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生まれ変わったΩが起こしたキセキ 5

 腹を擦りつつ、ハラハラしながら見守っていると宗佑は席を立って角の方に行ってしまった。例のシーツに被さった荷物が置いてある方にだ。まさか、詫びの品? わざわざ用意してくれたというのか。  申し訳ないと耀太君に目を合わせると、彼はふるふると首を横に振った。耀太君も知らないものなのか? それはいったい何だろう。 「実は、陸郎殿に是非とも受け取って頂きたいものがございます。少々、荷物になってしまいますが……」 「ふん! 金か? 金ならたんと持っとるわ! 一千万や二千万そこらじゃ、この圭介はやらんぞ。最低でもこのテーブル一面に敷き詰めるくらいのもんじゃないとなぁ!」 「ろくっ……曾祖父ちゃん! 宗佑は俺の番なんだから、ちょっとは謙虚に……」 「だってなぁ、母ちゃん!」 「だから母ちゃんは止めなさい!!」  この騒がしい俺達のやり取りに、事情を知らないだろう耀太君が一人、ポカンと口を開けている。我が息子よ。母はとても恥ずかしいぞ。  しかしこれでも宗佑は動じなかった。どころか、この後の彼は俺が最も驚くことを口にしたのだ。 「陸郎殿の仰る通りです。圭介は金では買えません。一億積もうが、二億積もうが、その価値は決して決められないでしょう。ですが、ある人物がこう言ったのです。『私を抱きたきゃ、札束をこの床一面に敷き詰めろ』と」 「え?」 「なのでご用意させて頂きました」  何処かで聞いたことのある台詞だと、俺は一瞬硬直した。  そんな俺をニヤリと見下ろす宗佑は、シーツを被る大きな箱の方に手をかけた。バサッと勢いよく剥ぎ取られるシーツの下からは、その場にいる全員が口をOの字に開けてしまう「モノ」があった。 「なっ……な、ななっ……!?」  そこにあったのは、皺一つない新札の束だ。しかしその数が尋常ではない。山。そう、山だ。  シーツに被り、てっきり大きな箱だと思っていたがそうではなく、ただ大きな直方体のように一束ずつが丁寧に積まれていただけなのだ。札束一つでも驚くというのに、それを初めて目にした俺は心臓が止まるかと思った。 「いっ……いいっ、いったい……いくらあるの、これっ……いくらあるの、これぇ!?」  さすがの陸郎もこんな大金を目にしたことはないらしい。顎が外れんばかりに口を開け、背もたれに全身を預けている。そしてそれは耀太君も同様だった。長い舌が今にも落ちてしまいそうだ。  そんな俺達を前に、宗佑は変わらず淡々とした様子で言葉を続けた。 「きっとこれでも足りないと思います。一ヶ月で用意できたのはこれが限界でした。申し訳ない」 「じゅっ、充分だからっ! いやっ! 充分以上だし、こんな大金っ……というか、アレ! 聴いていたのか!?」  一ヶ月前、俺を襲おうとした連中に放った自身の台詞。それが宗佑の口から再現されようとは思いもしなかった。しかし何故? どうしてそれを知っている?  俺は金魚のように口を開閉させると、宗佑は自分の首にトントンと指を当てた。 「最新型だって言っただろう?」  このチョーカー、そんな機能もあるのか!? なら、今まで陸郎と会っていた時や、一人でいる時や、トイレで用を足している時などは……嘘だろう? さすがにずっと聴いていたわけではないだろうが、性格悪いぞ、宗佑!  顔から火が出そうな俺の隣で、どうにか持ち直した陸郎は姿勢を正しながら宗佑に向かってビシッ! と人差し指を突きつけた。 「ふ、ふん! 宗佑とやらの誠意はわかったわ……だがな! 母ちゃんを金で買えんと言ったのはそっちだぞ!」  まだ言うか、この子は!  これだけの札束を前にしても引かないとは……これ以上何を差し出せば快く認めてくれるのというのか?  