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息子の想いと曽祖父の願い 1
三日後――…
さて、この老人をどうするべきか。
「ぐぬぬぅ……」
「嬉しいな~。曾祖父ちゃんと喫茶店でホットケーキが食べられるなんて。いや、本当に嬉しいな~」
必死に怒りを抑えてはいるものの、その形相はまるで般若の如く。いったい何がこの老人をここまで憤らせているのか。
俺はあえて気づかないフリをして、可愛い曾孫らしくにこっと彼に笑いかけた。
「ほらっ! ホットケーキ、曾祖父ちゃんも食べなよ! あ~ん!」
「ぐぬうっ!」
一口サイズに切ったホットケーキを満面の笑み付きで差し向けると、相手の青筋を浮かせた蟀谷がピクリと動いた。怒りは鎮まらないが、目の前の曾孫は可愛いからどうしようという複雑な心境なのだろう。自身の前で組む両腕が、信念は絶対に揺るがないぞと物語ってはいるものの、組んだ腕の指先が小刻みに動いている。
ホットケーキを刺したフォークを固定する手が痛い。折れるなら折れるで早くして欲しい。
「ぐぬぅ~っ!」
「……顔が怖いぞ、陸郎」
「だってなぁ! 母ちゃん!!」
「しーっ!! 外ではそう呼ぶなって言ったでしょうが!」
店内に響き渡る程の声を上げる曾祖父さんこと陸郎は、家の外だというのに人目も憚らず俺のことを母ちゃんと呼んだ。確かに俺は陸郎の母だが、それは前世での話。今の俺は彼と八十歳も年の離れたただの曾孫だ。外でそんな呼び方をすれば周りの人間に不審に思われる。
カフェなどのお洒落な場所ではなく、ボックス席が懐かしい昔ながらのスタイルを維持する喫茶店を選んだのは、息子との時間を気兼ねなく過ごす為だ。お客さんの数はそこそこあるものの、幸いにも耳の遠いだろう方々が半分を占めている為、陸郎の大声でこちらに視線をやったのは店員さんくらいのものだった。
田井中本家に出向く際は宗佑を連れていくこと。俺は愛しい彼との約束を守る為、以来陸郎とは外で会っている。陸郎本人も外で俺と会う方が気楽らしく、喜んで出てきてくれるのだが……
「やっぱり駄目だっ! 結婚なんてまだ早いっ! 早すぎるっ! 母ちゃんはまだ十九歳になったばかりだろう! 酒の味も煙草の美味さも知らんというのにっ……それもαの男だあっ!? とにかく儂は許さんっ、許さんぞ!!」
ここ最近はずっとこれだ。すんなりと認めてくれるはずはないだろうと踏んではいたものの、想像以上になかなか手強い。両親は手放しで喜んでくれたというのに、田井中現当主が渋っているというこの状況が、入籍を遅くさせている原因の一つでもあった。
俺は陸郎へ向けていたフォークをくるりと反転させ、その先にあるホットケーキを食べつつ、淡々と言った。
「でも番になっちゃったもんは仕方ないだろう。この先俺は、宗佑と共にいるしかないんだよ」
「どうしてそんな男と番になっちゃったんだ、母ちゃんはああ!!」
「お前がなれって言ったんでしょうが!!」
これにはさすがに隣のボックス席のお客さんが「おっほん!」と咳払いをした。親子共々騒がしくて申し訳ない。
俺達は声を潜めて話を続けた。
「とにかくだ! この結婚はそう簡単に認められん。確かに母ちゃんは母親のプロだ。だが結婚は初めてだろう? たとえ番になったとしても、結婚は相手をよく知ってから籍を入れなさい」
「よく知ってからねぇ」
「しかも相手はαだ。俊介曰くかなりの美丈夫なんだろう? 獣人であれど、その里中とやらは周りが放っておかんそうじゃないか。加えて金持ちだ。そんな輩は大抵過去にいろんな女、Ωに手を出しとる。昔は絶世の美人だった母ちゃんでも、今は平凡な青年だ。ちょっと味見したろ~♪ 程度にしか思われとらんぞ」
「うぐ……それは否定できん」
実質、宗佑は俺より十年も長く生きている。だからその分だけ、彼は様々な出会いや別れを経験していることだろう。陸郎の言う通り俺は平凡もいいとこ平凡の男だ。付き合ってすでに一年や二年の月日が経っているならいざ知らず、こんな短期間でされるプロポーズは何か裏があってもおかしくないというもの。宗佑が俺の何に惹かれたのか、それがわからないから陸郎はこうも反対するのだろう。俺自身に特別秀でた才能があれば陸郎も納得するだろうが、残念ながらそれはない。
俺が宗佑と番になりたいと思ったのは、もちろん彼のことが好きだからだ。しかし爺さんになった陸郎には、それだけが理由じゃ駄目なのだ。
誰と結婚しようが親の勝手だと、息子を突っぱねることは簡単だ。けれどそれは、俺の望むものではない。彼の猛烈な反対は、一時的に逆上せあがっているだろう母を心配してのことなのだから。
「まあ、母ちゃんにそれほど見事なダイヤモンドを誂えたチョーカーを贈るくらいだ。向こうも生半可な気持ちじゃないだろうが……何度も言うが、儂には何か裏があるようでならんのだ」
俺の首元を見ながら、陸郎は少しだけ冷めたコーヒーを啜った。
宗佑から贈られた、婚約指輪代わりのチョーカー。後で知ったことだが、これを首にするΩは番がいるという世間に向けての証になるらしい。
公共の場に行けば、Ωは必ずといっていいほど抑制剤の有無や発情期の周期を確認させられる。宗佑と共にアクアリウムを観に行ったあの日、店側が彼へこっそりと耳打ちしていたのはそれだろう。
でもこのチョーカーを嵌めてからというもの、外へ出歩くことが随分と楽になった。スーパーではいちいち迷惑そうな顔をされないし、表立っての陰口も叩かれない。勝手に発情したり、フェロモンを撒き散らしたりしなければ、害悪と見られないのだから当然か。
抑制剤も飲む必要がなくなった為、人口の多いβに近づけたという自信が持てるようになったことは大きかった。
たとえ陸郎の言う通り、宗佑に何か裏があるのだとしても、生きやすくしてくれたのは他でもない彼なのだ。
俺はチョーカーのダイヤモンドにそっと指を添えながら、陸郎へ微笑みかけた。
「心配してくれてありがとう、陸郎。でも俺は宗佑を信じるよ」
「母ちゃん……」
「これでも激動の時代を生きた身だ。たくさんの人間を見てきた分だけ人を見る目はあると自負している。たとえ宗佑が私を騙していようが、彼が悪い人間でないことだけは確かだ。この母を信じなさい」
そうだ。宗佑が悪い人間でないことは、あのアンバーの瞳を見ればわかる。たとえ俺に何かを隠しているのだとしても、俺は彼を信じよう。
彼は俺の番なんだから。
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