1 / 1
小鳥が逃げる、黒い雲も立ち込める
その青年が鷹を愛する様子は、少し滑稽さを覚える程だった。確かにとても美しい冠鷹だ。白と枯葉色の混ざり合う羽は艶々としていて、広げられた様はまるで空を覆い尽くしてしまうように逞しい。やっと少年期を抜け出したばかりの細い体躯と優しげな顔立ちの青年に、そんな大きく獰猛な生き物はまるで不釣り合いに見えた。常に腕へ留まらせて、人間を相手にするかの如く、事あるごとにひそひそと話しかけたりするものだから、その鳥の立派さが余計に際立って見える。
餌は必ず、血の滴る生肉だ。たった今捌かれたばかりのうさぎの肉を摘み上げ、鋭い嘴に持っていってやれば、鷹はたちまちぺろりと飲み込んでしまう。すぐさま赤く染まった指先をつついて催促されても、青年は困ったように笑って「はい、分かりました」と従順に皿から新たな一切れを取り上げる。例え己の食事が一塊のパンしか賄えないような時ですら、自ら獲物を狩って鳥に与えた。彼が弓の名手であることは、実際に腕前を見せる事で行く先々へ広まっていた。
その恭しさすら湛えた愛情に応えるかの如く、鳥の方も青年にべったりと懐いていた。例え頭上にどれほど雄大な青空が広がっていても、一頻り翼を広げ飛び回って満足すれば、必ず青年の元へ戻ってくる。こんな猛々しい目をした猛禽類が出すとは思えない、酷く繊細な音色で喉を鳴らし、分厚い羽根を頬に擦り寄せる姿は、さながら赤ん坊のよう。
実際、鳥は青年の懐に抱かれるのを好んだ。雨の日や特に冷え込みの厳しい夜は、青年が開いてやった外套の胸元に潜り込み、精一杯羽を畳んで縮こまっている。「寒がりですねえ」そう腐しながら、青年も与えられる温もりを好んでいることは、柔らかい表情から一目瞭然だった。
今日も宿の部屋に入るまで鷹はすっかりご機嫌斜め。暖炉に火が入れられ、暗がりの中に沈んでいた部屋の壁を温かいオレンジ色が舐めても、なかなか懐から出てこようとはしなかった。
「我儘は駄目ですよ。ほら、お腹が空いたでしょう。新鮮なうちに召し上がって下さい」
縁の欠けた皿を机に乗せる、固く小さな音へ反応したのだろう。薄いシャツ越しに、軽く首を傾げた際に弾むふかふかした羽毛を感じ取る。
ようやくテーブルに飛び乗った鷹は、跳ねるような動きで皿へと近付き、もう一度首を捻ってみせた。それが甘えであると、勿論青年は知っている。この鳥は、自らが採ってきたのでも無い限り、彼の手から与えられた餌でないと口にしない。人から供された時はまず先に、青年が切れ端を口に入れて毒味をしてやっていると知っている者は何人いるだろう。
今日は青年が手ずから仕留めてきた魚なので問題はない。いつもならば促せば、大人しく食べ始めるのに。今日はことりと傾いた頭の中、あの黄色い、高貴な玉のような瞳でじっと見つめてくるばかりだった。酷く純粋で明るい黄色だ。
仕方がないと溜息をつき、青年は羽織っていた外套を椅子の背に掛けた。臓物を抜き、ナイフでぶつ切りにした川魚の切り身は、まだ薄桃色の肉も透けて見える。よく身の締まった尻尾の辺りを差し出せば、鳥は羽をばたつかせてこちらへ近付いてきた。
「知っているんですよ。今日の昼は沢山食べましたね。森の動物達を……どれだけの哀れな鼠や栗鼠をその鋭い爪で引き裂いたのですか」
頬杖をついて、そう偉そうに宣うのは少し差し出がましいと言うことだろう。荒れた指先を嘴で軽く挟まれた。凶暴なのは爪ばかりではない。食い込む痛みにイタタ、と唸れば、追い討ちを掛けるようにつんざく鳴き声で叱責される。
