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終章

「それじゃあ御嵩さん、コイツの事よろしくお願いします」  茶トラの子猫を斎から譲り受けた綜真はまだ小さなその身体をそっと抱き上げて腕に抱く。みーみーと鳴く子猫をそわそわと覗き込む詩緒は綜真が刺された左側から離れようとはしなかった。  子猫が詩緒に興味を示し前脚を伸ばすと、綜真は落ちないように手を添えて詩緒に渡す。 「いやしかしあの時御嵩さんに言われた通りでしたね。バイク調べたらブレーキオイル抜かれてましたよ。赤松がやってたんですね」  詩緒が斎の事故原因が猫を避けようとした事にあると聞いた時、綜真には違和感があった。飲み会の時那由多が斎の事故の原因はバイクのブレーキにあると言っていたのを覚えていたからだった。斎からの言質も取り、那由多が事故を画策した可能性があると考えた四條はその目的が詩緒の居る第五分室に異動して来る事だと気付いた。  確かに那由多は営業成績トップだったが、人間性においては良くない噂を多く聞くと千景からの助言もあり、表沙汰にはせず那由多の事を調べさせていた。その結果バイクのブレーキオイルと綜真を刺した包丁から那由多の指紋が発見され、那由多は詩緒の自宅に複製した鍵で侵入しようとしていた所を現行犯で逮捕された。  その場に居合わせたのは奇しくも斎と千景だけだったが、那由多の最後の言葉を絶対に詩緒には伝えるなと斎は固く釘を刺されていた。 「お前を事故らせて、分室に入ろうってのが目的だったんだろうな」  詩緒が猫じゃらしを使って真剣に子猫と遊んでいる姿を見て綜真の表情が綻ぶ。 「まあ営業は今まで通り本棟に委任するとして、御嵩さんはこれからもこっちで俺達と仕事してくれるんでしょう?」 「どうして欲しい? 詩緒」  綜真に肩を抱かれた詩緒はぴくりと肩を揺らし、子猫を落ちないように抱き直すとちらりと綜真に視線を向けてすぐにそっぽを向く。 「……ね、猫は、神戸に連れ帰ったら環境変わって体調崩すし……こっち居れば良いんじゃねぇの……?」  詩緒のデレを間近で見た斎は何故動画で撮影をしていなかったのかと激しく後悔した。動画で撮っておけば後で散々真香とからかえたのにと残念がる斎を余所目に、綜真は肩を抱いたままの詩緒を引き寄せ唇を重ねる。 「……っん、綜真」 「子猫(コイツ)にちょくちょく会いに来てやれよ。何なら一緒に住むか?」 「それは嫌だ」  即答で拒絶された綜真は少し傷付いた。  その仕返しも兼ね、詩緒の頭部を後ろから抑えつけると斎への牽制も込めて綜真は角度を変えて何度も詩緒へ口付けを繰り返す。 「わ、……ちょ、……ね、えっ……綜真、ってば!」  綜真は結構嫉妬をしやすい性質だなと斎は考えながら綜真に押されたじたじになる詩緒の姿を楽しそうに眺めていた。これが本来の詩緒の姿であって、綜真の隣に並ぶと詩緒は随分と子供っぽい顔を垣間見せる。それだけでも詩緒にとっての綜真がどれ程大切な存在であるか斎には分かった。 「あれ、でも二人共まだ聞いてない? 四條さんが今回の件も鑑みて分室に寮制度取り入れるって話」  斎もつい最近、四條から聞かされたばかりの話だった。寮制度と聞いて千景は尚更分室への異動要請を拒んだと聞く。 「俺も真香も寮に引っ越す事になるから、榊と御嵩さんも入る事になるだろ?」  入院中だった綜真はともかくとして詩緒すらも聞かされていなかったとは、斎からすれば疑問だったが自分か真香が詩緒に伝える事を予め想定していたとするならば合点が行く。 「……じゃあ、海老原が寮で飼えば良いんじゃねぇのか?」  綜真からの提案に詩緒が少しだけ愕然とする。予め寮に入る事が分かっているのならば今日綜真に譲渡したのは何故なのか、その理由に気付いた詩緒の表情が途端に明るくなる。 「あっ、真香が猫苦手だから。猫が居たら斎の部屋に行けないからじゃねえ?」 「ふぅん、なるほどな……」  ころころと変わる詩緒の顔を見ているだけで楽しくなった綜真は再び顔を近付けるが、今度は詩緒に阻止された。 「そういえば、子猫(コイツ)の名前は? 佐藤繋がりだと鈴木とか山田とか?」  綜真のネーミングセンスに期待をした詩緒は子猫を綜真の肩に乗せる。子猫は爪を立てて綜真の頭まで登ると落ち着いたように丸くなる。 「……ソルト」  詩緒と綜真の口から猫の名前を聞いた斎はその意味に気付き慌てて笑い出さないように口を覆う。 「ソルトって。ソルトと佐藤じゃまるで砂糖、と、しお…………えっ?」  詩緒はそこまで言って固まる。詩緒も名前の真実に気付いたと分かった斎は思わず吹き出す。  一方の綜真も耳まで赤くしてちらりと詩緒へと視線を送る。 「……あの時に気付けよばーか」    警察に連行される際、野次馬の中に斎と千景を見付けた那由多は笑顔を浮かべて二人に言った。  ――詩緒さんに伝えておいて下さい。『必ず迎えに行くから』って。

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