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第34話 守るもののために
祐輔は芳川を営業部のエリアに案内すると、空いた椅子に彼女を促した。
「は? こんな所で話をしろって言うの?」
私は客だよ? と不機嫌を露わにする彼女。しかしその視界に蓮香を捉えると、急に態度を変える。
「あ! 蓮香! ちょっとぶりー」
芳川は小さく手を振っているが、蓮香は仕事中なので軽く会釈しただけだ。笹川もいて、「何だあの変な女」と堂々とディスっている。けれど、芳川はターゲット以外には興味がないのか、スルーしていた。
営業部には、蓮香と笹川、鶴田に筧もいる。そのほかの面々も、芳川のことを気にしていないフリで仕事をしている。
少し騒ぐかもしれないけどすみません、と祐輔は心の中で謝り、芳川を笑顔で振り返った。
「ええ、ここで。申し訳ありませんが、応接室の準備ができていないので」
芳川の目的は、祐輔と蓮香を別れさせることだ。ここで彼女が送った写真のことを彼女が暴露すれば、祐輔はほかの社員から白い目で見られるだろう。だから、観客は多ければ多い方がいい。嘘も方便だ、こちらは仕方なくここで話をした、というスタンスの方が、祐輔にとって有利になる。
芳川は大勢の前で暴露すればいいと気付いたのだろう、嫌な笑みを浮かべると、しょうがないなぁ、と椅子に座った。
「桃澤、この方は……?」
社員でもない部外者が堂々と社内にいるので、さすがに筧もそばに来る。
「ああ、数年前から蓮香がお世話になっている、『お客様』ですよ」
「そう! 学生時代からの親友なんですー。結婚式にも出席してもらって……ね? 蓮香」
「はあ……そうなのか? 蓮香」
筧の質問に、蓮香は曖昧に答えた。すると筧は祐輔を見る。祐輔は軽く頷くと、彼は芳川にご要件を伺います、と聞いた。
「桃澤課長さんに、答えを聞きに来たんです」
ふふん、とでも聞こえそうな彼女の笑みに、筧は困惑したようだ。それもそうだろう、彼は一切事情を知らないのだから。
「……と言いますと?」
祐輔は促す。もちろんわざとだ。
すると芳川は分かりやすくイライラした表情で、だからぁ、と呟いた。
「桃澤課長さん、アンタ頭悪いの?」
「ひとのプライベートな写真を送り付けられて、よく撮れてるでしょ、としか言われてませんから」
フロアの雰囲気がザワついた。隣にいた筧も同様で、それはどういうことですか、と芳川に聞いている。
みんな大人しく聞いていてくれ、祐輔は心の中で願った。ハッキリとした口撃をしてしまえば、彼女はまた話をすり替えて「ひどい」と|詰《なじ》るだろうから。
芳川は分かりやすく呆れたようにため息をつき、椅子から立ち上がる。
「ここまで頭の悪いひとだとは思わなかった。いい、ハッキリ言ってあげる」
そう言って彼女は周りを見渡す。注目されていることを確認すると、芳川は自信を取り戻したようだ、ニヤリと笑った。
「桃澤課長さんはホモで、蓮香と付き合ってるって」
フロアがさらにザワつく。あの桃澤課長が、と言う声が聞こえ、祐輔は拳を握った。よし、会話はみんなが聞いている。これでアウティングの事実は証明できる、と。
「早く別れて、蓮香に彼女を作らせてあげて」
今までの自分を棚に上げる芳川に、祐輔は笑みが止まらなかった。しかし、黙って聞いている祐輔ではない。大きく息を吸い込むと、腹に力を込める。
彼女がずっと蓮香に執着していた理由は、何となく予想がついている。けれど、だからと言ってトラウマを植え付けるまでやるのはやり過ぎだ。
「桃澤……それは事実なのか? 場合によっては法的に訴えることもできるぞ?」
筧がそう呟いた。それを聞いた芳川は、待ってましたとばかりに、話に飛びつく。
「こんなホモがいたら会社としても迷惑だもんね! あなたは話が分かるみたいだね」
クスクスと笑う芳川に、筧は表情を変えずに祐輔の答えを待っていた。
大丈夫。今まで自分が培ってきた人間関係では、そんな大したダメージはないはず。そう言い聞かせる。
──でも怖い。怖いけど、蓮香をコイツから解放するためだ。
ギュッと拳を握ると、その手が握られた。ハッとして見ると、筧の反対側に蓮香が来ている。真っ直ぐ祐輔を見る眼差しに勇気をもらい、芳川を見た。
「おっしゃる通り、私は蓮香と恋人関係にあります。こんなことがなければ、言うつもりはありませんでした」
あくまで秘密の関係だった、と祐輔はあえて言う。そうでなければ、公にして欲しくない事実を芳川が話してしまった、ということにはならないから。
「認めたね? これでアンタは会社にいられなくなるね、ご愁傷さまっ」
ウキウキと小躍りまでしそうな芳川を、次の瞬間突き落としたのは蓮香だ。
「みなさん、俺はこのひとに学生時代から嫌がらせを受けていて、妻が亡くなった時も邪魔されました」
「……は!? 蓮香アンタ何言って……!」
芳川は蓮香が発言するとは思っていなかったのだろう。しかも大勢の前で自分の所業を暴露され、彼女の自己愛は大きく傷付いたようだ。
「それで女性が苦手になった俺の話を、親身に聞いてくれたのが祐輔さんです」
「蓮香! アンタ私の親友だよねぇ!? 何言ってんの!?」
繋いだ手から、震えが伝わってくる。安心しろ、と祐輔はその手を両手で包んだ。大丈夫、もう芳川の好きにはさせない。
「芳川さん。聞いてるひとはたくさんいます。アポなしで会社に乗り込んで、ひとのプライベートを暴露して業務を中断させています。そんなあなたを、みんなはどう思うでしょうか?」
ゆっくり、穏やかに祐輔は話す。口撃には敏感な彼女は、少しでもそのニュアンスが含まれていると反応し激昂する。だから言い方が肝心だ。
芳川は周りを見渡した。その顔はこちらが意図した通り焦っている。
「……ち、違うの! こんなつもりじゃなかったの! アンタが蓮香と別れたらそれでいいって……!」
「私は別れるつもりはありませんよ」
祐輔はそう言うと、芳川は信じられない、とでも言うように目を見開いた。
「そんな固い絆ごっこ、すぐに飽きるわよ!」
「芳川さん、向こうでお話を聞きましょうか」
筧が促すが、芳川は地団駄を踏んで嫌がった。プライバシー侵害と名誉毀損で訴えられるのがいいか、警察に連行されるのがいいか、と言われて、彼女はイヤ! イヤ! と泣きわめきながら筧に連れていかれる。
「あ、二人は今日はもう、有休取って帰りなさい。明日、ゆっくり話を聞く」
「嫌! あんたたち、こんなことして……! パパにゆってこの会社潰してやるから! 嫌、いやああああ!」
芳川の泣き声が響く中、祐輔は筧に頷いて、蓮香と共にすぐその足で会社を後にした。
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