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第319話
「ただ、ひとつ願いがあるのです。私も命を懸けて尽力いたしますが、こればかりは私だけでどうにかなるものではないでしょう。ですから、杜環殿の慈悲に縋りたいのです」
慈悲? と杜環は目を細める。そんな彼を、弥生は真っ直ぐに見つめた。
「杜環殿はご存知かどうかわかりませんが、私にも大切な者がおりましてね。元々大切な者はおりましたが、生きていると大切な者が増えていきまして。ほんの少し離れただけで心配になりますし、ずっと、彼らの幸せと安寧を願わずにはいられません。ですが、それを願うのは私だけではない。この世に生を受ける多くの者達にも、大切な者はいるでしょう。決して傷つけたくない、幸せを願い続ける者が。ですから、何があってもこの国に生きる者たちから、大切な者を奪いたくないのです」
だから、杜環に願う。峰藤領の要である、彼に。
「時代は動きます。それがどのような未来になるのかは、凡人の私にはわかりませんが。だが民に、武人の生き方を強要するは無情というもの。どうか、もしも時代が変わる時が来ても、戦だけは避けていただきたい。私も衛府の者として命をかけますから、どうか、民から大切な者達を奪う道だけは、選ばないでいただきたいのです」
床に手をつき、静かに頭を垂れた弥生の姿に杜環はゆっくりと瞬きをした。
きっと弥生にも見えているのだろう。この国が今、どのように変わろうとしているのか。衛府が迎える、その終焉を。
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