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第二話 昭和のお隣さん

「……ってなわけで、最低のクリスマスだと思ってたら、結構そんなことなかったんだよ!」  人の集まる社員食堂。その奥では大型テレビが賑やかに昼のワイドショーを映し出している。並べられた机に向かって、社員たちは思い思いに昼休憩を過ごしているようだ。  そんな食堂の隅に、スーツ姿の和真とその話し相手は座っていた。近くにはあまり人がおらず、小声ながら元気に話しても、目の前のひとり以外に聞かれてはいないだろう。  コンビニ弁当を食べる和真の正面に座っている男。彼もまたスーツ姿で、少し長めの前髪に眼鏡、優しい顔立ちはいかにも人柄が良さそうに見える。彼はここに座ってからずっと、和真が一方的に週末の出来事を語るのを、黙って聞いてくれていた。  ようやく話がひと段落したと思ったのだろう。彼は目の前のエスニックな弁当から視線を上げて、和真に小さな声で返した。 「……まあ、和真さんにしてはマシなクリスマスだったんでしょうね」 「なんだよシノ〜、そんな言い方ないじゃない〜」  シノ、と呼ばれた彼は、和真の同僚であり同期である。25歳、保険会社の2年目社員。ようやく仕事も慣れてきたふたりは、出社していれば毎日こうして昼食を共にしていた。  仲が良いのか、と人に聞かれると、どう答えるべきかわからない。が、彼らはわけあって、よく一緒にいる関係だった。  そんなシノが、呆れたように溜息を吐いて続ける。 「最低のクリスマスって言ったって、和真さんのやってきた事が跳ね返ってきただけじゃないですか。自業自得、です」 「ううっ、それはそうだけどぉ……」  クリスマス当日にフラれる、なんて事態になったのは、全て和真の浮気性が原因である。いや、正確には「浮気性」ですらない可能性もあった。そもそも、元恋人と本当に付き合っていたのかさえ怪しいのだから。 「前々から思ってましたけど、その「悪い癖」どうにかならないんですか? そのうち刺されますよ」 「それが無理なんだよなあ〜。なんかひとりでいると寂しくなっちゃって……」  和真もため息まじりに答えた。  休みの日、予定が無いと無性に寂しくなるのだ。特に夜など、じっとしてはいられなくなる。元恋人のリンと休みが合わなかったとき、和真はその寂しさを埋めるために、出会いを求めて男たちが集まるバーへと向かった。そして一夜を過ごす。  もちろん、リンともそのバーで出会ったのだ。和真が誰とでも寝る男だと知っていて、付き合った。だから理解し、許してくれていると思っていたのだが――。  現実は違った、というわけだ。 「……逆にさ、シノは恋人と予定が合わない時、寂しいと思わないわけ?」  和真が問いかけると、シノは少し考える様子を見せた後「どうでしょうね」と呟いた。 「予定が合わないということが無いから、よくわからないですけど」 「えー? どんだけ上手くいってんの、シノのほう……」 「まあ、これ以上無いほど上手くいっているとは思いますけど……」  シノはそう呟いて、弁当のおかずを口に運んだ。  シノは最近、恋人ができたらしい。それも、和真と同じく、同性の、である。  そう、ふたりはお互い、「わかりあって」いた。同期の新卒新入社員としてここに来たその日から、感じていたのだ。相手が同性を愛する者であると。ただ、どちらもお互いと恋愛関係になろうとか、肉体関係になろうとかはしなかった。  和真にとってそれは経験則だ。バイト先や学校のクラスメイトと肉体関係になると、こじれた時に死ぬほどめんどくさいことになる。だから、近しい職場の人間とはそういう関係を作らない。一方のシノといえば、どうやら想い人がいたらしく和真には見向きもしなかった。  とはいえ、ふたりは様々な意味で「仲間」であり。シノの言葉は冷たくそっけないけれど、仲が悪いわけではないからこうして昼食も一緒にとる。  そういえばシノの態度が最近、軟化しているような気がする。それも恋人ができたおかげなのかもしれない。そう思って、和真も試しにリンと恋人になってみたのだけれど、ダメだった。しょせん恋愛の真似事なんか、上手くいくはずがなかったのだ。 「やっぱ俺は毎週違う奴と会う方が気楽かも。そのほうがあとくされないし、色んなこと楽しめるし」  弁当のウィンナーを箸で突きながら呟くと、シノが呆れたように言う。 「あなた、そんなことばかりしていると、本当に好きな人ができたとき困りますよ」 「本当に好きな人? 無い無い! 25年も生きてきて、一度も恋とか愛とかわかんなかったもん。たぶん、俺そういうの無理な奴なんだよ」  実際、近頃はそうして、恋愛感情を持たない人も増えているらしい。だから、自分もその一人なのだろう。  和真はその時、本当にそう思っていた。 「まあ、それならそれでいいんですけど」  もし、誰かを好きになった日が来ても泣きつかないでくださいよ、面倒だから。  シノの言葉に、和真は「当たり前だろ!」と笑った。  定時で上がれるホワイト企業に勤められて、和真はラッキーだと思っている。真っ直ぐ帰っても19時には家に帰れるし、どうしても性欲が抑えられない夜はそのまま繰り出してもなんとかなる。  その日、和真にそんな気は無かった。しかし先日マスターの世話になったはずだから、一言お礼を言う為、馴染みのバーへと足を延ばした。  