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第32話 再会
「偶然だねー! こんな所で会うなんて」
そう言ってこちらにやってきた女性は、頬をポリポリ掻きながら笑う。掻いたところから血が滲んで、指に血が付いたことに気付いた彼女は、指を擦り合わせて拭いていた。
「……」
蓮香はまだ固まっていて、言葉を発せられないようだ。代わりに祐輔は「どちらさまですか?」と尋ねてみる。
そこで初めて祐輔に気付いたらしい彼女は、祐輔に向かってニコリと笑った。しかし蓮香から聞いていた通り、お世辞にも美人とは言えない外見で化粧っ気もなく、それでいてガーリーな服を着ていたので、凄く違和感がある。
「蓮香のお友達? 初めましてー、芳川っていいますー」
軽く会釈した芳川は、目が笑っていなかった。品定めされているような視線に、祐輔の脳内で関わるなと警告音が鳴る。やばい、何とかして離れないと。
「ねぇ蓮香、久しぶり親友に合ったってゆーのに、だんまりなの?」
「……誰が親友だ」
蓮香から、聞いたこともないほど低い声がした。それでもめげない芳川は、蓮香に話しかけている。本当にひとの話を聞かないひとなんだな、と祐輔は感じ、無視しようとしていた。
蓮香の手が白くなるほど強く握られ、細かく震えているのが見える。怖いのか、嫌悪なのか、その両方か。いずれにせよ、やはりどうにかしてコイツから離れないといけない。
「やだこわーい。蓮香怒ってる? 私は結婚式でされたこと、怒ってないよ?」
自分のしたことを棚に上げて、だからまた前みたいに遊ぼうよ、と言う芳川の発言に、コイツはまた、蓮香に粘着するつもりだと感じた。祐輔は蓮香の腕を取る。
「すみません。俺ら急いでるんで」
そう言って歩こうとすると、芳川は祐輔の反対側の手を取った。なんの躊躇いもなく初対面の異性の手を握るなんて、と驚いて彼女を見ると、頬を膨らませ口を尖らせている。
「ちょっと、久々の再会なのにお喋りもさせてくれないんですかー?」
「手を離せ芳川。彼はお前になびくようなひとじゃない」
蓮香は低い声のまま、語気を強めた。彼の本気を感じ取ったのか、芳川はパッと手を離す。
「ごめんなさーい。私、人との距離が近いみたいで……」
誤解されやすいんですぅ、と腰をくねらせる芳川。わざとらしいにも程がある、と祐輔は呆れた。
「大体お前、旦那さんいるだろ。誤解されるようなことしてていいのか」
「旦那……? ああ、いたねぇそんなひと!」
ケラケラ笑う芳川に、祐輔は不快感を露にしてしまった。どうして堂々と他人を邪魔することができるのだろう、と不思議でならない。
「行きましょう」
蓮香が踵を返して歩き出す。祐輔も慌てて付いていくと、芳川も当たり前のように付いてきた。
「アイツさぁ、私の誕生日にチェーン店のイタリアンレストラン連れてったんだよ? しかも土砂降りの雨なのに、車まで走らされて。パパなら店の前に着けてくれるのに。ありえなくない?」
よっぽどの強メンタルなのか、無視して歩く祐輔たちに向かって喋り始める芳川。これは反応したら負けだと思い、あてのないままズンズンと歩いていく。
そして祐輔はなるほどと思う。多分彼女は離婚したか、それに近い状態なのだろう。だから蓮香にまとわりつくのか、と。
「ねぇ蓮香、私は気にしてないってゆってるのに、そっちがいつまでも怒ってるって、心狭くない? お互い水に流そうよ」
そんでさ、またゲームの話しよ、と彼女は言っている。祐輔は全て知っているので呆れるばかりだ。それは蓮香も思ったらしい、振り返りもせずに言う。
「こっちの彼は全部知ってるからな、お前の所業」
「何? 彼女が死んだのそんなにショックだったの? ソレを選んだあんたの自業自得じゃん」
蓮香の足が止まった。祐輔もさすがに今の発言は有り得ないと思ったけれど、これは蓮香の気を引くためのもの、相手にしたら負けだ。
「蓮香、もう相手にするな」
本当は、祐輔も今すぐ芳川の頬を引っ叩きたい。蓮香はそれ以上にムカついているだろう。けれどそれをしてしまったら、終わりだ。
「大体、そいつも何? 私が名乗ってるのに名前も言わないなんて。蓮香、友達選んだ方がいーよ」
「もういい蓮香、行く……」
「俺は!」
