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晴れの日、隣の振袖。
風呂から上がると、和 はソファで何やらにこにこしながらスマホの画面を見つめていた。そのまま放っておいたらスマホを撫で始めそうな雰囲気だ。
「……何見てるんだ?」
「あっ、ひめちゃんあがってたの」
もうそろそろふたりで住んで一年が経つ。恋太郎 という名前ではなく、こうしてあだ名で呼ばれるのに対して何か言うこともやめてしまった。別に「ひめちゃん」呼びが嬉しくなったとか、なんなら呼んでほしくなったとか、断じてそういう訳ではない、絶対に。
バスタオルで引き続き頭をぐしゃぐしゃと拭きながら、和に近づく。ひた、と、冷たいその手に腕を掴まれる。そういえばこいつは髪の手入れに対しては口うるさいのをうっかり忘れていた。
「ひめちゃん、がしがししちゃダメだってば。そんなことしてるとかわいくなくなっちゃうんだからね」
「あぁ、悪い悪い……」
和は俺の頭に載ってたバスタオルを没収して、代わりに髪に沿って優しく拭き始めた。それがただ頭を撫でられているみたいで、気恥ずかしい。たぶんこいつは何も意識してないんだろうなと思うと、倍腹立たしく思う。こんな俺ばっかり……。
「で?」満足そうな笑みを浮かべて俺から離れていく和に、少し棘 のある声を出す。「何見てたって?」
「ん、そうそう」俺の棘なんてまるで意に介さない様子で、再びスマホをいじり始める。「もうそろそろシーズンだからさ、ちょっと思い出したくて」
あまりにも言葉が足りない。俺は今から何シーズンの何が近づいている話をされるんだ? どのイベントのどんな写真を?
ほらほら、なんて言いながら目の前に出てきたスマホ画面には、袴 姿の和がいた。肩から足元にかけて、深緑色が徐々に黒へと変わるグラデーション。いつもおろしている長髪は珍しく――いや、晴れの日なんだからそれくらいは当然かもしれないが――結ってシンプルなかんざしで留めてある。突然の不意打ちに言葉を失った。
「あー、えっと……じ、じゅ十二年前?」
「ちょっとちょっと、恋人の年齢も曖昧 ですかー? おれは三十四ですけど?」
混乱しすぎて頭が上手く働かなかったらしい。歳はわかっていたのに計算ができない。
「あ、あれでしょ、成人式が干支一周と二年分前なんておじさんだって言いたいんでしょー!」
「いや、何も言ってなくない?」
むっとしながら和がスマホを渡してきたので、じっくりその写真を見る。あまりに美しすぎる青年がそこにいる――あぁ、いや、目の前にいる三十四だって必要以上に綺麗なんだけど。
隣に立った和の手がぬっと伸びてきて、画面をスライドする。見ている写真は前撮りらしく、たまに家族を含むオフショットが挟まってくる。かわいい。
「ちょっと待って」そういえば佐瀬 家は四人家族で、姉がいるとは聞いていたが……まさか。「一個戻って」
不思議そうな顔をしながら、和は画面を右にスライドさせる。現れたのは袴の和と、青を基調として白い花が散りばめられた振袖の女性。
「あの、この人って……?」
「ん、姉さんだよ。あれ、言ってなかったっけ?」
「あー、いや……その、年子の姉がいるとは言われてたけど、まあ、見たことはなかった、からな」
何度か瞬きをして、何度か目を擦 る。和とは正反対で真っ黒の長髪、キツい目つきに丸メガネ。すらっと伸びたスタイリッシュな立ち姿で、和と並んでもそこまで身長差がない。背の高い草履 を履いている、だけが理由ではないだろう。
――見たことある。
「んでさ〜、聞いてよひめちゃん、姉さんってとんでもなくめんどうな人なの!」
いや、見たことあるなんてもんじゃない。
「ちょっとお堅 くて細かい人だからさ、まだひめちゃんのこと言えてなくて……あ、でもでも、今度ちゃんと話すし会わせてあげるからね。姉さん紅茶が好きで、結構こだわってて」
――知ってる。
綴 じられた書類の角が少しでもズレていると機嫌 が悪くなるし、仕事以外の話なんて聞いたことないし、デスクは綺麗すぎて日常が全く読めないし、紅茶が切れたときテキトーに選んで買ってきた後輩が思いっきり怒られてたのを見たことがある。全部、嫌というほど知っている――。
なんて考えてぼーっとしていると和が「ね、ひめちゃんの成人式は? やっぱりスーツ?」だとか、まるで少年のように瞳を輝かせながら聞いてきた。
「え、あ、あぁ……そうだな、ただの新品スーツ」
慌ててポケットからスマホを取り出して、当時の写真を探す。何も考えないようにそれだけに集中して……いやでも、和のお姉さん似すぎじゃないか。いやそっくりなんてもんじゃない。あのクソ上司③――いや、違う違う。恋人の姉だもんな、いい意味で、だ――そのまんまじゃないか。
新品でまだまだ糊 が残っているスーツに身を包んだ二十歳 の俺を、和はにこにこ顔で見つめている。が、それを止めてでも確認しないといけない。
「あの……お姉さんの名前は?」
「ん? ゆう、だよ。うかんむりにあるで、宥」和は急にスマホから目を離して、こっちを振り向いた。「もしかして知ってる、とか?」
そうか、佐瀬宥……仕事場でどこか和に似ている気がしたが、あれは背中で跳ねるセミロングのせいだけじゃなかったんだ。確かに佐瀬なんてそうそう聞く苗字じゃないし、少しくらい疑うべきだった。まずいな。
――あの職場を辞めたい理由がひとつ増えたな。
楽しそうに話す目の前の恋人に、真実を言えない。あなたのお姉さんのことめちゃくちゃ嫌いです、なんて、口が裂けても絶対言えない。内心で頭を抱える。さっき和は俺に姉さんを会わせるだとか何だとか言ってたな、何としても回避しなくては……!
「いや、あー……誰かに似てる気がしたけど、勘違いか。綺麗だな、お姉さん」
嘘は言ってない。入社当時は確かにそう慕っていたんだから。まあ、今は一ミリも思っちゃいないけど。
お題:二十歳/袴
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