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第2話 天使か悪魔②

ケヴィンは肘をついてどうにか身を起こし、ペットボトルから水を飲んだ。喉も乾いていたしボトルを握る手も乾いていた。右手の親指には直ったばかりらしいささくれの痕が残っていた。爪の表面が白く乾いている。  水を二口飲む暇もなく、部屋のドアをスライドさせて白衣の医者と看護師がそれぞれ入ってきた。 「カタギリさん」頭に髪の毛ひとつない細長い医師が落ち着いた声で言った。縁の太い眼鏡をかけている。「こんにちは、初めまして。私は外科のアクター医師です」そう言ってにこやかに握手を求めた。  ケヴィンはペットボトルを握っていない方の手で医師の手を握った。互いに骨張って乾いた握手だった。 「目覚めたばかりで混乱されているでしょうが、少しバイタルを確認させてください」 「もう一度横になって」医師の後ろから看護師が歩み出る。ケヴィンの手からそっとペットボトルを取り上げた。  ケヴィンが訳もわからずブルネットの看護師にベッドへ押し倒されている間に、医師はケヴィンの瞼をひっくり返したり、枕元の器材をいくつか弄り回していた。  ぼんやりとなされるがままにしていると、ケヴィンはいつまでたっても自分の両腕をベッドへ押し付けた看護師が離れないことに気づいた。視線を向けると、看護師は瞬きと区別するのが難しそうなほど素早くウインクをした。 「ごめんなさいね、もう少しじっとして」 「……全然構いませんよ」  囁くようにひそひそとそんなことを言い交わす。だがすぐに医師が仕事を終えたらしく、看護師ははにかみ笑顔を浮かべたまま離れていった。 「身体的な不調はなさそうですね、明日改めて検査を受けていただきますが。ところで」医師は看護師が窓際に置いていたバインダーを拾い上げた。「何故自分が此処にいるか、覚えていますか?」 「此処は病院で間違いない?」 「セントラル総合病院です、貴方は二日ほど前に車に轢かれて救急車で当院へ運ばれてきました」 「車に轢かれた?」ケヴィンは首を振った。「覚えていない」 「事故の衝撃で覚えていないことはよくあります。ただ問題は、そのショックの影響が致命的なものかどうかです」  医師は落ち着き払って、その溢れんばかりの落ち着きを分け与えるように口元で弧を描いた。 「まず、ご自身のお名前は覚えてらっしゃいますよね? ケヴィン・カタギリさん」 「ああ」 「お仕事は?」 「仕事は」ケヴィンは唾液を飲んだ。「民間の警備会社だ、ISCの会社員」 「素晴らしい」医師はにっこりと笑った。「国際的な警備会社です。666(スリーシックス)は娘もその友達も大ファンでね、その専任ボディガードとこんな形でもお会いできるのは光栄です」 「スリーシックス?」  ケヴィンの怪訝そうな声に医師は初めて笑顔を固まらせた。そしてバインダーの表面に滑らせていたペンを思い出したようにノックする。先端から突き出た黒いインクまみれの小さなボールが素早く何かを書きつけたようだった。 「“6“が三つ並んでスリーシックス、ご存知でない?」 「暗号か?」 「そちらの男性がどなたかも、ご存知ない?」  医師がペンを離し、揃えた指先で丁重にケヴィンの視線を促す。その手つきの先にいるのは天使男だった。  天使男はケヴィンを見ていなかった。ただ医師たちとはベッドを挟んで逆側に立ち、一点を見つめている——どこか居づらそうにしている看護師を見ているようだった。  その目がぐるりと動いてケヴィンを見た。白のカラーコンタクトでもしているのか、そこだけ際立った灰色の瞳孔に見据えられると、いよいよ天使というより死人を迎えにきた死神にも思われる。ともかく人間離れしたような印象を全身から放っている。 「存じ上げないな」  素直にケヴィンがそう言うと、医師はやや大袈裟に肩をすくめた。「成程」とちっとも納得してなさそうな声で言った。「まあ、その辺りは私よりもSNSや雑誌に聞いた方が早いでしょう、落ち着いたらリハビリがてら売店へでも行くといいかも知れません。それが億劫なら……」  医師はちらっと天使男のほうを見たが、小さく咳払いをしてその素振りに意味は無かったことにした。

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