目指した歓楽街の一角には、「知っている人は知っている」、男同士が集まる通りと、出会いを求める店が並んでいる。この通りに、この店に入った時点で、そういうことなのだと暗黙の了解が発生するような。  そんな店の一つが、和真の馴染みであるバー「レザン・ド・ジョーヌ」だ。  フランス語で「黄色い葡萄」だかなんだかを意味してつけたらしい。ブドウは沢山成るものだとか、人間以外は毒で食べられないだとか、黄色といえば嫉妬の色だとか由来は様々有るようだ。けれど、ここに来る客は大体この店を「ジョー」と呼んでいた。  マスターが譲と書いてジョウと呼ぶ名前なのもある。すると店の名前とマスターの名前がややこしいことになるから、結局みんな彼をマスターとしか呼ばなくなった。  大きな葡萄の描かれた看板の下をくぐり、洒落た扉を開いて店の中に入る。中は薄暗く間接照明が柔らかに男たちを出会わせている。いい雰囲気で、和真は気に入っていた。何より、飯と酒が旨い。  マスターのいるバーカウンターには、先客がいた。 「げっ、リンちゃん……!」  ピンクの髪は薄暗い中でも一層目立った。小柄でかわいい系のリンが、和真の声に振り返る。一瞥したかと思ったら、「ふんっ」と漫画みたいに頬を膨らましてそっぽを向いてしまった。  まだ全然根に持っていそうだ。当たり前か。別れて一週間も経っていないのだから。和真は一気に居心地が悪くなったけれど、恐る恐るカウンターまで進む。 「あ、和真君こんばんは~。こないだは随分呑んでたね、二日酔いにならなかった?」  気の抜けた声でジョーことマスターが話しかけてくる。まだ3、40代のように見える彼は飄々とした人で、良くも悪くも客に対して平等だ。 「あ、お、おかげさまで……その節はご迷惑をおかけしました……」  近くにリンがいるのもあって、小声かつ丁寧に喋ると、マスターはけらけら笑う。 「いいんだよ~、よくあることだし。でも店内でもめ事を起こすのはやめてね~? 仲直りするにしても殴り合うにしても、お外でやってもらえると助かるな」  マスターの言葉にリンを見ると、じとりとこちらを見ている。慌てて首を振って、「お、俺今日は帰ります」と声を裏返し、和真は店から逃げ出した。  正直に言うと、リンと仲直りしようとは思っていない。  一晩の関係はあとくされないのが一番。恋人だって、別れたら友達にだって戻れないものだと思っている。だから、縁を切るつもりだ。リンがあの店に通い続けるなら、残念だけれど和真は他の店で男を探すことになるかもしれない。  溜息混じりに帰宅する。冷え切ったアパートの部屋はしんと静かで、やっぱり寂しくなる。テレビの騒音や、好きな音楽や柔らかな布団などでは満たされない、底知れぬ寂しさ。この部屋にはそれが満ちている。 「……あー。休みまで待たずに誰か探そうかな……」  暖房だけつけて着替えもせず、スマホを見る。連絡先のリストを見ながら、誰か都合のいい相手はいないか考えていると、唐突に玄関のチャイムが鳴った。 「んえ」  インターフォンに向かうと、外を映し出す画面には、寒そうなお隣さんの姿が有った。慌てて玄関を開けると、「あ」と薫が微笑んだ。 「こんばんは、和真君。帰って来てすぐにごめんね」 「あー、いや。よく俺がいるのわかりましたね」 「ほら、ここのアパート、玄関の音だけは結構響くから」  確かに。和真は頷いた。  新しいのに安いこのアパートは、驚くほど防音がしっかりしている。他の住人の生活音はほとんど聞こえないけれど、玄関の締まる音だけは妙に聞こえるのだ。そのせいで、隣人が出入りしたことはわかる。もっとも、和真はこれまでそれを気にしたことはなかったのだけれど。 「それでね、ええと、カレーはいらないかなと思って」 「へ? カレー?」 「うん、作りすぎちゃったから。和真君、食べないかなと思って。ほら、冷凍するとちょっと味が落ちちゃうでしょ? だから、良かったらどうかなって。……あ! もちろんいらないならそれでいいからね」  和真はポカンとした顔をしたまま、しばらく考えて。 「あー……っ、じゃ、ありがたく! いただきます!」  と満面の笑顔で答えた。  タッパーに入ったカレーは鶏肉と野菜がゴロゴロ入っていて、美味しそうだ。電子レンジで温めたそれをさっそく、白ご飯で頂くことにする。  市販のルーで作った、極ありふれた家庭の味。きっと有名なあの会社の中辛だろうな、と思いながらも、和真はそれを美味しく頂いた。他人が作った食事、という事実は代えがたい美味しさのエッセンスだ。少なくとも、和真にとっては。  よく知らない隣人の作ったもの、という気味の悪さは不思議と感じなかった。あんないい人なんだから、きっと悪いことなんて何もしないだろうという確信も有ったし。素直に、何かをもらえるのは嬉しかった。 「……でもなあ。お隣さんに作りすぎたおかずとか、昭和みたいだなあ」  今どきは、ワンルームアパートの隣人など、知らない人でしかない。実際、和真がここに越した時、既に隣には人が(恐らく薫が)住んでいたけれど、挨拶にも行かなかった。隣の人間に興味も無かったし、実際これまで会うことも殆ど無かった、と思う。 「……でも、なんか、いいな、コレ」  カレーを口に放り込みながら、和真は笑顔を浮かべた。  隣の家に友達ができたような気持ちに似ていて、悪い気はしなかった。  

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