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第14話 バーにて

 それから金曜日になると隼一の車で料理店に連れられて一緒に食事をするようになった。その都度写真を撮り、食べ、匂いや味を隼一に説明する。  相変わらず彼の嗅覚は戻っておらず、夕希の拙い説明に耳を傾けて彼は頷きながら食事をしていた。そしてその後、夕希は彼の自宅に泊まり込み文章を書いて添削してもらう。  この日は一流のフランス料理店に連れて行かれて冷や汗をかきながら食事をした。その店に行くのは二度目だったけど、未だに高級店の雰囲気には慣れることがない。  その後は彼のお気に入りのバーでグラスを傾ける。ホテルの高層階にある店の窓からは東京駅の線路を見下ろす夜景が綺麗に見えていた。常に新幹線や在来線が行き交っているのが面白くて、夕希は童心に帰ったように目が離せなかった。  それほど広くない店内はほとんど満席で、金曜の夜を過ごす大人達が静かに酒を飲んでいる。  何杯目かのカクテルが出てきたとき、夕希が飲む前にいちいちスマホで撮影しているのを見かねて彼が尋ねた。 「SNSでバズるのってそんなに重要なの?」 「え、そりゃそうですよ! 知名度が一気に上がりますし」 「ふぅん」  自分から聞いてきたくせに、気のない返事をされて夕希はイラッとした。腹が立つので何気なくグラスに口を付けている彼のことを勝手に撮影してやる。しかし悔しいことに、不意打ちしたのにも関わらず彼の秀麗さは揺るがなかった。バーのスタイリッシュな背景も相まって、雑誌を切り抜いたかのような写真がカメラロールに増えただけだ。  熱心に整えているわけでもないのに艶のあるウェーブがかった黒い髪。パーマをかけているのかと思っていたけど、お母さん譲りの天然のカールだそうだ。混血ゆえの彫りが深い目元に、高い鼻梁。光によってグリーンにも見えるライトブラウンの瞳は、窓から夜景を眺めていた。見れば見るほどため息が出る男ぶりだ。 ――地位、名誉、財産、そして抜群に優れた容姿。どれか一つくらい凡人に分けてほしいよね。 「あーやだやだ。元々なんでも持ってる人は良いですよね~」  彼の視線が窓からこちらに移り、その目が微かに細められる。これが彼の機嫌が良いときの表情だと夕希はもうわかっていた。 「そうひがむなよ。君だってこれからたくさん良い記事を書いて有名になったらいいじゃないか」 「そんなこと言って、僕にそこまで才能が無いのを知ってるくせに」  これまで数週間にわたり彼に記事を見てもらっていて、自分でもあまり上達の手応えが無いのはわかっていた。元々自分は仕事でも怒られてばかりの鈍くさくて使えないオメガなのだ。夕希はいじけた気分でカクテルをあおる。 「おい、すねるなって。君は頑張ってるだろ。あ、それとも甘えてるのか? それなら歓迎だけど」 「はぁ? 誰が甘えてるっていうんですか。アルファだからって偉そうに。オメガはアルファに甘えるだけしか能が無いと思ったら大間違いですよ!」  夕希の言葉に彼は驚いたふりをしてわざとらしくキョロキョロ辺りを見回した。 「なんだって? どこにオメガがいるのかな? 目の前にいる君はベータじゃなかったっけ」 「あっ……! こ、これはもしオメガの人が聞いたら怒りますよって、例え話です」 「ふーん、そうか。夕希、結構酔ってるみたいだね。そろそろ帰ろうか?」 「え! せっかく眺めが良いバーに来たんだからもう少し居たいです」  彼は苦笑して追加のお酒を注文した。何か頼むかと聞かれて「甘いデザートっぽいカクテル」とお願いする。これまで友人や同僚とお酒を飲みに行く時は格好つけてウィスキーなどを頼んでいた。だけどスイーツ好きがバレている隼一相手に取り繕う必要もないので、自分の好きなものばかり飲めてすごく気楽だ。  マティーニを飲みながら隼一が言う。 「君といると飽きないな。匂いがしなくなって、味覚も鈍ったから今後の人生はつまらないものになると思ってた。だけどこうやって冗談を言いながら飲むのは楽しいものだね」 「こんな僕でも隼一さんの気分転換になってるなら何よりです」  彼はビル街の明かりを見下ろした。その光が瞳に反射し、不思議な色合いを見せている。 「俺はオメガがアルファに甘えるだけの存在だなんて思ったことはないよ」 「隼一さん、ですから僕はベータなので」 「ああ、わかってる。例えばの話だ。この世のどこかにいるオメガのね」 「はぁ、どこかのね……」 「アルファなんて、オメガがいなかったら何も出来ないただの威張り屋だろ。オメガに甘えてるのはむしろアルファの方なんじゃないかな」  アルファが自身のことをそんな風に言うのを夕希は初めて聞いた。夕希に協力してほしいから機嫌を取ろうとしているのかもしれない。それでも、アルファである彼からこういうことを聞けたのは貴重だった。  そして夕希はふと思いついたことを提案してみた。 「そうだ、隼一さん。明日は土曜日じゃないですか」 「ああ、そうだね」 「たまにはコラムの勉強会をお休みして、出掛けてもいいですか?」 「え? 君一人で?」 「いいえ、できれば車を出してもらいたいんですけど」 「構わないけど、どこへ行くの?」 「ふふ、お楽しみです。ちょっと用意したいことがあるから、これ飲んだら帰りましょう!」  夕希がどこかへ行きたいなんて珍しいね、と隼一は夕希の突然の提案を楽しんでいるようだった。自分の思いつきがすごくいい考えに感じられて、夕希は珍しく浮かれた気分になった。

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