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カースト最下位落ちの男。

 俺たちの通う学園はほんの少し変なところがある。いや、もしかしたら大分かもしれない。 「はい、じゃあ口を開けて? そう、舌も出すんだよ。……ちゃんとね」 「……は、はい……っん、こ、ぉ……れふか……?」 「そうそう、よく出来ました。それじゃあたくさんキスしてあげようね」 「ぉ゛、ん゛ッ、ぅッ!!」  ヂュルルル!と凡そ人体から発せられるべきではないほどの音を立てて舌もろとも絡み合ってる二人組の男子生徒を眺め、俺は昼食代わりのパックジュースを飲み干した。  ここはラブホでもそういう場所でもなんでもない、昼下がりの学園内ラウンジ。人目を憚らず組んず解れずな絡み合いを見せる野郎も今ではもう背景のようなものだ。 「よお、十鳥(ととり)。お前こんなところにいたのか」  ゴミを捨て、さっさとこの場から立ち去ろうとしたときだ。肩を叩かれて振り返れば、そこにはよく知ってる面があった。  ――数少ない友人である一番ケ瀬(いちばんがせ)である。 「おー、一番ケ瀬。お前も飯か?珍しいな、人気者が一人だなんて」 「ちげえよ。お前を探してたんだって」  人気者は否定しないのか。  俺とは対象的なカラッとした笑顔で流されても本人が嫌味のない爽やか野郎だとわかってるからか、全然悪い気はしない。それに人気者だってのも事実だ。 「俺に用?」 「そうそう、会長さんがお前を呼んでる」 「会長って……まじか」  前述した通り、この学園は少しおかしい。  風紀の乱れもそうだが、この学園では教師よりも一部の生徒の方が権力がある。――そしてその中でも生徒会の存在は絶対的だった。  生徒会、その長である生徒会長となるとそれはもう崇高な存在である……と連中の取り巻きは言っていたが、正直お付き合いしたくないタイプの人種では違いない。でも、それを言うと一番ケ瀬も生徒会役員の一員である。けど一番ケ瀬は特別だ、他の奴らと違って取っつきやすいし。 「何かしたっけ、俺」 「んー……まあ、あの会長の様子じゃ悪い話じゃないと思うんだけどな」 「けど」 「まあまあ、俺も一緒について行ってやるからさ。ほら、あの人待たせたときのがすげー面倒だから早く行くぞ」 「おっ、おい……っ! 押すなってば……!」  隠して一番ケ瀬に連れて行かれた先の生徒会室にて。バカみたいにでかい机の上に腰を掛けた人物は俺達の姿を見るなりゆっくりの立ち上がった。 「……お前が十鳥か」  そう、目の前に立つ壁、否男を見上げて思わず固唾を飲んだ。遠巻きに見てただけでもでけえとは思ってたけど、こうして並ぶとその差は歴然である。生徒会長様々の威圧感の気圧されそうになりながらも、一番ケ瀬の背に隠れたまま俺は「はい」と頷いた。 「……お前がな」  なんだ、なんだこの目は。舐め回すようにつま先から頭の先までじっくりと見詰められ、堪らず後ずさりそうになる。 「おい、十鳥。……お前うちの学校の仕組みについては知ってるだろう?」  会長様のお言葉が静かに響く。  ……正直、知ってるっちゃ知ってるが俺にとっては無関係な世界の話だと思って半分くらいは聞き流していた。けど、仕組みとなるとアレのことだろう。 「……カースト制度のことですよね」 「ああ、そうだ」  この学園には目に見える形でカーストが存在していた。それは成績や日頃の素行などを数値化し、文字通りランク分けするシステムだ。そのシステムによって学園内での施設の利用や食事の内容も変わる。表向き学力のモチベーション向上を謳ったそのシステムは保護者たちも了承済。だが実態はこれだ。  一軍にとっては天国、二軍でようやくまともな学園生活、だったら三軍はどうだ。  一軍に逆らえばあることないことでっち上げられ、更に点数を下げられることも少なくはない。つまり体のいいパシリになるのだ。……いや、パシリならばまだましなのだろうが。  日常的に性的いじめを受け捌け口にされてる三軍の生徒の姿は見かけた。複数の生徒に囲まれサンドバッグにされる生徒もいる。三軍は学園公認の奴隷に等しい。採点係の教師を肉体的奉仕をし、点数を稼いで三軍から抜け出そうとする生徒も少なくはない。そして幸い、俺は二軍だった。因みに一番ケ瀬も生徒会役員様方も全員一軍である。 「お前は今の現状をどう思う?」 「どうっていうのは……」 「遠慮する必要はない。下位カースト層の待遇についてだ。中には自分が都合のいいようにしたいがためにわざと中位カーストから下位へとランクを落とそうとする輩も出ている」 「は、はあ……」  何故そんな話を俺にするのか。まるで会長様の意思が見えてこず、ただただ困惑した。  そんなとき、「それで、だ」と会長様の切れ長な目がこちらを向いた。 「試験的に下位ランクを下回るランクを設けようと思う。そうすれば必然的に下位ランクの待遇も改善されていくはずだろう」 「はあ……なるほど、それは……」 「それで、だ。――十鳥文也(ふみや)。お前を最下位ランクへと降格させていただく」 「確かにそうですね…………って、え」  今、なんて言いましたか? 「お前は今この瞬間から会長命令で最下位に降格させていただく。