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第40話

――五年後―― 「あ! オーナー! まだいたんですか?!」  車検から戻ってきたスタッフの日置(ひおき)が、バイク整備をしている将星に慌てた様子で駆け寄って来た。 「今日、退院ですよね? 早く行ってあげてください」 「ああ、悪いな」 「そういや名前、決まったんですか?随分悩んでいたみたいですけど」  将星は軍手を外しツナギのポケットから布を取り出すと、左手の薬指に嵌めているシルバーリングを外した。布で指輪を大事そうに拭きながら、薄っすらと笑みを浮かべている。  普段表情があまり変わる事のない将星に、珍しいものを見たと日置は思った。 「クウヤ」 「くうや?」 「夜空……空に夜で空夜(くうや)」 「ああ……夜空」  日置はその言葉と共に天井を指差す。 「かっこいいですね。意味は?」 「月と星があるのは、夜空だろ?」  満足そうにそう言って、幸せそうな笑みを溢した。 「どっちに似てます?」 「ははっ! チビ過ぎてまだ分かんねえよ……まあ、どっちに転んでも目付きが悪いのは間違いねえな」  そう言って笑った。  日置にひと通りの指示を出し、将星は黒いハイエースに乗り込むと病院に向かった。  あれから、五年──。  理月の大学卒業を待ち二人は入籍した。将星はあのままスウェーデンに留まり、理月の大学卒業と同時に日本に帰国。理月は日本の大学に戻り大学院に進んだ。大学院を終了すると、恩師である教授の助教となり今はその教授の元でスウェーデン語の研究と、叔父の絵本の翻訳に勤しん文字(ルビ)だ。  夢であった叔父の絵本の翻訳に成功し、無事出版する事もできた。出版された当初は、自ら命を絶ったオメガの絵本作家の本を、甥で同じオメガである理月が翻訳したと話題にもなった。理月は敢えてオメガである事を公表してはいなかったが、隠す事もなくなり、聞かれればオメガであると堂々と答えていた。  一方、将星は長年の夢であった自分のバイクショップ、 Infinity(インフィニティ) universe(ユニバース)を三年前にオープンさせた。自らデザインしたパーツやTシャツなどのグッズの売上も好調で、評判を聞きつけ全国から訪ねてくるバイカーも多い。  ショップのロゴマークは自分と理月をイメージし、星と三日月が寄り添う様に並んでいる。それはまるで、月が星を抱きしめているようにも見える。互いを意味するそのロゴマークを将星は首筋に彫り、理月もまた、うなじの噛み跡に同じ物を彫った。  理月とは籍を入れたからと言って、すぐに番になったわけではない。理月のうなじを噛み、正式に番になったのはほんの一年前の事だ。  将星自身、番になる事にさほどを重要視していなかった。番になる事よりも、理月の傍にいられれば番になれなくてもいいと思っていたからだ。番になる事も子供を授かる事も望んでいないと言えば嘘になるが、理月が望むのであれば──という程度だった。将星にとって、理月の隣にいる事が何よりも重要で、理月がいればそれでいい、番や子供は二の次だと考えていた。  だが一年前のヒートの時、突然理月からうなじを噛んでほしい、と言ってきたのだ。  理由を聞けば、 『将星を愛しているから、番になりたい』  あの理月が初めて気持ちを告げてくれたのだ。迷う事なく将星は理月のうなじを噛み正式な番になった。  病院に着き病室のドアを開けようとした途端、内側の扉が開き慌てて手を引っ込める。 「やぁ、将星くん」  扉を開けたのはバース科の医師、瓜生だった。  理月との事で色々と世話になり、現在は楽人と付き合っているという。 「天音くん、待ちくたびれているよ」 「お世話になりました」  将星は頭を下げた。  瓜生はおもむろに眼鏡を外し、ハンカチで目元を押さえている。 「ごめん……なんか感極まって……」  瓜生は、理月がオメガである自分自身と葛藤し戦ってきた事を長年見守ってきたのだ。医師という立場だけでなく、一人の人間として理月の幸せを願ってきてくれたのだろう。 「お幸せに」 「はい……ありがとうございます」  瓜生が去っていくと、その瓜生の背中にもう一度頭を下げた。  再び病室のドアを開けると、ベッドに腰掛けている理月の姿。その腕には小さな赤ん坊を抱いている。  一年前──うなじを噛みそれと同時に授かったのが、理月の腕の中にいる『空夜』だ。  将星に気付き、遅えよ、そう悪態をつく。 「悪い、なかなか区切りつかなくて……寝てるのか?」  空夜を覗き込むと、薄っすらと目を開けている。その瞳は理月の遺伝子を受け継ぎ、美しい青色だった。空夜は一つ欠伸をすると、再び眠ってしまった。  自分と理月の子だと思うと、自然と涙が込み上げてくる。 「また泣いてる……空夜を見る度に泣いてんじゃねえよ、おめえは」  そんな将星の姿に理月は呆れている。 「俺は最高に幸せ者だ」  そう言って将星は理月にキスをし、空夜の頬を指でそっと撫でた。 「抱っこしてみるか?」  将星は大きく首を横に振る。 「いや……! まだ怖くて無理だ!」  将星はまだ、首が据わっていない乳児の扱いに慣れておらず、一方の理月はすっかり慣れた様子だ。 「風呂とか入れてもらうんだからさ、そんなんじゃ困るぜ、とーちゃん」 「分かってるよ……」  頼りない父親だと思われてしまうだろうか、そんな思いが過ぎる。 「俺も最初は怖かったな……抱っこすると柔らかくてグニャグニャして、壊れそうで……」  そう言って、優しく空夜を見つめる青い瞳が綺麗だと将星は思った。 「帰ろう」  理月はゆっくり立ち上がると、ベッドに置いてある荷物を将星が持った。  この上ない幸せを感じ、将星は再び涙が込み上げそれにグッと堪える。 「理月、愛してるぜ」  不意に言ってみると、 「俺もだ」  そんな珍しい理月の返答に将星は目を丸くする。 「だから、いっぱい稼げよ」  そう言ってニヤリと笑った。  そんな理月の言葉に、間違いなく尻に敷かれるのだろうと確信する。  (俺の子を産んでくれてありがとう──)  理月にとって、子を産む事こそがオメガの宿命だと思っていたはずで、子を産めば自分がオメガである事を認めたも同然だ。それ故に、子を産む、という事を拒んできた。強い理月ならきっと、オメガであっても一人で生きていけたに違いない。  それでも自分と番になり、子を産み共に人生を歩む道を選んでくれた。  言葉で気持ちを伝えられたのは、番になったあの日だけだったが、充分に自分に対する気持ちは伝わってくる。  結局、瓜生の言っていた《仮の番》の真相は分からないままだった。アメリカで一組の番が、自分たちに似た事例があったと聞いたが、それ以外に事例がない為、確証には至ってはいない。  不思議な事に──、 うなじを噛み正式に番になると、自分が噛んだ理月の左手首の噛み跡が薄くなっていき、最終的に綺麗に消えてしまったのだ。将星の予想では、『仮の番』は『運命の番』である二人にしか起きないのではないかと思っている。理月の手首の噛み跡は仮の印であり本当の番になり、その役目を終え消えてしまったのだろうと。  自分と理月は間違いなく《運命の番》なのだと確信している。  そして、運命の番だったからこそ、二度の別れがありながらも奇跡的に結ばれたのではないか。  そんな事を理月に言ったらきっとまた『ロマンチストな男』と笑われるかもしれない。  理月と繋いだ手を強く握り、  この幸せが永遠に続く事を将星は強く願った──。

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