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鐘の音がなる頃、ふたりの世界。
カチ、火を止める。ぐつぐつ煮立っている土鍋の中身を見て、少しやり過ぎたかな、と頭をかいた。こんなに熱いままの食べ物を持って行ったって食べられないか……。仕方がないので冷蔵庫から未開封のお茶っ葉を取り出す。お茶でも淹れて待っておけば、そのうち冷めるだろ。
やっとできあがったものを全部おぼんに載せて、寝室へ静かに歩く。しかし、これは……どうしたもんか。和 が今寝ているんならノックをするどころか食事を持って行く意味だってないだろうし、かと言って起きているならもうそろそろ腹が減る頃だろうし。
物音を立てないように部屋のドアを開けると、毛布にくるまった和が見えた。リビング側の照明のことを完全に失念していた、足元から俺の影がぐぐっと和の方まで伸びている。と、和が緩慢 な動きでこっちを向いた。
「んふふ、ひめちゃんだぁ」
「……大丈夫そうか?」
ベッドのそばまで行って、近くのテーブルにおぼんを置く。
「ごめんね、ほんと……ひめちゃんせっかくおやすみなのに、おれがこんな感じで」
和が発熱したのは今朝方だった。
いつもなら起きているような時間なのに俺の隣でもぞもぞ動いているもんだから驚いたが、起こそうとその顔を見たときにはもっとびっくりした。雪のように真っ白なはずのその頬 が、林檎 にも負けないほど真っ赤になっていた。体温を測るまでもなく、その顔に触れれば熱があることくらいはっきりとわかった。
「いや、いいよ全然。いつもいろんなこと和にやらせてばっかだから、ここで全部返さないとな」
「そんなことないよ。おれはいっつも、ぜーんぶ、おれがやりたいからやってるし、ひめちゃんが隣にいるだけで幸せなんだよ?」
「……そりゃあ嬉しいけど、でもそれが負担になってたってことだろ。毎日の積み重ねで熱出たんだから、俺のせい」
「もー、やめてよ。これはおれの体調管理が甘かったの!」
げほげほと咳き込みながらも弱々しく微笑む姿が、俺の心に刺さって痛い。これ以上自分を責めるのは和のためにならないことを知っている。あとは夜中にひとりでやろう。
「頭痛はもうないのか? 薬は効いてる? あ、お粥、梅味で作ったけど食べられそうか?」
「ま、待って待ってひめちゃん……えっとね」和が少し身体を起こそうとするから、俺はそれを止めた。「頭は、ちょびっと痛いかな。んー、でもご飯は食べられるよ、そのあとでもっかいお薬飲むね?」
あまりにも静かだった。俺たちの会話と呼吸音以外には、心臓の音や雪が降ってくる音すら聞こえてきそうなくらいの静寂。和に熱があるってわかってからそれ以外のことは考えてなかったけど、今日はスマホもテレビも何も触ってないな。そういえば今年最後の日、だったか。
ふと、和が布団から起き上がり、手を出しているのが見えた。カーテンに柔らかく触れて、端 を握る。そのまま腕を引き、開く。
「きれいだね」
窓の外には冬が広がっている。白銀の世界にちらちらと降る雪、そこここでともっている温かな明かり。
「ん、綺麗だな」
俺の目の前には、そんな冬の世界に腕を伸ばす和。今までで感じたこともなかった儚 さをまとって、雪のように白いその手を窓に貼り付けている。
――今、俺がこいつに触れたらどうなるんだろうか。溶けてしまいそうで、消えてしまいそうで。
「どしたのひめちゃん?」いつもは結んでいる色素の薄い髪をふわりと舞わせながら、こちらを向いた。
「あぁ、いや……別になんでもない」
和の細く伸びた指先が、窓の鍵を動かす。
「おい、和――」
「ね、見てひめちゃん、全部終わってくんだ」
あんまりにも穏やかな笑みを浮かべながらそんなことを言うものだから、俺は思わず黙ってしまう。口は開いたままなのに、言葉は何も出ていかない。その横顔を見ているだけしかできない。
胸がきゅっと、誰かに握られる。
「でもね、ここからまた始まるんだよ?」
ひゅうっと冷たい風が入ってくる。ふわっと白い雪が舞う。
いつの間にかこっちを向いていた和が、俺の頬に手で触れる。いつもより冷たくて小さくて、けどいつものあの手だ。和はそれと反対の手で、俺の袖を弱々しく引く。
耳に除夜 の鐘の音が届くのと同時、唇に雪が触れる。
「えへへ、これで新年早々ひめちゃんはおれと一緒にぐったりだね。風邪うつしといたから」
「……おいバカ、寝とけ」
お題:年越し
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