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第615話

「流石に武衛に帰るまで気づかないでいてくれる、なんて甘い話はなかったか」  生い茂る葉の後ろに身を隠しながら、弥生は皮肉気に笑みを浮かべた。その額には隠すことのできぬ大粒の汗が浮かんでいるが、それは何も弥生だけではない。  同じように身を潜めた優や紫呉もまた、気配を消しながら警戒を続ける。彼らの視線の先には、何かを探すようにうろつく、刀を持った若者たちがいた。 「身のこなしを見るかぎり、ほとんどは素人だが何人かは隙の無い者がいるな。たぶんどっかの領主の私兵だろう。どうする? 弥生。お前の姿を見れば、奴らはすぐに襲い掛かってくるぜ。流石にその状態じゃ帝の紋も出す暇すらねぇ」 「それに、残念ながら紋の偽造なんていくらでもできるからね。こちらが偽造だと疑われるのも問題だけど、奪われてあちらの都合の良いようにされても困る。……どうあっても、彼らは衛府を滅ぼしたいだろうからね。戦を止める命なんて、例え帝のものであっても邪魔だと考えるだろう」  だが、その命令も世に出なければ意味を成さない。彼らか、あるいは彼らの後ろで操っている領主らか、どちらであっても戦を望む者にとって今の弥生も、弥生が持つ文も邪魔な存在でしかない。こんな所にまで弥生を追ってくる時点で、彼らはどこまでいっても弥生の敵であると考えるべきだ。 「私たちが第一にすべきは、生きて武衛に帰ることだ。武衛につけば、春風の力をすべて使うことができる。それまでは、隠れようと逃げようと構わない。どんな恥を晒したとしても、今は生きて帰ることを優先しよう」  未来を繋ぐために。

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