「ごめんなさい、やめて下さい!……でもどうせ、私の事もいつかは引き裂くつもりなのでしょう」
鷹は答えない。与えられた脂身の多い腹の部分を、黙って喉へ滑り落とす。普段よりもどこかとろりとしている青年の目付きを、じっと見つめながら。
実際、今日の旅路は厳しいものだった。降ったり止んだりを繰り返す横殴りの冬雨にも関わらず、馬は早駆けで長い距離を走る。近付いて来る本格的な嵐の最中に野宿したくないと急いたのだが、それが裏目に出た。今や雨風よりもとうに先へと進んでしまい、木の雨戸を閉め切った窓の外はしんと静まりかえっている。
そうで無くても、青年は鷹より余程か弱い生き物だった。付けるよう命じられている日誌を書いている間もしょっちゅう船を漕ぎ、羽ペンが紙の上で滑ってはおかしな文様を描く。じりりとランプの芯が焦げ付く音にハッと目を開くものの、すぐさま瞼はふうっと落ち込んでしまう。
遂には机に突っ伏し、本格的に眠り込んでしまった青年を、見張るように傍らへ控えていた鷹は叱責しなかった。寝息が徐々に深く穏やかな音色を増していくのへ耳を傾け、表情の窺えない、鋭い眼差しを向けている。やがて、ゆっくりと右の翼が広げられ、青年の頭を覆った。まるで彼を抱きしめるかのように。
煤けた暖炉の中で、一際太い薪が爆ぜ、大きな火花を散らす。
次の瞬間、本来の姿に戻った男の大きな手指は、青年の柔らかい黒髪へそっと沈んでいた。砕け散った星の欠片が沈む夜の川じみた、青黒く輝いて見える髪だった。
優しく掻き混ぜられることで、青年が僅かに口元を笑ませたのを見下ろし、男も微笑んだ。その場を燦々と照らし付ける太陽の笑みだった。年の頃は青年と一回り以上違うが、彼が備えた天性の明朗さは決して衰えない。かつては武器を手に取った事もある統率者としての肉体と同様に。
抱き上げられて初めて意識を浮上させた青年は、野生の本能だろう。すぐさまばた、ばたりと脚を跳ねさせた。
「こら、大人しくしなさい。床に落とされなくなければね」
「ご、ご主人様、ホルアクティ様」
結局、青年はぽんと投げ落とされた。藁を詰めた寝台の上でまだ身体が跳ねている間に、彼の主人、守るべき王子は覆いかぶさって、細い腰を抱き込む。
「お許しを、つい微睡んで」
「構わないさ。今日は随分と長い道のりを進んだ」
「まだ書き終わっていません」
「今夜は底冷えがする。お前のその小さな身体で温めておくれ」
ネフライト。彼に付けられた名前を呼ばわれた途端、掴まれていた肩から力が抜ける。目が逸らされたのは羞恥故だ。いつまでも初心な反応を返す青年の様子へ、ホルアクティは上機嫌に喉を鳴らしてみせた。
普段はあれ程蔑んでいた癖、最後に情けが湧いたのだろうか。或いは単純に、国を生き延びさせる為の適切な手段を取っただけに過ぎないのかもしれない。故郷が滅ぼされる間際、神殿に仕える王女達、つまり神に身を捧げその力を駆使することの出来る巫女どもは、側室達が産んだ全ての異母妹弟を国から逃した。それぞれに仮初の身分を祝福として授ける事で。
変化の後の姿を選ぶ事は出来なかったが、従者は好きな物を伴って良いと言われて、ホルアクティは迷わずこの青年を選んだ。かつてから己に懐き、よく部屋を訪ねて来たし、その度にホルアクティも可愛がっていた。賢くはないが、言われた事は従順にこなして、狩りも上手い。
夜伽をさせるようになるまで時間は掛からなかった。青年が拒絶しなかったからだ。屈託のない、けれどありったけの親愛をぶつける技巧をホルアクティは愛した。それに、与えられる愛撫に高く可憐な声で鳴く姿は、いつ終わりが来るとも知れぬ流浪の日々で貴重な慰めとなった。
