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第七話 それぞれの事情
「はぁーーーーー!?」
リンは手に持っていたグラスでも割りそうなほどの甲高い叫び声を上げた。
「和真が!? 薫と!? 付き合ってるぅーーー!?」
「リンちゃん、声が大きいよ~」
マスターがさほど困っていない様子で宥めた。しかし、リンの怒りが収まるはずもない。
なにしろ、薫と和真がふたり揃ってこの店を訪れ、おまけに交際を宣言したというのだから。
「こないだボクと別れたばっかなのに!?」
「まあ、そうだねえ」
「よりによってボクが目を付けてた、薫と!?」
「リンちゃんに見せてもらった写真とそっくりだし、本人だろうねえ」
「信じらんなーーーい! なんなの!? ひどくない!? あんまりだよーっ!」
リンは叫びに叫んで、その鮮やかなピンク色の髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
「えっ? 普通に考えておかしくない? ボクたちが別れたのクリスマスだよ!? 和真なんなの、尻軽、淫乱、セックス狂い!」
「そうだよね~。僕もちょっと驚いたよ。和真君、うちに来なくなってから何が有ったんだろうね? あんまり恋人とかつくるタイプじゃなかったのに」
「そうだよー! だからボクが恋人になってあげたのに! 許せない!」
リンはアニメの登場人物のように「ぷんぷん!」とわざわざ口に出して言い、グラスに入っていたアルコールをかっこむ。そんな状況は、はたから見ていると少々面白いから、他の客もリンとマスターのことを見守っていたりした。
「リンちゃんと別れて違う男と引っ付いてるから?」
「それもあるけど、問題の本質はソコじゃないの。和真ったら、ボクと付き合ってる時も他の男と寝てたんだよ? 薫と付き合っても同じことするに決まってるよ!」
「なるほど、確かに」
「だったら薫がかわいそう! あのね、薫って本当にいい人なんだから。そんな人を騙して泣かせるんだったら、絶対許さないんだからね!」
「そっちなんだ……薫さんと取られたのはいいの?」
マスターが尋ねると、リンは「よくないよ」と即答して、むすりとした顔をする。
「薫はボクが落とす予定だったんだもん、そりゃヤだよ。てか、まだ取られたって決まったわけじゃないし! ホントのこと知ったら、薫だって考え直すかもでしょ。それにボク、別に………………」
「……別に?」
リンが言葉の途中で考え込むように止まってしまった。マスターが静かに続きを促したけれど、リンは「ううん、なんでもなーい」とはぐらかし、スマホを取り出した。
「いいもん、薫と直接話して確かめてやる。美容室に予約入れちゃお」
「うわーお、修羅場が始まっちゃうね、コレは大変だ~」
少しも大変そうにはない様子でマスターは呟き、スマホを操作するリンを見守っていた。
「いらっしゃい、リンちゃん。今回は早いのね~」
ショートヘアは崩れるのが早い。月に一度は美容室を訪れているリンだったが、この日は2週間でやって来た事になる。
店長の深雪が椅子へ案内してくれた。きょろ、と美容室を見渡しても、薫の姿はない。
薫に初めて担当してもらった日。リンはこれからも指名していいか尋ねた。その時に薫から、臨時の休暇を取ることがあるからその時はごめん、と前もって説明されている。だから、折角来たのに今日はいないのかと不安になった。
「薫ちゃーん、いらっしゃってるわよー」
深雪が奥に向かって声をかける。だからいるんだろう。リンはほっと胸を撫でおろし、それから妙に緊張してくるのを感じた。
直に話して確かめる、と意気込んで来たものの。なんと切り出したらいいやら。
「こんにちは、リンちゃん。待たせてごめんね」
薫がいつもの穏やかな様子でやって来る。今日は亜麻色の髪を緩く崩しながら三つ編みにしていた。耳の上には細い編み込みも見えるし、いくつかゴールドのヘアアクセサリがついていて、まるで女の子だ、と思う。いつだか、深雪がヘアアレンジの練習台にしているのだと言っていた。
「ううん! 薫に会えてよかった!」
「ふふ、私もリンちゃんに会うと元気をもらえるよ。今日はどうするの?」
鏡越しに見つめてくる薫は、優しい顔立ちで雄を感じさせない。そんな彼の本性を暴いてみたい、と思ったのは事実だ。そのチャンスを和真に取られたのかと思うと、なんだかムシャクシャするし、自分も知りたいという気持ちもする。
「……前髪切って!」
「あれ、いつも自分で切ってるって、言ってなかった?」
「薫に切ってもらいたくなったの! あと毛先もちょっと整えてもらいたいの。アレンジもしてもらえると嬉しいな」
「うん、大丈夫だよ。シャンプーはする?」
「する! ボク、薫のシャンプーすごい好き。気持ち良くて」
「ふふ、わかったよ」
薫が微笑んで、ケープをかけてくれた。
