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第186話
今は難しいことをすべきではない。簡単な事を繰り返して、自分はできるのだと自信をつけさせて、それから徐々に難しいものを教えてやればいい。その考えのもとに、弥生は雪也の後ろから一緒に筆を掴み、扱い方を教えた。
最初は線を、その次に円を。遊び交じりに筆を滑らせ、そしてこの円だけで出来る花を作った。
これはただの遊びだ。家紋のように意味のあるものではない。だが雪也には――否、弥生たちにとっても、これは意味のあるものだった。だから弥生は刀を渡すと決めた時、職人にその絵を見せて鞘に掘らせた。雪也があの日のことを忘れないように。あの日の心を忘れないように。そう願って。
「よい機会だから言うが、雪也は大人であるように見えて、その実大人にはなりきれていない。取り乱さず、平静を装って、そして静かに壁を作って目を背ける。そのことに他者は苛立ちを覚えるかもしれないが、あれは雪也の癖だ。本人が意図しているものではない。おそらくは自覚もしていない。だが、責めてやってくれるな。あれをどうにかするには時間がかかる」
雪也はまだまだ子供だ。周などは雪也を崇拝の勢いで慕っているが、雪也は完璧ではないし、弱さも狡さもある。
「これは……雪也の宝物?」
鞘に掘られた紋を指で撫でる周の問いかけに、弥生は頷く。
「おそらくな。雪也が子供らしくあり、初めて何かを成せた結晶のようなものだからな」
少なくとも記憶の外に追いやるほど、どうでも良いモノではないだろう。その応えに、周はゆっくりと瞬きをした。
「……そっか」
この時、周が胸の内で何を思ったのか、わかる者はいない。もしかしたら周自身すら理解していなかったのかもしれない。それでも周はこの時から雪也を見る目を変えた。
その瞳に宿すのは、雪也への尊敬と敬慕。そして――執着だったのかもしれない。
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