今もネフライトは、顔中へ落とされる口付けを受けて、くふくふと含み笑いを漏らし続けている。お陰で主人の服を脱がす手は止まり、自らがすっかりしどけない姿になっている事など意識もしない。
「ホルアクティさま」
焦れている事を素直に表現する上擦りに、ホルアクティは薄く開かれた口元へ己の唇で触れた。この前練り薬を塗ってやったのに少し荒れていて、舌で舐めた小さな歯の方が余程つるりとしている。ささくれを埋めるよう、ふ、ふと熱い吐息が下手くそな継ぎ方で漏れた。呼気ごと飲み込むよう、頤をつまんで更に深く重ねてやる。一生懸命絡ませる舌の動きはやはり拙い。ホルアクティが優位に立つのは、猛禽が小鳥をその爪の下へ押さえつけるより容易かった。
お互いのものを絡み合わせ、前歯の付け根を尖らせた舌先で擦る。ちゅく、と鳴り響く粘った水音に、ネフライトは照れて鼻息だけで笑う。いつの間にか、両腕は真上の首へ回されていた。だからホルアクティの手は、露わになった上半身のうち、無防備に晒された脇腹を狙う。すうっと片手で撫で上げられ、びくり、走った震えと、肋骨の軋むような硬さをまだ覚えている指で、ふくっと膨らんだ乳首に迫る。
警戒心の強い、臆病な生き物は五感が鋭敏だ。特に瑞々しく、淡い色の粘膜は、柔く抓ってやるだけであっと言う間に木苺色へと充血する。
「や、あぁ、んっ」
啄まれ、ネフライトは素直に快楽を享受する。腕の中でひくひくと跳ねる腰、軽やかに蹴り上げられる小さな足。愛される事に慣れた、愛される為の肉体。神に授けられたと言う大義名分はお互いを奔放にする。不敬も忘れて主人の頭を抱え込んだネフライトの懇願は、耳元を掠める指先から滴り落ちそうだった。
「もっと、もっと下さい」
「お前が昼間から求めていたことは知っていたよ」
震える尖りにふっと息を吹きかけ、ホルアクティは緩み始めた右手を取り上げた。指の関節一つ一つに唇を当てる。弓に矢をつがえ、命を奪う事に長けた手は、華奢で柔らかく、自然そのもののようにひんやりしている。主人に触れられ、徐々にだが握り込む丸い指先が温まっていくのが、まるで己の命に従っているかのようで充足感を満たした。
「まるで欲望が匂い立つようだった。この宿の若い娘もお前を見て」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、酒を注ぎながら色目を使っていた」
「それで、ずっと懐に」
年嵩の者の執着と笑うか、或いはうんざりしてみせるか。けれどネフライトは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「私は愛されていますね」
柔らかく吊り上がる頬から、指がゆっくりと這って来るのを待ち構えていたのだろう。迎え入れるように、軽く唇で挟まれる。歯すら立てない甘ったるい稚さは、指の第一関節を曲げて擦った時に感じる、歯肉の柔らかさで益々心に染み入った。
温かさを増す胸の内は、しかし同時にこうも感じる。ここで奉仕されたら、どれだけの悦楽を味わえるだろうと。
ゆるゆると開いたまなこで見つめ返し、ホルアクティの瞳に宿る情念を知ったネフライトは、鈍い動きで身を起こした。「奉仕させて下さい」と許しを得るよう教えたのを、律儀に守り続ける。どうぞ、とホルアクティが片眉を吊り上げて促せば、すぐさま手が伸ばされた。前立てのボタンを外す手つきの不器用さもまた、興奮を煽る。
