「カンパーイ」 金曜日の夜、煌めくネオンの下で、新たな恋を見つけられるかもしれないという、少しの高揚感のなか、俺は元カレの横で合コンに参加していた。 …何を言っているか分からないと思うが、俺は男で、横に座るあいつは元カレだ。２ヶ月前に別れたあいつの隣で、普通ならば気持ちが浮き立つ金曜夜の合コンに参加していた。 ４日前、幹事である俺の同僚から、メンバーが足りないからどうかと誘われ、傷心中だった俺は即行きたいと返した。 今年で31歳になる俺は、いわゆる結婚適齢期ではあるが、結婚はまだまだ想像がつかない。 でも、あいつと付き合って休日に一緒にいれる安心感だとか、仕事帰りに「ただいま」「おかえり」を言える嬉しさを知って、どうにも人寂しくなってしまったのだ。 合コンに参加するのは大学生のときに、お遊び半分で誘われたのが最後で、社会人になってからは初めてだった。こういう場が嫌いなわけではないが、口下手なのがたたって、誘われることがなかった。 そんな俺が合コンに行くことを決意したのは、傷心中だからだった。 約２ヶ月前、俺は人生で初めてできた恋人を自分から振った。それが、いま横にいる灰谷樹だ。 びっくりしてぐるぐると考え込んでしまったが、今日の合コンは４対４のようだ。目の前に女性陣が座った。 幹事の店選びのセンスも良く、こぎれいなイタリアンで、食事が美味しそうで、ワインが進みそうだ。 目の前にいる女性たちは、ふわふわと可愛らしく、性格も良さそうだった。 …ただ、４人とも、誰に気があるかわかりやすく、俺の隣に座るあいつをチラチラとみている。 横に座る元カレ、樹は、俺が働く町工場のお得意様で、大手文具メーカーで働く営業マンだ。すっと通った鼻梁と形の良い唇、ブラウンがかった髪が、店の明かりに透けており、いわゆるイケメンだ。 背も高く、180cmはあるだろう。声は低音ボイスながら芯が通っており、聞き取りやすい。 一度、営業なのに黒髪じゃなくていいのか聞いたが、少しくらい崩れていた方が話しやすいと思ってもらえるんだと笑っていた。 （相変わらずイケメンだよなあ） 樹をみていると、付き合っていた頃をしみじみ思い出してしまう。 俺は、しがない町工場で、文房具の貴金属の製造をしている職人だ。元々理系で、異様に口下手なこともあって、技術を身につけて働きたいと思っていたら、たまたまこの町工場の社長と教授が知り合いで、とんとん拍子で入社できた。 樹とは、今から１年半前に知り合った。樹の会社が新作のボールペンを出したいということで、開発メンバーとして、うちから俺が選ばれたのだった。 新作ボールペンは、従来のものよりしっかりと書き心地がよく、それでいて途中でインク詰まりを起こしたり、にじみが出たりすることがないよう、ハイレベルなものを要求された。 樹は、この商品に関しては妥協する気が一切なかったようで、厳しい要求を突きつけられ、言い合うこともあった。 俺は口下手なせいか、いかつく見られることが多いが、樹は俺と４つも年下なのが分からないくらいしっかりと交渉を重ねてくれた。 何度も試作を重ね、失敗を繰り返し、商品を世に出せたのが、約１年とすこし前。技術が高く、値段も手頃なそのボールペンは、爆発的に売れ、樹も俺もすごく喜んだ。 そして、大ヒット商品を生み出したお祝いとして２人で食事に行った時、樹から「恋人になってほしい」と告白された。 告白のとき、整った顔が少しあからんでおり、驚きのあまり返答を忘れぽかんとしていた俺を見ながら、テーブルの上にのせていた俺の手をぎゅっと握られた時には、もうノックアウトだった。 俺はゲイよりのバイで、男が恋愛対象になることが多かった。一緒に新商品を開発していた時には、樹のことが好きになっていた。 ただ、人付き合いが苦手で、今までお付き合いというものをしてこなかった童貞処女の俺は、付き合ってもいっぱいいっぱいだった。 樹はそんな俺にペースを合わせてくれて、手を繋いだのは付き合って３回目のデートの帰り、初キスは１ヶ月記念に乗った観覧車の中で、ちょっとディープなキスは２ヶ月記念日だった。 どんな少女漫画かと思うほど、ロマンティックな恋愛を楽しませてくれた。 ただ、その先、そう、セックスは少し怖くて、尻にアレを入れるのはゾッとしてしまっていた。多分俺が受け身だろうし、なかなか踏ん切りがつかず。 いい歳して、「セックスするのは、１年くらい付き合ってからがいい」って言ったら、「もちろん待つよ」と答えてくれたのも、いい思い出だ。 しかし、物事はそんなに上手く続かず、ある日会社のパートさんとの立ち話で、樹が、樹の会社である文房具メーカーの跡取り息子ということを聞いてしまった。 今は修行中で営業をやっているが、ゆくゆくは会社を継ぐ予定なのだという。 それを聞いて調べてみると、樹は文房具メーカーの社長と苗字が一緒だった。ぼけっとしている自分の性格が恨めしい。 また、パートさん曰く、商品をたくさん卸している大きい書店の娘さんとの縁談もまとまっていると聞いた。