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【おまけ】五月四日午後十一時二十八分
パソコンの前でコーヒーを飲み、のんびりとニュースをチェックしているのは須藤信周 、二十三歳。割と大手の企業に勤めるプログラマーである。洗い立ての髪を無造作にかき上げ、信周はちらりと壁の時計に視線を送った。
――もうすぐ十一時か、そろそろ……かな?
徐に充電中のスマホへ手を伸ばすと、タイミングを見計らったかのように着信音が鳴りだした。その画面に表示された名前を見て信周の頬が「ふっ」と緩む。充電ケーブルを抜いて通話ボタンをタップすると、弾むような声で名前を呼ばれた。
『ノブくんっ』
「よっ、ハル」
『うへへへ、ノブくん、何してた?』
「俺? ハルの電話待ってた」
『え……ふふふ』
少しはにかんだ柔らかい笑い声が電話越しに聞こえてくる。声の主は吉永晴日 、大学三年生。信周とは幼馴染であり、一緒に暮らす恋人同士でもある。そんな二人がなぜ電話をしているのかというと、ちょうどGWを利用してそれぞれ実家に帰省中だから。
『俺今日ばあちゃんちの裏山で山菜摘みしてね、ゼンマイがいっぱい採れたの。写真見たでしょ?』
「うん、見た見た。おこわ、めちゃくちゃ美味そうだった」
『美味しかったよぉ、ふふ。あのね、俺も手伝ったの。作り方教えてもらったから、マンション帰ったらやってみるね』
「へえ、楽しみにしてる。元気そうだね、ハルのじいちゃんとばあちゃん。俺も久し振りに会いたかったなあ」
『へへへ、二人とも元気だよぉ。ノブくんも遊園地楽しそうだったね。いいなぁ、俺もジェットコースター乗りたい』
「今日はジェットコースターは乗ってないんだ、みつるが怖いって言うから」
『そっかぁ。そう言えば、みっくん大きくなってたねぇ』
「だな。でもみつるのやつ、アイス食いてえだの、歩けないからおんぶしろだの、大変だったんぜ。おまけにこけたらすぐ泣くし」
晴日は甥っ子のみつるに振り回される信周を想像して、声を上げて笑った。
『うはははは。ノブくん困らせるなんて、みっくん最強じゃん』
「何だよ、笑うなよ。マジで大変だったんだから」
ひとしきり笑うと、晴日はスッと真顔になった。何だか部屋が妙に静かだ。
『そうだ。ノブくん、明日家にいる?』
「うん、いるよ」
『じゃあ俺、行ってもいい? みっくんと遊びたい』
「おう、いいぜ。でも覚悟しとけよ、ハル。あいつ五歳のくせに結構ませてっからな」
『ん』
同じマンションの三階と五階。そんなに離れていないのに、どうしてこんなに遠く感じるのだろう。
『……じゃあ、明日は会えるね』
「うん、そうだな。俺も、早くハルに会って癒されたいよ」
『ノブくん……』
「ん?」
晴日は布団の中だ。ついつい癖で片側を空けて寝てしまう自分に苦笑いしながらスマホを握り締めている。一人の布団がやけに広い。寂しさが一気に押し寄せてきて、晴日は少しの間沈黙した。そんな晴日に信周がさりげなく話題を変える。
「なあ、ハル。明日さ、一緒にラーメン食いに行こうぜ。ほら、あのおっちゃんの店」
『わぁっ、行く。前はよく行ってたよねぇ。俺絶対チャーシュー麺にするぅ』
「俺も俺も。せっかく帰って来たんだから本場のとんこつ食っとかなきゃな」
『うんっ』
晴日はまた元気を取り戻した。でもそれも束の間、喋っているうちに晴日の声はまた少しずつ小さくなっていく。途切れ途切れになったその声は、やがてとろんと静かに消えていった。
『早く、ノブくんに……会い、たい……な……』
「俺もだよ。ハル」
ただいまの時刻、午後十一時二十八分。さっきまでもごもごしていた晴日の布団は、もうぴくりとも動かない。
「……ハル?」
信周の呼びかけにスースーと規則正しい寝息が応える。晴日の温もりのないシンとしたベッドに腰掛けて、信周は暫くの間その寝息を聴いていた。
「おやすみ、ハル。明日、待ってる」
どうやら返事は明日に持ち越しのようだ。
――ああ、俺、ハルのことすっげえ好きだ……
その気になればすぐに会いに行けるはずの距離が却ってもどかしい。信周は通話を切るとそのままパタンと仰向けになって天井を見上げた。そっと目を閉じると、晴日の楽しそうな笑い声がまだ頭の中でこだましているような気がした。
※Twitter企画で書いた短編です。
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