顔を相手の下肢に埋め、口に収める言う作業を、ネフライトは嫌がらない。寧ろ自らが手にしたものが、生きる為に必要なのだと言わんばかりに、自然な仕草で飲み込んでいく。
手を使わないのが、彼の愛撫の特徴だった。床に膝をつくと、まだごく緩く兆しているだけの芯の先端を、まず唇で挟む。ちょうど括れの辺りだった。割れ目にちらっと舌先が当てられ、湧いていた唾液が粘膜を濡らす。舌の腹でぴくりと反応が感じられると、心底嬉しげな上目遣いが投げかけられた。
ホルアクティが頭を撫でてやると、ぱっ、ぱっと、更に喉の奥に送り込む。口は小さいが、案外中は筋肉が発達している。締め付けは複雑だった。この動きと同じように、幹へ絡みつく舌が太く張り巡らされる血管を擦るのもまた、本能だろう。ぐっと息を呑んだ主人が腰を突き出すより早く、ネフライトは喉を逸らし、より深く迎えられる姿勢を取る。両手で杯を掲げ持つようにこめかみを支えられると、喜びすらするのだ。彼は、主人に呼吸を止められることを恐れない。
濃い雄の匂いを嗅ぎ、うっとりと目を閉じている従者を見下ろしながら、ホルアクティは考え込む。こんなにも汚れない見た目の青年が、その内面に人間的な理性や常識を欠片も持ち得ていない事について。
数週間前、扉を叩いた宿の主がとんだ強欲の詐欺師で、有金全部を巻き上げられて外へ蹴り出された事を思い出す。それは仕方がない。世間知らずな若者は、時に学ぶ必要もある。
問題は、ネフライトが間違った学びを得た事だ。何日も森に潜み、主人が家を開ける機会を待ち構えた挙句、女子供しかいなくなった時を狙って宿に押し入った。「彼女達は弱いから、容易く捻じ伏せることが出来ますよ」奪われた分だけを取り戻し、一切悪びれない青年の物言いに、ホルアクティは頭を抱えるしかなかった。
そう、自然の掟だと、弱いものは強いものの餌食になる。彼は男に金を取られた事は納得した。自らがその時、男よりも弱いと知っていたからだ。ならば自らが強い立場になれる機会を待てばいい。
狼藉を嗜めるホルアクティに、ネフライトは困惑して尋ねた。「では、あの男を弓で射れば良かったのですか」。確かにそれも悪くない。彼の腕なら十分に可能だ。だがそもそも、殺す必要すらないとまでは、ホルアクティも口にしなかった。薄らと空を覆う初夏の雲の如く、常に付き纏う追手の存在を感じ続ける生活では、慈悲を見せる余裕など到底ありはしない。
強い者に立ち向かう事が騎士道だと、この青年は永遠に理解しないだろう。王族に仕えると言う行為で背負わされる、名誉の意味も。
そして彼を何とか人間らしくしようと手こずる度、ホルアクティ自身も悩む。正しいのは一体どちらかと。人間であるべきか、獣であるべきか。自在に操る変化の術と言いつつ、彼自身、ここのところ人の形を取ることが億劫に思う時もあった。あり大抵に言ってしまえば、楽なのだ。解き放たれると言う事は。
喉仏が大きく動き、上手に飲み下し続ける体液は、やがて粘り気を帯びてくる。泥を捏ねるような音が狭い肉筒の中で篭って響き、ネフライト自身も煽られているのだろう。うずうずと、小さな尻を蠢かしている。その健気さに免じて、ホルアクティは自らのものをずるりと口腔から引き抜いた。
「あ……」
奪われた事を名残惜しげな吐息で表明するネフライトの手を取り、膝に跨らせる。例え閨で無くとも、主人に抱きしめられる事を、従者は非常に好んだ。愛慕は官能を容易く上回る。今も嬉しそうにぱたぱたと脚を跳ねさせ、かいなを首元に巻き付けるその仕草へ、色気は無い。思わず苦笑し、ホルアクティは青年の薄い腹に手のひらを当てた。ぽっと温もりが灯る感覚に、ネフライトが小さく声を漏らす。