明日にはお前の最下位転落は周知の事実となるだろう」 「まっ、待ってください! なんで俺が……!」 「本来ならば身内で用意する予定が逃げられてな。……口が堅く、心身がタフで、周りの人のためを考えられるという最適な相手を探してたところ一番ケ瀬からの他薦があってな」 「……な……」  思わず目の前の一番ケ瀬を見上げれば、やつは舌を出して『ごめんごめん』と軽く笑うのだ。いつもは眩しい笑顔だが今だけは憎たらしくて仕方なかった。 「こんなの、俺は認めません……っ、第一こんな……サンドバッグになれって言ってるようなものじゃ……!」  ありませんか、と会長に詰め寄った瞬間だった。胸倉を掴まれ、持ち上げられる。足が浮いてんじゃないかと思うほどの力だった。鼻先数ミリ、少しでもぶれればキスでもしてしまいそうなほどの至近距離。思わず気圧されて怯んでしまいそうになるのをぐっと堪え、目の前の端正な面を睨み返せば会長は笑うのだ。 「――……言っただろう、会長命令だとな。俺に二言はないぞ、口の聞き方には気を付けろ」 「……っ、」  会長命令。  転校してから数カ月、俺も大分この学園についてはわかったつもりだった。……特に、この男の職権濫用っぷりには。  何故この男がトップにいるのかというほどの傲慢不遜っぷり、ただの噂ではないってことか。  もしかしたら本当に生徒のためだと思っていたが、カースト制度が廃止になって自分が甘い蜜を吸えなくなるのを防ぐために俺を人柱にしようって話じゃないか。  ……そして実際、日本でも有数の名家の一人息子であるこの男は権力もあるのだ。逆らえる人間などこの孤島の学園にはいない。 「そういえば、お前の妹が中等部にいるらしいな」 「……ッ!! なんで、お前が……」 「お前に似ずに随分と可愛い子じゃねえか。……なんなら本土から連れてきてお兄ちゃんの代わりをさせてもいいんだぜ、そっちのが喜ぶ野郎のが多いだろうしな」  血の気が引いた。冗談なんかじゃない、こいつは本気で妹を代わりにしようとしてる。  頭に血が上る。咄嗟に殴りかかろうとするが生まれてこの方まともに人など殴ったことのない俺のパンチなどたかが知れていた。呆気なく受け止められ、逆に腹を殴られる。 「ぐ……っ!」 「十鳥! ……っ、会長、殴らないって約束じゃあ……」 「気が変わった。……それに、先に手を出したのはそいつだぞ、一番ケ瀬」  蹲る身体を一番ケ瀬に抱き止められる。会長はすっかり興醒めだと言う様子で俺たちに向かって手を払った。さっさと出ていけというジェスチャーだ。  文句を言ってやりたかったが、一番ケ瀬に「行こう、十鳥」と止められる。なによりも殴られた腹が痛すぎて声すら上げられなくなってたのが歯がゆかった。  ふらふらになりながらも連れてこられたのは自室だった。  俺をベッドに座らせた一番ケ瀬は「大丈夫か?」とこちらを覗き込んでくる。堪らず俺は伸びてきた一番ケ瀬の手を振り払った。 「……っ! 十鳥……」 「お前が、俺の名前出したのか? ……あの会長さんに……」 「……っ、悪い……」  言い訳もなく、ただ項垂れる一番ケ瀬。ムカつくのに、嫌いになれないのだ。そもそもトップがトップだ、一番ケ瀬もさっきの俺みたいに圧をかけられたのではないかと思うと何も言えなくなるのだ。 「……妹のことも、あいつ知ってた……最悪だ、もう……」 「十鳥……」  どうしたらいいんだ。逃げ出そうと思ったってここは離島だ、海を泳いで逃げ出そうにもセキュリティ面もご立派なこの学園は外側からも内側からも簡単に出入りすることはできない。  それに、俺が逃げ出したら妹が連れてこられる。まだ幼さの残った妹をこんな無法地帯な男子高に連れてこられるわけがない。それだけは絶対に。 「……十鳥、俺に案があるんだ」 「……案?」 「ああ、お前だから言うけど……俺も元々この新カースト制度についてはいいと思わない。会長もそうだ、効果がないと判断すればすぐに切り捨てるはずだ」 「……それって、どうやって……」 「俺もなんとか下位カーストの待遇は変わらないように仕向ける。……だから、一ヶ月、一ヶ月だけ我慢してくれ」  十鳥、と伸びてきた大きな手に掌を握り込まれた。真っ直ぐな一番ケ瀬の目に見据えられれば、そのまま引き込まれそうになるのだ。  ……一ヶ月、他の奴らのサンドバッグになる。  それは言葉にすれば簡単だが、俺にとっては長い期間になることだろう。その間全校生徒が敵になるわけだから。 「……それに、俺が側にいるから」 「っ、一番ケ瀬……」 「お前のこと助けるし、絶対に守ってやるからな」  握り締められた拳が熱い。こんなこと言ってる場合ではないとわかってても、そんな一番ケ瀬の一言に酷く励まされる自分もいた。  八方塞がりの現状だ、どうせやるしかないのだと腹を括ったほうがましだった。俺は片方の手で一番ケ瀬の掌を包み込んだ。目の前の一番ケ瀬の目が僅かに見開かれる。 「……信じてるからな、一番ケ瀬」  お前がいなかったらきっと俺は決心することもできなかっただろう。  そして、俺と一番ケ瀬の地獄の一ヶ月が始まることになった。

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