けれども、宗佑はこれすらも予想がついていたらしい。今度は札束の隣にあるイーゼルへと移動すると、そこにかかっているシーツを掴んだ。 「はい。陸郎殿にご用意させて頂いたのは、こちらの方です」  札束とは違い、丁寧に扱われながら捲り取られたシーツ。そこにあったのは見覚えのない、一枚の人物画。油絵の具で描かれたそれは相当古い物だろう。  しかしこの絵を見て俺と陸郎は、同時に目を見開いた。 「こ、これは……」 「恵母ちゃん!!」  その絵のモデルは前世の俺……田井中恵だった。  初めて目にするそれに驚きつつも見つめていると、宗佑は他のキャンバスに被さったシーツも同様に剥がしていった。そのどれもこれもが俺の絵だった。同じ人間が描いたのか、絵のタッチは全て似ていた。そして非常に美しく描かれている。  しかしこんなに愛情がこもった絵など、見たこともなければ誰かに描いてもらった記憶もない。  宗佑を見ると、一つ頷いてから説明を始めた。 「この絵は我が丹下に代々受け継がれるものです。この部屋にあるのはほんの一部になりますが、全て陸郎殿に差し上げようと思います」 「いったい、どうしてこんな……」 「一喜の父である正臣が残していったのです。彼はその一生を終える直前まで、ただ一人の人間の絵を描き続けたと言われています」 「え?」  それについて、俺は手を上げて否定する。 「待って。正臣は出征してそのまま帰って来なかったんだ。俺が屋敷にいた時も絵なんて描いている姿、見たこともなかった。それもこんなにたくさんの……俺も、絵のモデルになった記憶なんて……」 「帰ってきたんだよ。戦争が終わった後、長い長い年月をかけてね」 「う、嘘……」  俺は口元を両手で抑えた。  正臣が、帰ってきていた? あの戦争から、ここまで?  知らない事実に自然と身体が震え出す。宗佑は俺に向けてやんわりと説明を続けた。 「丹下に伝わる話では、正臣は戦争中に酷い怪我を負った。それは身体だけでなく精神をも蝕み、正臣から自身というものを奪ってしまった。戦争が終わって家に帰ろうにも、自分の脚では帰れなかったんだ」 「生きて、いた……?」  正臣が生きていたとは。生きて家に帰ってきていたとは……!  信じられない。しかし本当なのか。数多の絵の中には、戦前彼に買ってもらった着物を着ている俺の姿があった。  これは間違いなく、正臣が描いたものなのだ。 「丹下に戻された正臣はやはり記憶を失くしたままで、生ける屍のようだったという。出された食事を摂り、睡眠を摂り、その命が尽きるまで静かに息をしていただけだった。そんな彼が唯一できることが、絵を描くこと。誰かに何を言うでもなく、ただ黙々と同じ人物の絵だけを描いていたらしい」  それが俺だというのか? 身体も傷ついて、記憶も失くして、ボロボロで……それでも俺だけを描き続けたと?  そこにどんな想いがあったのかはわからない。けれども、イーゼルに乗るキャンバスからは何か温かいものを感じる。  絵のモデルは前世の俺……恵だ。決して正臣の姿があるわけではない。優しく微笑む恵を前に、ボロボロと涙が零れた。 「ご、ごめん、宗佑……今、泣いているのは……」 「わかっているよ。君の中の恵さんだね」 「うん……うん!」  一ヶ月前、俺は宗佑に全てを話した。普通なら何を惚けたことを……と笑われるような話を、彼は最後まで真剣に聞き、すんなりと信じてくれた。  そして今も、涙する俺の隣に寄り添って、この肩を優しく抱いてくれている。  やっと会えた。おかえり、正臣。  そんな気がした。 「陸郎殿。これらの品は如何され……」 「頂く! 全てだ! 結婚も許す!!」 「幸甚に存じます」

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