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失恋の傷ではない。未練はなかった。別れ話を示唆された時からしゃにむに割り切る努力をしたからだろう。
嫌いになったわけではなく、二度と孝則の視線を奪えないと痛感して、最後に格好つける覚悟をしたのだ。
この傷は、一度は好き合って交際した相手に、お前じゃないと突き放される傷。
けれどそんな傷口が、どういうわけか自分に惚れていると言う夜鳥の言葉で優しくなでられてしまう。
その傷、痛かったよね? と。
俺は痛いことしないから、と。
そう語られている、気がする。
まぁ、気がするだけだが。
「……そ~んなことしょっぱなに言ってくるロマンスかじってる系ほど、あとになって運命の相手がどうこう言い出すんですぅ~!」
目の奥が熱く込み上げるものを感じ、朝五はわざとらしく大きな声を出して万が一見られないようそっぽを向いた。
夜鳥は「そうなんだ」と頷く。
「都会の流行りは疎くて、今後言い出せる運命があるかわからないけど……俺は朝五が好きだから、たぶん言い出す運命も朝五だと思う。そうだったらいいな」
あぁ、なんてこったい。
朝五がいじけようが夜鳥は呑気な様子で、気持ちを変える気がないらしい。
周りにいないタイプだ。朝五は呻く。夜鳥を喋らせれば喋らせるほど、朝五のほうがダメージを受けてしまう。
ガックリと脱力したあと、朝五はなるべく不遜な態度で気取って見せた。
手足を組んで、夜鳥を見下ろす。
「なんかもう、彼氏いるから無理としか言ってなくて約束自体をきっぱり断ってなかった俺も、百万歩譲れば悪いかもしんねぇ。……ということにして、夜鳥くんが俺の新しい彼氏ってのを、認めましょう」
「! ホント?」
「ホントです」
夜鳥はパッと顔を上げた。
真っ直ぐにこちらを見つめる澄んだ瞳に、渋い自分が映っている。
逃げることもスマホを見つめていることもないその瞳にわずかばかり惹かれ、目を逸らしにくい。なんで? どうして? と期待に満ちた眩しい目付きだ。
「……べーつに? ほら、どうせ誰も困る人なんかいねーし? ま、お試しならいいだろってカンジ」
「お試し?」
「はい。……俺がお前を好きになるって確証はないけど、それでもいいなら、付き合う、ことにする」
不本意ぶった朝五が頷いた途端。
口元だけで笑っていた夜鳥が目尻を下げ、花が咲くように破顔した。
「ひょ……」
「すごい、嬉しい」
夜鳥の笑顔を前に、朝五の胸が微かに高鳴り、妙な息が漏れた。
それと同時にこれまで簡単に捨てられてきた朝五の恋人という立場を喜ぶ夜鳥が奇特に思えて、呆れてしまった。
頬が痒い。居心地が悪い。
おもむろに立ち上がり、夜鳥を指差す。
「ま……まだ好きってわけじゃねーかんなっ!? 付き合ってる以上ちゃんと恋人として扱うけど、俺は自分が好きって思わないとそういうこと言わねーしっ。てか恋とかもう疲れた期だから嫌になったら別れるかもだしっ。お前ぜってー損してっからっ」
「うん。俺、嫌になられないように頑張る」
「ぎゃっ」
酷い。これは酷い。朝五が矢継ぎ早にクギを刺してから夜鳥が頷くまで間がなかった。なぜこの宣言で即答するのやら。
朝五は悲鳴をあげて口ごもる。
肌の内側がむずがゆくて無意味に髪をかきまわす。居心地が悪い。
──頑張られるのは、初めてだった。
いつだって好きな人に一直線だった朝五は相手にこうも惚れられるという経験がなく、落ち着かない。
唇を噛んで黙り込む。
ポケットからスマホを取り出し、ぶっきらぼうに見せつける。
「連絡先、交換せいや」
まるで決闘の申し込みのようだ、と夜鳥から呑気に指摘され、朝五は噴火しながら暴れ出したくなった。
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