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15 運命の糸

 知り合いに魔法使いがいないため、気軽に相談できる人が居なくて困っているという悩みをレノアが口にした時、ミランの頭に浮かんだのは酒屋の店主だった。  紹介する前に店主に話を通すため、ミアの状況を説明すると、店主は「勿論構わない」と胸をどんと叩いた。 「その子は光魔法持ちだったか。俺は火だけど、魔法との向き合い方とか進路についての話なら聞けるよ。良かったら今度連れて来なよ」 「助かります」  今まで知らなかったのだが、魔法の素質があるとわかったからと言って、勉強しなければ魔法使いと呼べるほどの使い手にはなれないらしい。  例えば魔法具の核を作れるような人は、一定の魔法の勉強をしている人だという。店主も例に漏れず、専門的な学校に行っていたらしかった。 「実は俺、騎士だったんだ」 「そうなんですか!?」  仕込みの野菜を切る店主は、手を止めて遠くを眺めた。昔の自分がそこに居て、今なお立っているといいたげなそぶりに見えた。 「……と、いっても準騎士だけどよ。騎士学校に通ってたから、魔法の勉強はそこでだな」 「騎士学校って王都の? 確か優秀じゃなきゃ入れないですよね?」 「当時は街ごとの推薦枠があったんだ。街の子どもで一番魔力器官が発達する見込みがある奴は、無償で通えた」 「でも騎士は続けなかったんですね」 「そう、なんだか向いてねえと思っちまってな。魔法の勉強は嫌いじゃなかったけど、それで身を立てていこうってほどでもなかったし、俺は切った張ったが苦手で。同じ切るなら食材切ってたほうが好きだ」  と、店主は自らの手が止まっていたことに気が付いて、慌てて手を動かした。  包丁の位置を変えず、食材をどんどん滑らせるように切っていくさまは見事だ。向いているとはこういうことを言うのだろう。  さらに店主は詳しく教えてくれた。この国で騎士になりたければ、騎士学校を卒業するか、十五の年に入団試験を受けて受かるかのどちらかだと。   「学校を出てる方が役持ちには選ばれやすいんだ。ただ、今は魔法の強さのほうが優先されるらしいって聞いてる。魔法を使える人は少しずつ増えてるらしいから、その影響だろう」 「そうすると、騎士学校に入りたい人って少なくなってそうですね」 「いや、最近は騎士志望じゃなくても魔法適正があれば入れるらしいぜ。ミアって子がどれだけかは知らねえけど、医者に太鼓判押されるくらいだろ? もしかしたらその道もあるかもしれないな」  女性騎士は数こそ少ないが、王都を中心に少しずつ増えているのだそうだ。ミアが将来騎士になる、そんな可能性もあるというのがなんだか信じられない。  もっとも騎士じゃなくても、魔石の作成とか、魔法具を作る技師とか、魔法に関わる職は他にもある。自分には関係ないことだと知りもしなかったが、随分と魔法は世界に広まっていたらしかった。  ミアと店主を引き合わせた翌日、朝から店番をしていたミランは、扉を押し開けたのがミアと知ると、読んでいた本を閉じて出迎えた。 「おはよう、ミラン! ミアよ!」 「おはよう。今日は一人で来たの?」 「うん、ママがミランのところならいいって」  にこっと笑う彼女の髪は、毛糸でできたリボンの髪飾りで結ってあった。マフラーはまずは髪飾りに姿をかえたようだ。 「似合ってるね、小さな魔法使いさん」 「えへへ、いいでしょ。ありがとうね、ミラン!」  ミアは今は火を灯していない暖炉の横の椅子にちょこんと座った。 「あしたから騎士団にいくことになったの。魔法のおべんきょうをするんだって」 「こんなに小さいうちから?」 「うん。なんか、ミア、力がつよいんだって。酒場のおじちゃんもびっくりしてた」  医師よりも魔法のことは詳しい彼が言うにはそういうことなのだろう。店主はすぐに騎士団に連絡し、ミアが勉強のために出向することになったというわけだ。  店主は騎士でこそないが、魔法の学位は持っている。その学位によって、彼女を推薦したという形らしかった。 「魔法をつかってあげないと、ミアはまたお熱がでたり、からだが痛くなったりするらしいの」 「そうなんだ……それじゃあたくさん勉強しなきゃね」 「うん! アデル兄にも会えるし、楽しみなのよ!」  ミランは笑顔を返したつもりだったが、ミアの表情は曇った。母親が忙しいと嘆いている時ぶりにそんな顔を見た気がする。 「ミラン、アデル兄とけんかしたの?」 「そんなことないよ」 「……そう? でもなんか……うーん……変よ」  言葉を探そうとして、小さい子どもの語彙力では難しかったらしい。もにょもにょと口を開いては閉じてして、結局出たのはその言葉だった。 「アデル兄、ここにきてる?」 「最近は来てないかな。ほら、もう用事がなくなったって言ったろ?」 