な作りをしているオメガは、昔から社会的差別を受け続けているのだ。  オメガにとって一番の幸せは、番を作り子を生すことと言われているが、そんなの世の中が勝手に作ったテンプレだ。オメガのヒートに反応したアルファやベータがオメガを襲う性犯罪は未だ多い。それを少しでも減らそうと、オメガに番を持たせる事を政府が推しているのだ。  自分が媚びて子種をもらい、子供を産むなど理月のプライドが許さない。 (絶対に子供なんて産むもんか) 叔父のような弱いオメガには決してならない。 理月は頑なに、その意志を貫いていた。

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