神聖な力の無駄遣いだと、露見した暁には姉や兄弟達からは散々非難されるだろう。けれど秘術で昂ぶらされたネフライトの身体は、さながら誘惑の果実の如く芳醇に匂い立ち始める。
「ん…? ふ、ぁふ……や、や、ホルアクティさま……」
「大丈夫だ。感じるまま、素直に身を任せなさい」
急激な変化は、自らの腹を撫でることすら当惑させる。まるで飛び立つ為に羽ばたこうとするかの如く、中途半端に浮いた腕は、ホルアクティが軽く膝を揺すってやるだけで再び首へとしがみついた。
「ぅ……」
今やその胎は、じくじくと融けるような疼きを孕んでいるに違いない。じっと見つめる瞳に揺れる不安、寄る辺なさ。自らしか頼るものを知らないと言わんばかりに、眼差しで縋り付かれる度、ぞくぞくと背筋に快感が走るのを、ホルアクティは止める事が出来なかった。
喉元に鬱血を残せば短く悲鳴を上げ、背中を撫でてやれば腰を反らし、ネフライトはもはや何一つ
自らの感覚を隠せなくなっていた。だから小ぶりな尻を掻き分けられ、ひくつく後孔に指を添えられた時は、素直にこう訴える。
「だ、だめです」
「主人の言うことが聞けない?」
「ちがう、ちがうんです……でも、こわい……これ、おかしい、おかしくなる……」
それで良い、と耳元に吹き込み、びくりと揺れた肩から緊張が抜ける前に、中指を滑り込ませる。自分の意思とは無関係に濡れている内臓に、ネフライトはなす術など無い。主人の肩へ額を擦り付け、熱い涙で肌を焼いた。
「ぁっ、あぁ……」
侵入者への抵抗は皆無、寧ろ歓迎される。ゆっくりと食み締めながら、奥へと引き摺り込む動き、深みに嵌れば嵌るほどの熱狂。特にきつく収縮する場所を指先で確かめ、軽く掻いて広げてやると、呼応するように肩へ爪が立てられた。思わずホルアクティが上げたのは官能由来の呻きだが、ネフライトはびくりと首を竦めた。
「!ご、ごめんなさい……」
「そのまま、ネフィ……私を気持ち良くさせたくなってきた?」
「ーーっ ぁーー…」
いつまで経っても慣れずにいる、凝りを潰される刺激に、抑えられない叫びが迸る。肩口を濡らす唾液が惜しい。きっと口に含めば甘露のように舌を愉しませてくれるだろうに。
過ぎた快感にぐすっと鼻を鳴らし、ネフライトはそれでも健気に頬を相手の首筋へ擦り寄せた。ちゅ、ちゅと赤ん坊じみた仕草で吸い付く事で、恭順を示す。
「ホ、ルアクティさま……わた、わたしだけでは嫌です。いっしょに、気持ちよくなって……」
「ああ、お前は何と良い子なんだろう」
望まれるまま頭を撫でてやり、ホルアクティは紅潮した耳に囁いた。
「お前は私の宝だ。この世の何よりも価値がある」
それが嘘だとまでは言わない。ただ、熱に浮かされた頭は、世界をとてつもなく美しく見せる。ネフライトも、今やすっかり興に乗っていた。くるくると中で指を回され、周径を広げられる肉の穴。粘り気を増す腸液が、快楽への貪欲さを示す。引き抜いて目の前で舐めてやれば、理性あるものならば羞恥に身を捩るだろう。けれどネフライトが悶える由来は、手に入れ損ねた悦楽へ追い縋らんばかりの苦痛でしかない。
「ぅん、あぁ……や、おなか、切ない」
「では」
出来るね? と目で示せば、ネフライトはすぐさま腰を上げた。がくがくと揺れる膝、熱を持ち鳥肌立つ内腿の肌。切っ先をべとべと汁の垂れた穴へ当てようとしては何度も失敗する。先端が熱い窄まりにじゅうと吸い込まれ、ずるりと蒸れた会陰へ向かって押し潰されながら滑っていく動きは、焦らすための手管ならば上等だ。けれど幼い顔が癇癪で歪むのは、最初こそ面白く眺めていられるものの、続けば続く程哀れさを催してくる。無言のまま細い腰を両手で掴むだけで感じ入り、苦鳴を放つほど浮かされているのだから。