「いってたけど……ミア、お菓子のありがとうをきいてから会ってないの。ミランも会ってないの?」 「……うん」  ミアは唇を尖らせた。 「つまんない。もっといっしょにあそんでほしいのに」 「アデル様も忙しいんだよ。それよりミア、今日はけん玉は?」 「ここにあるわよ! はい!」  肩にかけていたポシェットをよく見ると、それも毛糸で出来ていた。レノアは相当考えて糸を割り振っていることがよくわかる。  ミアはそこからけん玉を取り出してひょいと構えた。もう危なげない動作で、時が経つ早さを実感する。 「あした、なにをするのかしら。痛くないかな」 「体に傷がつくようなことはしないんじゃないかな?」  楽しみという割に心配ではあるらしい。  そんな話をしていると、奥からミアの声をききつけた母が顔を出した。 「ミアちゃんおはよう。おやつ食べるかい?」 「おばさんおはよう! ミア、さっきごはんを食べたからおなかいっぱいなの」 「そりゃあ残念だよ。お腹が減ったらいつでも言うんだよ」 「うん、ありがとう!」  先日の熱もすっかり引いて、ミアは元気そうだ。ミランはおもむろにミアの頭をぽんぽんと撫でる。 「なあに?」 「いや。……明日はアデル様によろしくね」 「うんっ」  そうしているうちに、店の扉が開く。来客に、ミランは出迎えの声をかけるのだった。   **  マルティンの野菜がいくつか見切り品になっていたのと、ちょうど切れたストックの備品を買いすぎて持ちきれなくなったレノアのため、ミランは一緒に荷物を運んでいた。ミランは父に半ば無理やりおいだされたため、レノアは恐縮しきりである。 「ミアのことも、本当にありがとうございました。最近、毎日楽しそうに騎士団の話をしてくれるんですよ」 「それはよかった。もう熱が出ないといいですよね」 「ええ。……今後、ミアの魔力器官は成長に伴って少しずつ大きくなるんだそうです。今は魔力器官が小さくて、そこに貯められる量が少ないってことみたい」 「医者の先生が言っていたみたいに、他の魔法具で打ち消したり、大きくなるまでは定期的に使う必要があるってことですよね」 「そういうことですね。いまはミアのおかげで夜の明かりがいらないんです。光魔法ってすごく便利なんですね、驚いちゃいました」  レノアも一般家庭と変わらず、高価な魔法具は使ったことがないのだろう。けれど最近は、ミアの練習のため照明の魔石を借りることができたという。  ミランも知らなかったが、魔法の練習をするはじめの段階として、魔石の力を借りて魔法を発動する。魔石は属性ごとの魔素がいっぱいに埋められた石だから、魔法を使うしるべになるということだ。 「でもすごいですね、まだあんなに小さいのに魔法を使えちゃうなんて。ミアは天才かもしれませんね」  ふいにレノアは、「少し休みませんか」と、昼間は子どもでいっぱいになる公園のベンチを指さした。  分担していても荷物の重量はそれなりにある。ミランは断らず、並んでそれに座った。  公園には小さい噴水があった。その水がさらさらと静かな音を立てている。  春とはいえ、まだ夜は肌寒い。涼やかな音がよりいっそう温度の冷えを知らせてくるようだ。  あまりいては今度はレノアが風邪をひいてしまいそうだ。しかし指摘するために口を開こうとしたミランより、レノアのほうが早かった。 「別れた夫が魔法使いでした」  空気を揺らす呟き。  ミランは色のない表情をしているレノアの横顔を見つめた。 「彼とは幼馴染でした。小さいころは兄妹みたいに仲が良かったのに、魔法が使えるってわかってからは、どんどん変わってしまいました。彼の苛烈さに耐えられず、私の周りから人がいなくなるのはそう時間はいりませんでした。断り切れずに結婚して、ミアを授かってから……彼は、私をミアに取られたって怒るようになりました」  文章を読み上げるみたいに機械的に語る様はいっそ痛々しいといえる。  相槌も打てないでいるミランに、レノアは「怖いんです」と語った。 「ミアには言えないけど、私は彼のせいで魔法が好きじゃないんです。あの子が魔法使いになりたいって言うたびに、本当はずっと苦しかった。魔法のことはなるべく聞かないように避けてきたのに、ミアに必要なら私も勉強するけど、でも……あの子が変わってしまうんじゃないかって、それだけが怖くてたまりません」 「……」 「私、実はこの街に逃げてきたんです。……私が留守のすきに、彼が魔法でミアに水を浴びせて、冬の外に放り出したことがあって……。もう少し遅かったら、私はあの子を失っていました。それ以来、あの子を守らなきゃ、何とかしなきゃって……」  ミアはそのことを覚えているのだろうか。わからないけれど、父親の話を一度も聞いたことがないのは確かだ。  そしてレノアの苦痛はどれだけだっただろう。腹を痛めて産んだ子を、父親が殺しかけるなんて。  故意かどうかよりも、そんなことができるその人の神経は、まともなものだとは思えない。  