マジかーと思ったけど、やっぱりなという気持ちもあった。 あんなにかっこいい男が俺だけのものになるなんて、やっぱりありえないことなのだ。 それを聞いたのが付き合って10ヶ月になった頃。 すぐさま別れようかとも思ったが、できるなら死ぬまで思いだせる思い出が欲しくて、踏ん切りがつかなかった。 それほどまでに、樹と過ごした日々は暖かく、貴重なものだったからだ。 別れても、思い出しては心が温かくなるような思い出を作りたいと思った。 そして、俺にとってそれを叶えるには、少し怖いけど、セックスしかないと思った。ぶっちゃけ、怖いけど、樹とはセックスしてみたかった。 くしくも１年記念日は、俺の誕生日の前日だった。 そうして、１年記念日に初セックスをしてーそれは本当に幸せな時間だったー、その翌日、俺の誕生日の朝に、俺から別れを告げた。 理由は適当に考えて、告白された時から本当は迷っていた、性格が合わない気がする、セックスもよくなかった、などひどいことを言ってしまった気がする。 樹の口から、婚約者の女性のことを聞くのは嫌だった。だから、自分から終わらせた。 臆病な卑怯者だが、樹から「結婚するから別れてほしい」なんてことを言われたら、きっと涙が止まらないだろう。 だから、俺から別れた。自分がこんなに我がままなやつだとは知らなかった。樹と付き合うと、自分の知らない一面がたくさん出てきた。 そうして、樹の顔も見ないまま、樹のマンションを飛び出し、連絡先も消した。最低な誕生日で、それをしたのが自分だと思うと、全てを投げ出したくなった。 それでも暮らしていくには働かなければならない。幸いにも職人という仕事は、集中力が必要で、一時でも別れた後の荒んだ気持ちを忘れることができた。 樹は時折、うちの会社に営業に来ていたようだが、奥の作業スペースに籠もっていたから、会うことはなかった。あいつが社長になれば、うちみたいな町工場まで来ることはなくなるだろう。少しずつ忘れていきたいと思った。 —------ そう思ったからこそ、別れてから２ヶ月たって、合コンに参加したのに。 樹が合コンに来ていたって、俺には何も言う資格はない。…新しい恋人を作りたいのかと思うと、胸はチクリと痛むけれど。 つーか、婚約者いるのに合コン来ちゃダメだろ。 動揺する自分がバレていないかと思い、隣にいる樹を見ると、やっぱりカッコ良くて、胸がキュンとなる。乙女か。 仕事終わりで、緩めたネクタイから見える男らしい首筋に、ゴクリと喉がなる。 …あの夜を思い出しそうだ。 樹は、何か狙うように、俺がビールグラスを意味なく触る様子を姿を、目をすがめながら見ている。 女の子の方ではなく、俺のいる方に顔を向けている。もはや体までこちらを向きそうだ。 女の子の方を見たほうがいいんじゃないかなと思いつつも、気まずさが募る。カンパイの音頭の後、すぐさま話しかけられた。 「康治、久しぶりだね」 「…あ、うん」 口下手すぎるだろ、俺！ 「康治が合コンに来るって聞いて、来ちゃった。彼女ほしいの？」 「…おお」 「いつも作業服なのに、今日はスーツなんだね。…すごくよく似合ってる」 「…？！…まあな」 最後にさらりと似合ってると言われて、動揺してしまった。 「羽山さんと灰谷くんはお知り合い？」 目の前に座っている女性陣が、灰谷との会話のきっかけを掴みたそうにしている。 「そう。仲良かったんだけど、最近連絡が取れなくなってて」 そう樹が言った瞬間、テーブルの下から樹の手が伸びてきて、同じくテーブルの下にあった俺の手をぎゅっと握られた。心臓が飛び出るかと思った。 「康治には、昨年出た新商品の開発を手伝ってもらってたんだ」 樹は女性陣と話し始めた。そして、話しながら、指と指を絡められた。いわゆる恋人繋ぎをされていた。 手の甲を親指でさらりと撫でられると、樹に触れられているという興奮と、一瞬の快感で、びくっと体がはねる。 やめろと思いつつも、また樹と触れ合えていることがたまらなく嬉しい。 ビールを持つ手で口元を隠しながら、樹の方をみやると、何でもないように女性陣の方を向きながら、話している。 俺の手の甲を撫でていたのが終わったかと思うと、二人の間にあった手と手が繋いだまま、俺の方に押されて、何がしたいのか不思議に思っていると、繋いだ手は俺のベルトの下で止まる。 ぎょっとして、下を見ると、樹の手の甲が俺の方にあり、感じやすいところをぐっぐっと押された。 「…ァ」 いきなりすぎて少し声が出てしまったが、樹が何を考えているか分からず、手を解いて、テーブルの上に置く。 樹は解かれた瞬間、眉をピクリと動かしたが、握っていた手はするすると自分の方に戻していった。 「…おれ、トイレいってきます」 樹の手の甲で押されたあそこが少しまずいことになりそうで、一旦頭を冷やすことにした。 始まって10分程度で、女の子には不思議に思われるだろうが、しょうがない。 思いがけず、樹と会ってしまったことも、冷静になりたかった。 そそくさと席を立つ俺を、樹が目で追いかけているのも知らずに。