「あ、あぁっ」
「ここだよ、私の小鳥」
「ーーーっっ……!!!」
ぐぼっと酷い音がするまで一気に潜り込むのを、ホルアクティは躊躇しない。従者が望む事を一番良く知っているのは主人なのだ。
尻の肉が陰毛へ擦れる程落とされ、身体は極限まで硬直する。締め付ける胎内は痛いほどだった。すぐさま全身へ走る痙攣に比例して、多少は緩みこそするが。
その時にはもう、橙と黒の羽根が、視界を覆っていた。
肩甲骨から広がった翼は、背後から見ればさながら流れ行く川のように、青いぎらつきを放っている事だろう。美しく愛らしい川蝉の化身。自然の粋。賞賛の思いを込めて、戦慄く唇に口付ければ、破壊された呼吸の旋律が粘膜を叩く。だらりと力無い舌を絡め、一度息を止めさせてしまう事で、は、とようやく肺が大きく膨らみ、活動を再開した。
「ぅ……あ、ぁ、…ご、しゅじん様…………きもちいぃ、ですか…?」
現実へ立ち戻ってすぐに尋ねるのが、主人の事なのだ。理想の使役獣。流石に少し、胸が痛む。けれど呵責は、決壊し怒涛の勢いで迫り来る快楽に、すぐさま押し流された。第一、うねり絞り上げる内臓の柔らかさは、歓迎の意を示していた。準備が整っているのだと、これ程分かりやすく教えてくれているのに、饗応を断るのはいっそ礼を失するのでは無いだろうか?
ちゅくり、ぺちゃりと短い接吻を繰り返し、ネフライトの唇が柔らかく弧を描き始めたと知る。けだものに複雑な機微はない。楽しければ、嬉しければ笑う。
先に動き始めたのはネフライトからだった。ゆさりと腰を前後に振り、咥えたものを濡れた柔らかい襞へ押し付け、擦り上げる。開いた奥の口からずんぐりした先端が外れかけるだけで顰められる表情は、拗ねているようにしか見えない。
「ゃ……もっと、おく」
「欲張りな従者だ」
「奥、ほしい」
「では、ここは?」
跳ね上がった腰の勢いに乗じて、まだ支えていた手のひらで一気に半分ほど抜き去る。充血した凝りへぐいと食い込ませてやれば、羽根の先端にまで緊張が走る。隙間が見えるほど広がった翼。橙が黒に侵食された。
「あ゛、ひぅ……っ!!」
何度か鈴口に粘膜が潜り込むほどの勢いで押し上げ、すっかり錯乱した内壁が作る無作為の収縮を楽しむ。動かないでとしがみついたかと思えば、奥へ送り込入れようと蠕動する。仰け反り、敷布を蹴る動きは必死としか言いようがない。野生の動きだった。今は翼のない主人の肩口へ指を食い込ませる仕草など、殺さないでと本気で懇願しているかのようだった。
「や、や、ホルアクティさま、、もうそこ、やめて、つらいっ……!!」
本気で叫ぶ声は隣室まで響き渡っているだろう。今更ながら防音魔法を張り巡らす、そんな事を考えるのすら忘れていた己に呆れてしまう。いや、嘘をつくのは止めるべき。少し聞かせて、誇示したかったのだ。この可憐な鳴き声を。
だらだらと溢れる涎にまみれることなどに怯みもせず、ぽっかり開いた口を口で塞ぐ。うー、うー、と切羽詰まった呻きを上機嫌に飲み干し、ホルアクティは青年の形良い後頭部を撫でた。
「よしよし、ネフライト……私はお前を虐めたい訳ではないのに」
「ちがう、ちがう、そこじゃない……だって、そこじゃ」
あなたが気持ちよくなれない。
思わず笑みを深め、ホルアクティは彼の望みを叶えてやった。