祐輔が蓮香の腕を掴んだその時、蓮香は振り絞るような声を上げた。その瞬間、芳川がしてやったり、というような顔をしたのだ。蓮香の真面目、真っ直ぐ、単純という性格が、裏目に出てしまった瞬間だった。
「俺は自分の意思で美嘉と結婚した! このひとといるのも自分の意思だ! お前とはもう付き合いたくない!!」
はあはあと、蓮香の荒い呼吸が聞こえる。それでも周りの人々は無関心で、通り過ぎていくばかりだ。
「……ひどい……」
弱々しい声に、祐輔はハッとする。たった今、勝利を確信したような顔をしたのに、次に見た時にはさめざめと泣いているのだ。関われば関わるほど術中に嵌る、と祐輔は蓮香を促す。
「蓮香、放っておけ。コイツは……」
「私は! 失礼なコイツのこと許してあげる寛大さがあるのに、蓮香はいつまでも過去のことを引きずってるんだね! 狭くて小さい男!」
「美嘉は! あの時お前の結婚式に出席しなかったら……最期を看取れた! もう俺の周りを引っ掻き回さないでくれ!」
「蓮香! もういい行くぞ!」
祐輔は蓮香の腕を引っ張った。けれど彼は熱くなってしまったのか、祐輔の手を振りほどく。
「いつも俺と彼女の邪魔して……ひとの幸せを願えないのはどっちだ!?」
「ひどい……酷いよ! 女の子が困ってたら助けるのが当たり前でしょ!?」
「してもらうことばっかで、一度でもお前は俺の幸せを願ったのかよ!?」
「まだ若いうちでよかったじゃない! 蓮香ならすぐにいいひと見つかるよ? どうしてそんなに怒るの!?」
泣きながらそう言う芳川に、祐輔は気持ち悪さしか覚えなかった。それが本当に蓮香の幸せを願って言っているのだとしたら、見当違いにも程がある。
「俺は美嘉がよかったんだ! 美嘉しかいないと……思ってたのに……っ」
蓮香の目から涙が零れた。祐輔は宥めるように背中を撫でると、彼は雑に袖で涙を拭う。
祐輔は腹に力を込た。
もうこの女には、これ以上関わってはいけない。
「芳川さんさ……」
ぐす、と鼻を啜る芳川を、祐輔は感情を乗せずに見る。
「あなた、ひとを本気で好きになったことないでしょう?」
「は? バカにしないでよ。元旦那には愛されて結婚だってしたし、私はいつでも本気だけど?」
本気で泣いているのか、それとも自由に涙を流せるのかは知らないけれど、彼女は袖で涙を拭きながら言う。
どこまでも自分勝手だなと祐輔は思った。蓮香の不幸は蓮香のせいで、自分の不幸は他人のせい。責められると矛先を変えて他人を攻撃し、自分は許してあげるからと上から目線。そんな人間を、好きになるひとなんていない。
「そうですか? 蓮香のことを親友と言いながら、俺からみたら、嫌がらせしているようにしか見えないんですけど」
それって蓮香のことをどうでもいいからできることですよね、と祐輔は訴える。
悲しいかなこの日本という国は、どんなに人でなしでも、どんなに他人に迷惑を掛けても、それなりに生きていけるのだ。芳川は、その部類に入る。自己愛だけは異様に高く、他人を蹴落とすことで喜びを感じるひととは、付き合う価値もない。笹川の方が、まだかわいく見える。
「ひどい……私だって今大変なの! ちょっとは話を聞いて慰めてくれたっていいじゃん!」
「ほら、そうやって話を変える。真面目で優しい蓮香はあなたの話をまともに聞いてしまっていたけど、俺はそうじゃないですよ」
祐輔の言葉に、今度こそ芳川は言葉が出なくなったようだ。苦し紛れに「覚えてろよ!」と叫ぶ。どうにもならなくなると汚い言葉で罵るのは、癇癪を起こした子供と一緒だ。怖くない。
「何を覚えておくのか甚だ疑問ですが、あなたみたいなひとは忘れたくても忘れられませんよ、悪い意味でね。……行くぞ、蓮香」
祐輔は蓮香の背中を押すと、彼は大人しく付いてきた。もう泣いてはいなかったが、泣きそうなのを我慢している顔だ。トラウマをほじくり返されたのだから仕方がない、と彼の頭をポンポンする。
芳川は諦めたのか、もう喚かなかった。これで引けばいいと思ったし、引かなかったらまた追い返すだけだ。
ただ、ああいう輩は初めて出会ったので、どんな手でまた近付いてくるのか読めないけれど。
二人はそのまま、二人きりになれる場所に行き、『休憩』することにした。
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