今どきネット予約も受け付けていない、個人経営の美容室だ。それほど客がいる様子もないここは、ゆっくり自分のオーダーを通せるから気に入った。なにより薫は親身に話を聞いてくれる。店内の落ち着いたBGMも、サロン独特のいい匂いも、全て好きだったのだ。
なのに、よりによって和真が。薫と付き合っているだなんて。リンにはどうしても納得がいかなかった。薫はあんなセックス狂いでいいのだろうか? 大体、いつ知り合ったのか知らないけれど、恋人を乗り換えるのが早すぎる。どう考えても、人のいい薫が和真に騙されているか、弱味でも握られているようにしか思えなかった。
前髪を切ったり、髪を整えたりするのにそれほど時間はかからないだろう。ゆっくりしているわけにはいかない。
作業を始めた薫に、リンは単刀直入、切り込んだ。
「ねえ、薫って和真といつ知り合ったの?」
「えっ」
その質問に、薫は驚いた声を上げる。少し考えてから、薫は「ああ」と頷いた。
「そうだよね、リンちゃんもあのバーのことオススメしてたし、和真君と面識があっても不思議じゃないか……」
「和真からはボクのこと、聞いてないの?」
「うーん、そうだね。リンちゃんのことを聞いたことはないかな……?」
それはそれでよかったような、そうでもないような。ふたりが今年のクリスマスに別れたことを知っていたら、薫も警戒していたかもしれないし、しかし和真の時計を取り上げたことを知っていたらがめついと思われたかもしれないし。
考えていると、薫に尋ねられる。
「和真君とは、お友達なの?」
「おともだち――……」
そのフレーズに、リンはしばらく思案を巡らせ、それから「うんっ」と明るく頷いた。
「そうそう、和真とは結構仲良いの」
「そうなんだ。ええとね、私と和真君が知り合ったのは……うーん、あれは……一年半ぐらい前だったかな」
「え、そんな前から知り合いなの?」
だとしたら、薫は和真と肉体関係が有ってもおかしくない。というより、和真の浮気相手だった可能性も……。リンが内心青褪めていると、薫が「知り合い、というかね」と苦笑する。
「たぶん、和真君のほうは私のことを覚えてないだろうから。ちゃんと知り合いになったのは、去年のクリスマスかな」
「去年のクリスマス……」
ボクがフッた日だ。リンは頭の中でだけ呟いた。
「ちょっと外の空気が吸いたくなってね、玄関を開けたら、うちの前で和真君が倒れていて。だから介抱したんだ」
「たまたま薫の部屋の前で倒れてたってこと?」
「あー、和真君、私のお隣さんでね」
「隣同士ー!?」
思わず大きな声を出してしまった。そんなドラマチックな出会い、たかが美容室の客となど比較にもならない。自分にはもう望みはないような気がしてきて、なんだか胸が苦しくなってきた。
「じゃあじゃあ、それから仲良くなったってこと?」
「そうだね。和真君にはとてもよくしてもらってるよ。泊まって面倒を看てくれることもあるし……」
「泊まって……」
リンはなんとも絶望的な気持ちになる。あの和真の恋人になったのだ。そりゃあ、セックスぐらいするだろう。恐らく、気が狂ったように毎日。想像しかけて、げっそりするようなドキドキするような、妙な気分になった。
こんな穏やかな聖人のような薫にも、肉欲があって恋をして、セックスをして気持ち良くなるのだ、という想像がなんとも背徳的で。
「……じゃあ、じゃあさ」
リンは思い切って尋ねた。
「薫はネコなの?」
「え? 急にどうしたんだい? 私は……どちらかといえば犬派だけど……」
「犬派なんだ~、なんか納得……じゃなくて! 薫、和真と付き合ってるんでしょ! どっちなのかなって思って……」
「付き合って……ああ!」
薫はそれでようやく思い出したように声を上げて、苦笑した。
「そっか、バーで聞いたんだね? 違うんだ、あれは私が勘違いしちゃって。和真君とは「そういう関係」じゃないよ。普通にご近所付き合いをしているだけ」
「ほ、ホントに?」
「うん。和真君は本当にいい子で、新しくできた弟だと思ってるぐらいさ」
「弟……」
リンは少し考えて、それからパァッと音が出そうなほど明るく笑った。
「そうなんだ! ボク、勘違いしてたみたい!」
リンは気持ちが軽くなった。和真が「本当にいい子」だというのは、どうも引っかかるけれど、ふたりが恋人でないなら自分にもチャンスがあるということだ。和真なんかにこの優良な物件を渡してなるものか、と思う。
「そうだ! ねね、薫。セットが終わったら一緒に写真撮ってよ」
「え? いいけど、どうして?」
「和真に送るの! 僕たち間接的にだけどみんな知り合いなんだもん。きっとビックリするよ、和真」
そう言ってリンは悪魔のような笑みを浮かべる。
そして薫は何も知らないまま「それはきっと和真君も喜んでくれるだろうね」と頷いた。
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