再び戻ってきた結腸口は先程より柔軟性を増し、完全に従属していた。括れを更なる深みへ引き上げ、触れている全ての肉にきゅっと巻きついていく。死に物狂いでむしゃぶりつく様を揶揄するよう軽く腰を揺すれば、くぽっと奥で間抜けな音がする。そんな事にも気付かず、ネフライトは言葉にならない言葉で唸り、男の背中を掻いた。深爪された指では文字通り痛くも痒くもない。小さいが強い動きでばたつく翼から、柔らかい綿毛のような羽根が何枚か飛び散った。
最後の抵抗だ。ホルアクティは忍耐強く待ち続けた。青年の本能が諦めるのを。そして狂い、自ら捕食者の口の中へ飛び込んで来るその時を。
やがて、声がただの息の音となり、突っ張っていた手指から力が抜ける。抱きしめる腕の力が強まるのと同時に、羽が小さく折り畳まれたのは、より相手に近付きたいと願っているからだろう。甘やかすように抱きしめてやれば、熱った頬に深い安堵の息が滑った。
「ホルアクティさま」
まだ震える舌が、辿々しく名前を紡ぐ。うん?と優雅さすら含んだ甘やかさでホルアクティが首を傾げれば、ネフライトは懸命に微笑んだ。
「わたし、きもちいいです」
「そうか。それは良かった」
「もっと、あなたを気持ちよくしたい。うごいても、いいですか」
「もちろん」
脱力していた脚に力が篭り、ゆっくりと持ち上がる。捕らえた灼熱を舐め取る肉壁の動き。ぞわぞわ、触れ合う二の腕が粟立つ。
振りたくる腰の動きが一定のリズムを確立し、ネフライトの顔に笑みが広がる。はしゃいだようなその表情は、すっかり快楽に蕩けきり、無防備でだらしない。彼は野生を捨てた。今やホルアクティの手の中で愛玩されるだけのいじらしい小鳥だ。
時を見計らい、ホルアクティも腰を突き上げた。がつんと2つの肉体が噛み合う時に、本来は慎ましく秘められている場所が突き破られ、ゴブっと醜い音を立てる。生きている肉体の立てる、生々しい音だった。
「ぁ゛、ひぐ、ぁあ゛…!」
肺が押し上げられて漏れる声は窒息と聞き紛うが、やはりネフライトは笑っていた。一度ここで感じる事を知ってしまえば、知らない時には戻れないのだと言う。肉体が変化を遂げた後には、脳にまで影響を及ぼすのだ。
「ぅ、ふふ……ふひ、ぇへへ……あ゛、ひゃ、ぁ、んぅっ」
嬌声は徐々に狂躁へと流れ行く。身体を跳ね上げられるたびに、きゃは、きゃはと切れ切れに甲高く喘ぎ、ネフライトは背骨が折れんばかりの勢いで、思い切り上半身を逸らした。再び伸びた羽根の先が、引き攣れに合わせて皺だらけの敷布を擦っている。もはや理性など失った瞳はどろどろと流れ落ちそうな程潤み、その先触れである涙が口元から垂れる唾液と合流する。
腕を掴んで身体を引き寄せ、ホルアクティは噛み付くような接吻を青年に与えた。笑みを浮かべているのはお互い様だった。
「ん……っ」
「ネフィ……」
愛してるよ、と言うより先に、ネフライトは舌先を差し出し、主人へ噛むよう強請った。望み通り軽く歯を立て、それから癒すように絡めてやれば、薄い腹筋が痙攣する。ぐじゅ、と水音が益々大きくなり、腰が痺れるような、柔らかく重い圧力が四方八方から肉筒へ収めたものを襲う。
だから一度引き抜いた時は、その繊細で貪欲な内臓が裏返ってしまうかと思えるほどだった。
「い゛、っ…!」
そのまま俯せに寝台へ押し付け、突き出された尻に、再び性器を挿入する。
「あっ、あっ、あ、ぁ゛」
完全に主導権を奪われ、がつがつと好き放題に胎を蹂躙されながら、ネフライトは半眼のままうっとりと、己の唇を舌先で舐めた。ホルアクティは身を屈め、無防備な背中へ唇を当てた。特に敏感な翼の付け根を噛んでやる。何度も、何度も。内臓が処女のようなきつさで締まった。精一杯腰を掲げて押し付けてくるネフライトに応える為、薄い腹に手を当ててぐっと持ち上げれば、青く輝く翼へ顔が埋まる。獣特有の生臭さの中へ、確かに清水の匂いを嗅ぎ取った。
