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第3話 ゴーストライターの依頼

「ゴーストライターって、まさか僕があなたの代わりに食べて記事を書くってことですか?」 「そうだ」  そんなの無理に決まってると夕希は焦った。 「あ、あのですね。いくら僕が趣味で食レポブログを書いてると言ってもとてもじゃないですけど鷲尾さんの代わりなんてできませんよ!」 「君がシャワーを浴びてる間にそのブログを読ませてもらった」 「え、読んでくれたんですか!?」  夕希はそれを聞いて急にテンションが上がった。 ――あの美食コラムニストが僕の記事を読んでくれた? しかもその上でゴーストライターを頼んでくれたってことは……もしかして才能が認められた――?  僕が「どうでしたか?」と前のめりになって感想を尋ねると彼は長い脚を組み直した。 「酷い記事だった」 「えっ?」  夕希は頭が真っ白になった。数秒後に言葉の意味を理解した後も、聞き間違いかと思ったくらいだ。 「実に酷い内容だ。しかし、興味深い部分もあった」 「ひ、ひどい……ですか……」  冷水を浴びせられたかのように気持ちがすっと引いていく。食レポの出来が良かったからゴーストライターの依頼をしてもらえたわけではないらしい。がっかりしてうなだれる夕希に隼一が続けて言う。 「選ぶ店も支離滅裂だし、文章もイマイチだしね。だが、香りを表現している部分は面白かったよ。ああやって匂いをはっきり嗅ぎ分けられるってことなのか?」 ――支離滅裂、文章イマイチ……ですよね。うん、わかってる……。 「聞いてるのか? なぁ、匂いだよ。君は匂いがあんなに個別に嗅ぎ分けられるの?」 「あ、はい。僕、鼻は結構敏感なんです」 「なるほど。いいね」  隼一はこちらを真っ直ぐ見つめた。彼の瞳は光によってブラウンにもグリーンにも見える不思議な色をしていた。どんな酷評をしてもこの人が人気コラムニストでいられるのはこの綺麗な目のせい? なんて今はそんなことを考えている場合じゃない。 「君がもう二度とあんな記事を書くことがないように今後は俺が指導する」 「はい……?」 ――どういうこと? 「すぐに俺の替え玉をやってくれとは言わない。君は美食コラムニストを目指してるんだろう? 今の君は確かに未熟だけど、筋は良い。味と香りをきちんと感じ取っている」  彼は立ち上がった。 「君も知っての通り俺は世界中の美味いものを食べることを生きがいにしてきた。そんな俺が嗅覚を失って、人生最大の楽しみが無くなった」  普通の人が言えば大袈裟だと笑い飛ばすところだけど、美食評論家の彼が言うなら納得だ。 「すぐに戻るだろうと思ったが病院へ行っても治らずもう二ヶ月になる。だから協力してくれないか。君に美味しいものをなんでも食べさせてあげるから。その味を君が俺に伝えるんだ。俺は、君が体験する匂いを言葉によって味わう。君の感覚を俺が追体験するんだ」 「言葉で味わう……?」 「ああ。俺のサポートをしてもらう代わりに、今まで得た知識やノウハウを君に託したい。どうだ?」  彼の言いたいことはなんとなくわかったけど――。 「でもコラムを書いたり美味しいものを味わったりするのが上手な人はもっと他にいますよね」 「いや、だめだ。俺は君の匂いだけはわかる。一緒にやるなら君がいいんだ」  真顔で見つめられてどきっとする。 「ずっとなんの匂いもしない生活をしていたとき、まるで眠りから覚めるみたいにしてこの鼻が君の匂いを感じ取ったんだ」  彼がこんなにこだわるのは、夕希がオメガでその匂いが気に入ったからということだろうか。あのとき夕希も彼の香りに惹かれて無意識のうちに名刺を手にしていた。普段の自分なら、自らアルファに近づいたりしないのに。 「俺は君以外にこの話をする気はない」

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