レノアは言葉を口にするたび傷ついているみたいだった。この話がミアに聞こえてしまうんじゃないか、怯えているように、囁くように声を漏らした。 「それなのに……私にはあの子しかいないのに……あの子が魔法使いになってからも、私に、あの子が守れるかがわかりません……私は見守ることしかできないんじゃないかって……」 「レノアさん……」  彼女の瞳からは、ついに涙が零れていた。 「ごめんなさい、こんな話をするつもりじゃなかったのに……」  ポケットからハンカチを取り出して、目元をぐっと抑えている。息をつめて吐き出す動作が、重苦しくこの場に横たわるようだ。 「いえ、俺こそ……軽々しく天才なんて言ってしまって」 「ミランさんは悪くないです。……でも、私、あなたに親近感を感じてしまって」 「え?」  ミランは思わず顔を上げた。兎みたいな赤い目と目が合ってしまったと思うが、レノアは目を細く、笑わせるようにした。 「……魔法、かけられてたのを見つけたんですよね? 病院で」 「ああ……」  「私も夫に縛られてたから。……でも、私みたいに一方的じゃないですよね。相手は? 別れちゃったんですか?」 「……いえ、ふられたんです。守れないから別れようって言われちゃいました」 「まあ……。魔法使いってみんな自分中心なのかしら?」  恨みがましいレノアを見て、ミランは少し表情を緩めた。 「なまじ力があるぶん、自分がやらなきゃって気負っちゃうんですかね。俺は守ってほしいなんて言ってないし、レノアさんもそうですよね」 「ええ! 守ってもらわなくたって、自分のことは自分で守るわよ。……あ、でも」  レノアはハンカチを握りしめていた手の力を抜いた。 「そういえば、彼が変わったのって……私が襲われてからだったかしら。私の実家って山奥で、熊が出るんですよ」 「すごいところに住んでたんですね……?」 「うふふ。でもそうだったわ、私はそれで怪我をして……二度と歩けないかもって言われたのを応急処置したのが彼だった」 「……元旦那さんは、それで後悔したのかもしれないですけど……でも、だからといってミアを放り出していいことにはなりませんよ!」 「うん、そうよね。どれだけ謝られても、脅されても。私はやっぱり彼のところには帰らない。……私は彼に守られたいんじゃなくて、ミアを守りたいんだわ。いつかあの子が、私の力なんか必要ないって言う時までは」  言い終わると、彼女はすっくと立ちあがった。それからハンカチをしまうと、ミランに向かって深々と頭を下げる。 「突然ごめんなさい、泣いてしまって。それに重たい話まで」 「気にしないでください! むしろ聞けてよかったです。俺もやっぱり、ふられたことに納得してないので」 「望みはあるの?」 「……どうですかね。向こうが頑固で。……でも、俺も頑固なので」 「じゃあ大丈夫よ。こんなにいい人をふりきるなんて、その人、できないわ」  いつの間にか彼女の口調は砕けていた。ミランはやっと、レノアと親しくなれたように感じていた。 「いい人ではないですけど……ありがとうございます」  照れて首の後ろを掻いた、その時だった。 「ママー!」  街灯が照らす公園に、小さく駆けてくる影があった。ミアだ。  レノアは飛びついてきたミアを受け止めると、しゃがんで「めっ」と凄んだ。 「危ないから夜は走っちゃいやだって言ったでしょ。ミアが転んで怪我したら、ママが泣いちゃうのよ」 「ごめんなさい……」 「でもママに会えてうれしかったのね、ありがと」  ミアは弾けるような笑顔でレノアにぎゅうとしがみ付いてから、傍らのミランの姿を見つけるとあっと声を上げた。 「ミランだ! どうしたの? ミアのおうちにあそびにきたの?」 「いや、今はレノアさんを送ってきたところだよ。ミアは?」 「アデル兄に送ってもらったの! アデル兄ーっ」  大きく手を振ったミアに、アデルはさっと手を上げると踵を返した。  騎士団の魔法の勉強を終え、送ってもらったのだろう。  ミランは突然の出来事に驚いたが、もう迷わなかった。 「レノアさん! 最後まで送っていけずすみません。でも俺……行ってきます!」 「えっ? ……あっ、うん。こっちは気にしないで、行ってらっしゃい!」  決意の視線を受け取ってくれたようで、レノアも真剣な顔で頷いてくれた。  意味がわからないでいるミアに「お兄ちゃんは今からお話し合いにいくのよ」と言い聞かせているのが聞こえた。 「おはなし? なんの?」 「うーん、ミアにはまだちょっと早いかしらね」 「なんで?」 「ミアもそのうち誰かを好きになったらわかるわ」 「え? ミア、ママのこと好きだよ? ミランもだし、アデル兄も好きでしょ。あとは……」 「ふふ。ママもミアのこと……だーいすきよ」

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