「あぅ、は、ぁん、ふぁ、んぇ、ぅふ、はは、っ」
「ネフィ、私の頼みを聞いてくれるかい」
「ぇ、へ…?ほ、るあくて、さま……」
「イきなさい。解放する姿を見せておくれ」
優しい耳打ちに、ネフライトは表情筋を弛緩させ、笑み崩れた。
「は、はぃ……み、みて、くださ、ひぅ」
手のひらに感じるびくびくとした痙攣は、青年の内臓か、それとも己のものが作っているのか。どちらにしても変わりはない。ネフライトの直腸はホルアクティの性器をぴっちりと包み込み、どれだけ中で派手に暴れようとも剥がれる事なくついてきた。今はネフライトの好む、めい一杯の深遠で奥を掻き回す動きが作られている。まるで嵌め込んだ場所だけではなく、彼の薄い腹に詰まった全てを揺さぶっているかのような感覚に陥った。
「あ゛、あ、あぁ、あぁ゛ーーー」
濁った断末魔と共に、触れられもしない性器からだらだらと白濁が溢れ出る。同時に、ホルアクティは締まる肉を力づくで押し破り、到達できる最も深い場所で精を放った。弁のようになった結腸口は注がれたものを溜め込むから、ネフライトはその熱さを嫌と言うほど味わい続けなければならないだろう。
びくん、びくんと跳ねる背中へホルアクティは再び顔を埋め、翼を甘噛みし、時に肌との境目を唾液で埋めるよう舌を舐め這わす。「や、だ、ぃやあ……」過ぎた快感を逃したくても逃がせず、辛うじて表現される頑是ないむずかりと、寄せられた眉根はしかし、捕食者の更なる情欲を煽るだけの効果しか無かった。
「ぅ……」
体内で蘇る昂りに、ネフライトは逃げようと弱々しく手足をもがかせた。腰を掴んで引き戻す事を、ホルアクティは楽しんでいた。何せこの従者は、寄せられた顔を機敏に察し、接吻を求めようと背後を振り仰ぐ真似すらして来たのだから。
思う存分貪り合い、後に散らばるのは様々な飛沫と、美しい青い羽根のみ。一本つまみ上げ、自らの顔を撫でるようにして遊びながら、ホルアクティは隣に寝そべる青年の姿態を眺めていた。横たわりにくいだろうと翼は封じてやったので、今その背中を覆うのは噛み痕や鬱血ばかりだった。
ネフライトはまだ閉じないでいる瞳を、窓へと向けていた。嵐が来るのはもう少し先になるだろう。瞬く満天の星は、彼を誘う何かがあるようだった──ホルアクティに仕えている限り、二度と戻ることの出来ない大空。
「ネフィ」
普段とは逆に、今はホルアクティが胸襟を開いてやる番だった。ふっと羽根へ息を吹きかけ、寝台の外へ落とした後、穏やかな声で呼びかける。効果は哀れなほど覿面で、ネフライトはすぐさまきょとりと背後を振り返った。
広げられた腕の中に潜り込み、つかれる溜息は安らぎの響きを帯びていた。小鳥は夜になれば、巣に戻って憩うものだ。彼の還る場所はここしかない。
「ホルアクティ様」
「良いんだよ、ネフィ。今はおやすみ」
シー、と囁いて、吸われ過ぎて腫れぼったくなった唇へ指を押し当てれば、軽く食まれた。その仕草が、かつて窓から飛び込んできたこの川蝉が、ホルアクティの手に乗せた餌を啄む仕草そのままで、思わず笑みが溢れる。
充足感に満ちた吐息へ一条織り込まれた哀しみを、胸に縋り付くネフライトは気付く事がない。ホルアクティは深まる寝息へ耳を澄ませ、身を丸めるような寝姿を強く抱き込む。そうする事で今夜も、近付きつつある全てから易々と意識を逸らしてみせた。
終
ともだちにシェアしよう!